三者三様のタイムスリップ
その年は、自分の誕生年ではないか。つまりは、自分が生まれる年だということだ。
「年齢が違っているとはいえ、同じ人間が同じ次元の同じ時間に存在していてもいいのだろうか?」
という考えであった。
しかし、生まれることは間違いない。なぜなら生まれなければ、自分という存在は今すぐこの世から消えてしまうからである。つまり少なくとも、十三年後から、十七年間、同じ人間が同じ世界に存在しているということになるのだ。そして、自分は、自分が生まれてからタイムスリップを起こすまでの人生を一ミリも動かしてはならないという宿命を負うことになる。
まったく関わってはいけない。関わっていなかったとしても、間接的な影響がないわけでもない。考え始めると、どうにもならないほど、頭の中で負のスパイラルを描くことになるのであった。
さらにもう一つをいえば、
「三十年後にタイムスリップをしてこっちの世界に来ても、数日でまた向こうの世界に皆が戻ることになる。彼らに自分が関わっていいのかどうか」
この問題も大きな問題であったのだ。
そして、何と言っても一番大きな問題は、
「皆は元に戻れたのに、自分だけが、こっちの世に取り残されることになってしまったというのだろう?」
というのが、問題だったのだ。
そんなことを考えながらであるが、時間はどんどん進んでいった。
なるべく自分にかかわりがないようにしていたので、もう一人の自分のことを敢えて考えないようにしていた。
そして三十年が経ち、もう一人の自分を載せた軍隊が、案の定、タイムスリップに遭い、過去に戻っていった。
この時も自分は近づきすぎるくらいに近づいたが、バリアのおかげでタイムスリップをしなかった。
「あんな風に舞い上がって、過去に行ったんだな?」
と、その時は当事者だったので意識はなかったが、帰りのタイムスリップで見た光景がデジャブのように感じられ、まるで昨日のことのようだった。
大団円
一気に巻き込まれていった人たちが、竜巻の中に吸い込まれていく。吸い込まれたと同時に、竜巻は一瞬にして消え去った。
「これこそ、異次元というものだ」
と主人公は感じたが、そう思っている感覚の下の根も乾かぬうちに、またしても、竜巻が出現した。
しかし、それは最初の出現のように、最初から大きかったものが迫ってきたわけではなく、まったく何もなかった何の変哲もない空間から、いきなり輪が出現し、それが次第に竜巻に変わっていったのだ。
竜巻はみるみるうちに大きくなり、その中から、何かを吐き出した。それが、直前に消えていった部隊だったのだ。
不思議なことに、その竜巻はまったく音が聞こえなかった。吸い込まれる竜巻はあれだけの轟音だったにも関わらずである。
「この二つの竜巻は同じようなものにみえるが、実は違うものなのかも知れない。出口と入り口でまったく違った種類のものであり、ただ見た目が見ているというだけで、まったく違った種類のものなのかも知れない」
と感じた。
一気に吐き出されたはずだった部隊が、嵐が消え去ると、その場所にまるで最初からいたかのような違和感のない状態で鎮座していたのだ。
皆、
「一体何が起こったのだ?」
と言った表情だった。
主人公の記憶が正しければ、その場面は過去から戻ってきた場面であるはずだ。だから、彼らは、拍子抜けしているが、すぐに戻ってこれたことに安心するか、それまでのことが夢だったのではないかということで、今まで起こったことを夢として解決させようとするかのどちらかであろう。
ほとんどの人が平常心のような顔をしていた。ということは、彼らは夢として片づけるという道を選んだのであろう。
しかし、中にはそれでは納得できない人がいた。
それが、隊長と呼ばれる連中であり、
「これは夢としては片づけられない」
と思っている人だったのだ。
確かに、すぐに同じ場所に戻ってこれたのだから、基地に報告する必要はないだろう。しかし、少なくとも主人公という一人は行方不明になっているのだ。これを一体どのように説明すればいいというのか。
「過去に行ってしまい、彼だけが戻ってこられなかった」
という本当のことを言っても誰が信じてくれるというものか。
皆そのことも分かっているので、他の人はまず他言することはないだろう。
しかし、隊長はそうはいかない。何と言えばいいのか難しいところだ。
死んだと言ってしまうと、何が原因ということになり、
「死体がないのはおかしい」
ということになる。
当然、遺族からも追及され、人が一人行方不明になったということで、大きな事件になることは分かり切っていることだった。
もちろん、映画をそこまで引き延ばして描いてはいなかったが。その映画においては、ラストシーンがどうだったのかというと、
「主人公は、四十七歳になった男として、その場面に現れる。つまりは、自分がタイムスリップできなかったという証拠として現れるのだ」
というものであった。
これがどういう意味を孕んでいるのか分からないが、
「歴史というものが、俺に何かをさせたいということなんだろうが、今の俺にはまだその理屈が分かっていない。きっと死ぬまでに分かる時が来るのだろうが、そんな時が来るのを楽しみに待つことにするよ」
と主人公は言った。
主人公は、
「きっと死ぬ間際になって、やっと自分の運命がどういうものだったのか悟るんだろうな?」
と思ったが、これは自分にだけ当て嵌まることではなく。皆死ぬ前にそれなりに知ることになるのだろうと感じた。
それが、
「死ぬ前に、今までのことが走馬灯のように意識の中で駆け巡るものだ」
ということなのだろう。
あの映画のテーマも確か、
「歴史は俺たちに何をさせようというのだろうか?」
というのがテーマだった。
軍隊としての彼らは歴史には詳しかった。
中国に遠征していた彼らが、ちょうど、十七年前というと、満州事変の少し前であった。
自分たちがいた場所は、遼東半島から入り込んだ満州の土地でも、一番賑やかだった奉天というところであった。
今では瀋陽という名前の土地になっているので、調べてみればすぐに分かるだろう。
この時代というと、中国では、中華民国が国家を形成していて、袁世凱亡きあと、内乱の時代に入った。
蒋介石率いる国民党軍、さらには、直隷軍、さらには、張作霖率いるところの北伐軍と、それぞれ三者三葉の戦いを示していたのだ。
当時の日本、いわゆる関東軍は、日露戦争で協力してくれた北伐軍と親密な関係になっていた。
いわゆる張作霖を援護するのが関東軍だったのだ。
巻頭具は、南満州鉄道の周囲に権益を持っていたので、北伐を支援するのも地理的にも妥当だと言えるだろう。
だが、そのうちに、張作霖が日本政府に対して牙をむくようになってきたのだ。
満州鉄道の平行線に、自分たちで線路を敷き、満鉄の客を奪ったり、さらには、日本人、朝鮮人に土地を貸したり売ったりすれば、死刑という法律を使って、日本人を迫害し始めていた。
さらに、日本人居留地に攻めてきたりして、日本の権益をけん制し始めたのだ。
作品名:三者三様のタイムスリップ 作家名:森本晃次