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三者三様のタイムスリップ

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 だが、どんなにいい政策や体制であっても、どこかに傷はあるもので、見えない間はそれほど気にはならないが、それが見えてくると、憤慨させられるものが出てきたりした。
 その最たる例が、
「政治家の腐敗」
 であった。
 国民の生活が次第に豊かになってくると、それまでの政治家が、日本の国をよくしようとして頑張ってきたものを、そんな時代であっても、中には私利私欲に走る輩は少なからずいるものだ。
 戦後の復興の中で、インフラの充実やオリンピックの開催などと言って、
「もはや戦後ではない」
 などと言われた時代。
 世の中は、
「消費は美徳」
 などと言われ、戦前、戦争中の、
「欲しがりません、勝つまでは」
 などという言葉とは反対であり。戦前、戦時中を知っている人はこの状況をどのように感じていたのか、訊いてみたいものである。
 戦後すぐは、まだまだ帝国主義教育が行き届いた思想が蔓延していたことで、再軍備であったり、天皇制の存続を望む声も多かっただろうが、それも、時代背景と、人間としての、本能のようなものがあったからではないだろうか。教育や思想だけでは理解できないものがあったのは、その時代を生き抜いた精神があるからなのかも知れない。
 特に、軍人に強く根付いていた考えとして、
「死んでいった者たちに、申し訳が立たない」
 という思いであっただろう。
 同じように、
「皇国の荒廃、この一戦にあり」
 ということで、ともに戦ってきた人たちの死があったからこそ、自分たちは生きられているという考えだ。
 今の世の中のような、
「自分が生き残れば、他人はどうでもいい」
 という時代ではなかった。
 戦前、戦時中の人たちから見れば、今の世の中はどう感じているだろう?
 秩序など皆無で、まわりのことを気にしている人がいても、それは明らかな偽善でしかなく、最後には自分のためだという発想からの薄っぺらい偽善でしかないのではないだろうか。
 そういえば、つかさは中学時代に友達から教えられて、レンタルして、昔の映画というのを見たことがあった。
 その映画は、平成の初期の頃に作られたもので、SF映画だった。
 タイムスリップもので、ちょうど今の時代の人間が、急にタイムスリップして、ちょうど、シナ事変が起こってから、大東亜戦争に突入するまでのあたりに、急に飛び出したところから始まっていた。
 その頃の日本というと、朝鮮半島は日本に併合されていて、満州国という日本の傀儡国家が存在し、さらに中華民国に対しても、その食指を伸ばしているところであった。
 そもそも、満州国建国の意図としては、二つあったのだが、一つは、
「ソ連の南下を阻止するため」
 という国防上の大きな問題があったのだが、もう一つ、切実なる問題があった。
 それは、食糧問題で、
「当時の日本の人口と農産物では、日本本土の食料を賄えないのは分かっている」
 ということで、どこかの土地を占領し、そこに日本からの移民を募り、開拓させることで、国内の食糧問題を解決させようという、切羽詰まった問題があったのだ。
 満州国を、
「五族共存と王道楽土」
 というスローガンで、日本、漢民族、朝鮮、満州、モンゴルの姻族の共存を進め、まだ未開の土地にはたくさんの資源が眠っているということで、日本からの移民を募った。
 そもそも、当時は世界恐慌の煽りであったり、農産物の不作による食糧事情の清国さから、
「農民は娘を売らなければ、その日の食糧お得ることができない状態」
 だったという。
 そんな日本を離れて、新たな王道楽土を求めて移転していく人もたくさんいて、
「日本国内の食糧問題」
 と、
「満州国での開発の人海戦術」
 という意味の政策を一気に解決できる、一石二鳥、いや一石三鳥くらいの効果を目論んでいたのだった。
 しかし実際の満州という土地は、
「王道楽土」
 などという言葉はまやかしであり、冬には零下数十度というほどの酷寒の状態で、想像しているほどの資源があるわけでもないので、日本にいても変わらない条項であった。
 だが、彼らの努力は財閥を肥えさせるというだけのものであり、財閥は軍部と結びついていることから、軍部の財源は財閥が受け持つようになり、彼らの発言力も増してくるのだった。
 日本が戦争に突き進んだと言われる、
「軍部の独走」
 というのは、このあたりから出てきた問題が、軍部という特権階級である日本の体制から、政府でさえ、どうすることもできなかった。
「陸海軍を統帥す」
 という言葉が憲法に書かれている以上、政府といえど、軍隊に何もいえないのだ。
 つまり、軍部は政府の下にあるわけではなく、政治から独立し、
「天皇直轄」
 ということになっている。
 当時の軍部はそれが難しかった。
 陸軍など(海軍も同じ体制であるが、言葉が違う)、陸軍省と、参謀本部とに別れていた。
 陸軍省はあくまでも政府の中の各省庁の一つであり、その長は陸軍大臣である。
 だが、統帥権という意味では、陸軍省が軍隊だとすれば、天皇直轄ということではない。実際に軍部として作戦の立案や軍紀などの決め事は、参謀本部が担うことになる。
 つまり、陸軍というのは、ある意味参謀本部のことで、戦時中に設けられる、
「大本営」
 というのは、この参謀本部と、海軍でいうところの、
「軍令部」
 が担っていることになる。
 ここは、前述のように、天皇直轄であり、政府には、口出しをすることができない。だからこそ、軍部が独断専行を行っても、天皇が後からでも勅令を発すれば、それは、最初から決まっていたのと同じことになり、政府も何も言えないのだ。
 ちなみに、大東亜戦争の時、日本における戦争指導者は誰なのか?
 ということになるが、結局はハッキリとしないと言ってもいい。
 何しろ政府の長である総理大臣は政府の人間なので、口出しをすることはできない。
 もし、総理大臣が陸軍出身者であったとしても同じことで、政府に入った時点で、天皇直轄の軍部の人間ではなくなってしまったからだ。
 軍部における陸軍の最高責任者は、参謀総長ということになる。
 これは明治の頃からの慣例としてあるのだが、
「陸軍大臣と、参謀総長は兼任してはいけない」
 と言われていた。
 ちなみに、陸軍三長官というのがあり、二つは前述の陸軍大臣と参謀象徴であるが、もう一つは教育総監と呼ばれるものがあった。同時期ではないが、そのみっつぃを歴任し、元帥に上り詰めた人は、二人しかいないといわれている。
 もっとも、元帥の上には、大元帥という地位があり、これは、軍の直轄の統帥である天皇のことである。
 兼任の是非については、権力が集中してしまって独裁に繋がるからだと言われていたが、実際に大東亜戦争になった時の首相兼陸相だった東条英機は、
「自分が戦争を始めたのに、戦争指導ができないというのは、理不尽だ」
 ということで、当時の参謀総長を退任させ、自分が参謀総長を兼任することを天皇に上奏し、認めさせたのだ。
 確かに、戦争を始めた張本人として、戦争指導ができないというのは、何ともはがいいことであろうか。