三者三様のタイムスリップ
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。ちなみに世界情勢は、令和三年九月時点のものです。それ以降は未来のお話です。まつしても、アニメや映画で、酷似した話もありますが、自分の考えを裏付ける材料として使用させていただいたことを、ここに感謝いたします。
勧善懲悪の自粛警察敵発想
今年十八歳になった鈴村つかさは、K女子高に通う普通の女子高生であった。友達もまあまあいて、話題性も乏しくはないので、友達の間にいても、それで浮いてしまうようなことはなかった。
大体、五〜六人くらいでいつもつるんでいる仲間であったが、いつも一緒にいたのは、金澤いちかという女の子だった。
友達内では、結構目立っているつかさだったが、グループから離れると、急にしおらしくなり、目立っていない様子が見て取れる。グループ内ではあまり目立たないが、他の学校の生徒と仲がよかったり、他の学校の男子と仲がよかったりと、意外と外部受けをするのは、いちかの方だった。
つかさは、そんないちかが羨ましかった。ただ、いちかもグループ内では誰とも個人的な付き合いはなかったが、つかさにだけは別だった。
「つかさからいろいろと教えてもらえるから、私はつかさと一緒にいるのよ」
と言っていたいちかだが、
「私もそれでいいのよ。いちかとは一緒にいて、いろいろ学ばせてくれるところがあるので、頼もしく感じられるくらいだわ」
と言っていた。
二人の間の、
「教えてもらう」
という言葉と、
「学ばせてもらう」
という言葉、似ているようだが、大きな違いがあった。
「教えてもらう」
というのは、あくまでも、先生から自分に対して教えるということであり、
「学ばせてもらう」
というのは、教えを乞う方から、積極的に、手本になる人を見て、独自に学ぶということである。
ということは、この会話だけから判断すると、二人の優位性はどちらにあるかというと、
「学ばせてもらう」
と言ったいちかの方にあるように思われるが、実際にはつかさの方にあった。
ただそれは、表から見てのことであって、二人の間では、完全にいちかの方に優位性はあったのだ。
「いちかには頭が上がらない」
というところまではなかったが、つかさにとっていちかの存在というのは、どうしようもないほどの存在に思えた。
それは、つかさが自分で望んだものでもなければ、相手がつかさでなければいけないはずなのに、その優柔不断さからか、いちかを気にしているという中途半端な状態、さらに、いちかという女性が、勧善懲悪なところがあることから、
「少しでも理不尽なことは許さない」
と考えるほどであった。
つかさといちかは、幼馴染であり、小学生の頃からよく知っていた。
小学生の時、二年生の時に何となく友達になってから、くっついたり離れたりを何度も繰り返してきたが、
「結局、二人はいつも最後は一緒にいることになっているんだね?」
といちかが言っていたが、それを聞いてつかさも、
「うんうん」
と頷いていたのだった。
「結局腐れ縁ということになるのかしら?」
とつかさがいうと、
「その言い方は酷いけど、結局その言葉に落ち着くことになるんでしょうね」
と、いちかがいうのだった。
いちかは小学生の頃から妙なことをいう子だった。誰にも見えないものが見えていると言ってみたりするので、どこまでが本気で、どこまで冗談なのか分からなかった。次第にいちかから友達は離れていって、そのせいで、いちかもどこか意固地な性格になってしまった。
そんないちかとずっと一緒にいるのは、つかさだけだった。
いちかも母親から、
「あんたは、いつもおかしなことばかり言っているので、まわりから嫌われるのよ。友達に対して、あまり変なことを言わないようにしなさいよ」
と言われていた。
どうやらその話を母親にしたのは、担任の先生のようで、、それだけ学校の先生は、いちかに対して、
「狂言癖のある子なんだ」
と思わせていたようだ。
狂言癖がある人は、結構嫌われる。特に小学生であれば、狂言癖のある子は、自分の知り得た情報を、絶対にまわりに話さなければ気が済まない性格であり、相手がどう思おうと、自分の意見を押し通し、訊きたくもないと思っている人にも、強引に押し切ろうとする。
そうなると、次第に敬遠されるようになり、それが一人二人と増えてくると、立場は完全に逆転してしまうのだ。
しかも、彼女はなまじ勧善懲悪なところがあり、自分では、
「正義感の塊り」
だと思っていて、いわゆる以前、伝染病が流行った時に流行した言葉である、
「自粛警察」
のようなところがあった。
彼女の言っていることは決して間違っているわけではないが、全体の意見を無視してでも、自分たちの意見を強引に押し付けて、間違っていないことをいいことに、相手を集中的に苛め倒すというような雰囲気を作り出すものであった。
警察組織というのが、絶対に世の中の善であるというようなことはないのに、
「治安を守る」
ということで、
「善であることが大前提だ」
という考えは正しいと言えるのだろうか。
今の世の中は、表向きはそうであるが、今から七十年以上も前の、戦前、戦時中と言われる時代には、
「治安維持法」
なる法律があり。
「治安を維持するためには、個人の権利を制限し、さらに、公共の福祉にそぐわない思想や発想は、弾圧されるべきだ」
という考えの元、
「特高警察」
なるものがあり、当時の共産主義者であったり、反政府主義者を強引に連行し、言葉にすることも恐ろしいような轟音を加えることで、国家を一つの思想にまとまらせるということをやっていた時代があった。
もっとも、この時代は、日本だけがしていたことではなく、世界のほとんどの国が戦争と背中合わせで生活をしていたので、戦争ともなると、国家総動員ということになる。つまり、
「有事においては、皇国の荒廃を担う意味で、別の思想は許さないという強硬手段に訴えなければいけない」
ということであった。
しかし、日本は敗戦を経験したことにより、占領国から、武装解除は元より、民主的な考え方を押し付けられ、自由というものを植え付けられた。
それまでが、自由や命までもが軽んじられた時代だったから、それらをすべて否定するという考えは、ありがたいものであった。
勧善懲悪の自粛警察敵発想
今年十八歳になった鈴村つかさは、K女子高に通う普通の女子高生であった。友達もまあまあいて、話題性も乏しくはないので、友達の間にいても、それで浮いてしまうようなことはなかった。
大体、五〜六人くらいでいつもつるんでいる仲間であったが、いつも一緒にいたのは、金澤いちかという女の子だった。
友達内では、結構目立っているつかさだったが、グループから離れると、急にしおらしくなり、目立っていない様子が見て取れる。グループ内ではあまり目立たないが、他の学校の生徒と仲がよかったり、他の学校の男子と仲がよかったりと、意外と外部受けをするのは、いちかの方だった。
つかさは、そんないちかが羨ましかった。ただ、いちかもグループ内では誰とも個人的な付き合いはなかったが、つかさにだけは別だった。
「つかさからいろいろと教えてもらえるから、私はつかさと一緒にいるのよ」
と言っていたいちかだが、
「私もそれでいいのよ。いちかとは一緒にいて、いろいろ学ばせてくれるところがあるので、頼もしく感じられるくらいだわ」
と言っていた。
二人の間の、
「教えてもらう」
という言葉と、
「学ばせてもらう」
という言葉、似ているようだが、大きな違いがあった。
「教えてもらう」
というのは、あくまでも、先生から自分に対して教えるということであり、
「学ばせてもらう」
というのは、教えを乞う方から、積極的に、手本になる人を見て、独自に学ぶということである。
ということは、この会話だけから判断すると、二人の優位性はどちらにあるかというと、
「学ばせてもらう」
と言ったいちかの方にあるように思われるが、実際にはつかさの方にあった。
ただそれは、表から見てのことであって、二人の間では、完全にいちかの方に優位性はあったのだ。
「いちかには頭が上がらない」
というところまではなかったが、つかさにとっていちかの存在というのは、どうしようもないほどの存在に思えた。
それは、つかさが自分で望んだものでもなければ、相手がつかさでなければいけないはずなのに、その優柔不断さからか、いちかを気にしているという中途半端な状態、さらに、いちかという女性が、勧善懲悪なところがあることから、
「少しでも理不尽なことは許さない」
と考えるほどであった。
つかさといちかは、幼馴染であり、小学生の頃からよく知っていた。
小学生の時、二年生の時に何となく友達になってから、くっついたり離れたりを何度も繰り返してきたが、
「結局、二人はいつも最後は一緒にいることになっているんだね?」
といちかが言っていたが、それを聞いてつかさも、
「うんうん」
と頷いていたのだった。
「結局腐れ縁ということになるのかしら?」
とつかさがいうと、
「その言い方は酷いけど、結局その言葉に落ち着くことになるんでしょうね」
と、いちかがいうのだった。
いちかは小学生の頃から妙なことをいう子だった。誰にも見えないものが見えていると言ってみたりするので、どこまでが本気で、どこまで冗談なのか分からなかった。次第にいちかから友達は離れていって、そのせいで、いちかもどこか意固地な性格になってしまった。
そんないちかとずっと一緒にいるのは、つかさだけだった。
いちかも母親から、
「あんたは、いつもおかしなことばかり言っているので、まわりから嫌われるのよ。友達に対して、あまり変なことを言わないようにしなさいよ」
と言われていた。
どうやらその話を母親にしたのは、担任の先生のようで、、それだけ学校の先生は、いちかに対して、
「狂言癖のある子なんだ」
と思わせていたようだ。
狂言癖がある人は、結構嫌われる。特に小学生であれば、狂言癖のある子は、自分の知り得た情報を、絶対にまわりに話さなければ気が済まない性格であり、相手がどう思おうと、自分の意見を押し通し、訊きたくもないと思っている人にも、強引に押し切ろうとする。
そうなると、次第に敬遠されるようになり、それが一人二人と増えてくると、立場は完全に逆転してしまうのだ。
しかも、彼女はなまじ勧善懲悪なところがあり、自分では、
「正義感の塊り」
だと思っていて、いわゆる以前、伝染病が流行った時に流行した言葉である、
「自粛警察」
のようなところがあった。
彼女の言っていることは決して間違っているわけではないが、全体の意見を無視してでも、自分たちの意見を強引に押し付けて、間違っていないことをいいことに、相手を集中的に苛め倒すというような雰囲気を作り出すものであった。
警察組織というのが、絶対に世の中の善であるというようなことはないのに、
「治安を守る」
ということで、
「善であることが大前提だ」
という考えは正しいと言えるのだろうか。
今の世の中は、表向きはそうであるが、今から七十年以上も前の、戦前、戦時中と言われる時代には、
「治安維持法」
なる法律があり。
「治安を維持するためには、個人の権利を制限し、さらに、公共の福祉にそぐわない思想や発想は、弾圧されるべきだ」
という考えの元、
「特高警察」
なるものがあり、当時の共産主義者であったり、反政府主義者を強引に連行し、言葉にすることも恐ろしいような轟音を加えることで、国家を一つの思想にまとまらせるということをやっていた時代があった。
もっとも、この時代は、日本だけがしていたことではなく、世界のほとんどの国が戦争と背中合わせで生活をしていたので、戦争ともなると、国家総動員ということになる。つまり、
「有事においては、皇国の荒廃を担う意味で、別の思想は許さないという強硬手段に訴えなければいけない」
ということであった。
しかし、日本は敗戦を経験したことにより、占領国から、武装解除は元より、民主的な考え方を押し付けられ、自由というものを植え付けられた。
それまでが、自由や命までもが軽んじられた時代だったから、それらをすべて否定するという考えは、ありがたいものであった。
作品名:三者三様のタイムスリップ 作家名:森本晃次