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三者三様のタイムスリップ

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「フランケンシュタイン症候群」
 なのである。
 さて、前述の、
「フレーム問題」
 というのは、まさにパラレルワールドの発想であり、ロボットがすべての可能性を考えてしまうことが問題なのだ。
「では、思考をいくつかのパターンに分けて、その中で判断させるようにすればいいのではないか?」
 という考えが浮かんだ。
 つまりは、
「無限にある可能性をいくつかのパターンに分けることで、無限を有限にできるのではないか?」
 という発想であるが、それは結構難しいことであった。
 どういうことかというと、
「無限の可能性をいくらパターンを決めて、そのパターンごとに考えさせても、結局はまた無限ループに入る混んでしまう」
 ということなのだ。
 考えてみれば数学の発想と同じである。
「無限をいくら何で割っても、その答えは無限でしかない」
 ということであった。
「ゼロには、何を掛けてもゼロである」
 という発想と同じではないだろうか。
 つまり、いくら細分化しようともm無限は無限でしかないというのが、このフレーム問題の今のところの結論であった。
 だから、三回目の実験を行ったのだが、今度は命令に対し、
「はい」
 と返事をし、洞窟の前に立ちふさがったが、その瞬間から動くことができなくなってしまったのだ。
 最初から、判断ができず、まるでどう動いていいのかが分からず、立ち竦んでいるだけだったのだ。
 これらのロボット工学に対しての問題は、タイムマシンにおける、
「パラレルワールド」
 と、ほとんど同じ発想だと言ってもいい。
「タイムマシンが開発できるのであれば、ロボット工学も進歩うるだろうし、ロボット工学が進歩することができれば、タイムマシンの開発も夢ではなくなってくるだろう」
 というのが、大方の科学者の発想ではないだろうか?
 ロボット工学の場合は、もし、フレーム問題がうまくいったとしても、それだけではまだ開発が成功したとはいえない。
 前述の、
「フランケンシュタイン症候群」
 の問題があるのだ。
 つまりは、ロボットの中に、最低でも、人間に害を加えること、人間の命令には従わなければいけないことなどが組み込まれなければいけないというものである。
 この原則を、
「ロボット工学三原則」
 といい、今から七十年くらい前、つまりは、世界大戦が終了して少ししてから、すでに提唱されていたことだった。
 この三原則を提唱したのは、
「アイザックアシモフ」
 という人で、アシモフは別に科学者でも、物理学者でもなかった。
 彼は何と小説家であり、この、
「ロボット工学三原則」
 という発想は、自分の小説のネタだったのだ。
 彼はアメリカのSF小説作家であり、ロボット開発に興味を抱き、さらに、
「フランケンシュタイン症候群」
 の考えを基礎にして、
「ロボットへの戒律」
 を考えたのであった。
 この三原則には、歴然とした優先順位がある。まずは最優先であるが、
「ロボットは人間を傷つけてはいけない。人間が危険に晒されるのを見て見ぬふりをしてはいけない」
 というものであった。
 第二の優先順位は、
「ロボットは人間の命令には従わなければいけない」
 というもので、三番目には、
「ロボットは、自分の身は自分で守らなければいけない」
 というものだ。
 だが、この優先順位にもいろいろな矛盾を孕んでいて、例えば、
「誰かを殺しなさい」
 という命令をすれば、優先獣医が働いて、その命令には従わないだろう。
 しかし、
「自分を破壊しなさい」
 という命令はどうであろう。
 その命令がどこまで本気なのかということを理解しておかないと、自分を壊してしまうことになり、本気でもないのに、ロボットを自ら壊すような命令を聞いてしまうとすれば、それは優先獣医に逆らっていることになる。
 だからこそ、この発想は、
「小説のネタの宝庫」
 と言ってもいいだろう。
 ロボット工学は、そういう意味で、まずは、
「フレーム問題の解決」
 そして、
「ロボット工学三原則を、矛盾なく遂行できるだけの発想を持ったロボットの開発」
 というのが必要になってくる。
 どちらにしても、科学の発展に不可欠な、双璧である大発明は、共通の問題が存在している。それが、
「パラレルワールドの発想」
 であり、パラレルワールドを解決できれば、科学の進歩は一気に進むことだろう。
 さすがに、半世紀以上も研究が続けられてきて、実際に開発ができていないのだ。不可能なことだったとも言えるだろう。しかし、逆にいえば、ひょんなことからとんとん拍子に解決してくるかも知れない。
「忘れている夢を思い出すこと」
 と、どちらの方が信憑性があるだろうか?
 時間にしても、発想にしても、原因があって結果があるわけなので、必ず次のステップが存在する。そこに無限の可能性が広がっているというのが、
「パラレルワールド」
 という考え方である。
 そのために、タイムマシンやロボットという双璧をなす二大発明が成立を妨げているのだ。
 ということであれば、
「もし、次の瞬間に広がっているパラレルワールドが、無限ではなく、限られたものだったとすればどうなるだろう?」
 という考えが生まれてくる。
 ロボット開発における、
「フレーム問題」
 というものも、
「無限をいくら細分化しても、元が無限なのだから、無限でしかない」
 という考え方になる。
「ゼロに対して、何をやっても、ゼロにしかならないように、無限に対しても、何をやっても、無限でしかない」
 だからこそフレーム問題は解決しないのだ。
 タイムマシンだってそうである。
 一旦過去に戻ってしまうと、再度やり直しになる。
「現在は、過去が確定していくことで形成された、まだ確定していない時間」
 と言えるだろう。
 それを強引に過去に戻ってしまい、過去が現在になってしまったのだから、今まで過去だった世界も、未来に変わってしまうのだ。ということは、
「過去に確定されたことが最後ご破算になってしまい、未確定になると、再度無限の可能性が広がって、自分が元いた現在が、違った形での現在になってしまう可能性が限りなく大きなものとなる」
 と言えるだろう。
 一度確定した過去を再度空にしてしまい、再度新たに作るための可能性が無限であれば、最初に確定したと思っていた過去が、まったく同じように進むという可能性は。
「無限分の一」
 と言っていいだろう。
 つまりは、無限であるということだ。
「一度過去に戻って、、それまで確定してきた過去をすべてぶち壊してしまうと、今までいた世界に戻れる可能性は皆無である」
 と言わざる負えないであろう。
 可能性とすれば、
「限りなくゼロに近い数字」
 と言えるだろう。
「無限を掛けると一になる」
 数学的に考えると、そういう理屈になるのだった。
 だが、考えてみれば、
「無限というのは、本当に存在するのだろうか?」
 この発想は、ゼロというものの存在意義と似たところがある。