三者三様のタイムスリップ
この中で矛盾を解決するようにするにはどうすればいいか?
ということになるのだが、その答えは、
「タイムマシンなどという存在は絵空事であって、時間をさかのぼるなどということはできっこない」
と考えれば。三すくみではなくなるのではないだろうか?
三すくみというのは、じゃんけんなどのように、それぞれが形成しあうという考えである。
一対一では、明らかにどれが強いのか、絶対的な関係であるにも関わらず、そこに、それぞれを抑止する存在のものが出現すれば、均衡を保つことができる。これが、ひょっとすると、タイムパラドックスを形成していて、その存在があるから、時間においての大きなトラブルが、この世界では認識されないのではないだろうか。
タイムマシンというものが本当に存在し。その存在を人間がうまく扱えるかどうか。それが、SF小説などのネタになるのである。
それに付随した考え方として、
「パラレルワールド」
というものがある。
「過去、現在、未来と、時間が規則的に刻まれていっていれば、未来が現在になり、そして一瞬にして過去になる。未来というのは、無限に存在している。現在から次の瞬間に開かれる未来は、通じているようで、実はその無限の可能性の中から、一瞬にして選ばれたものなのだ」
と言えるのではないか。
つまり、一度過去に戻ってしまうと、戻った過去から、もう一度やり直すことになり、またしても、無限の可能性の中から、一瞬にして、未来が決まるのである。
その未来が、時代をさかのぼる前に選ばれたものを、またちゃんと選んでくれるのかということの保証が、どこにあるというのだろう?
「過去に行って、少しでも過去を変えてしまうと、未来が変わってしまうのではないだろうか?」
と言われるのはそういうことである。
過去に戻ることは、果てしない危険を孕んでいることであり、パラドックスの宝庫だと言ってもいいだろう。
二十世紀中盤くらいから、
「未来の大発明」
ということで、二つの双璧となるであろう発明が考えられた。
その一つがこのタイムマシンであり、もう一つがロボットであった。
タイムマシンは、タイムパラドックスの観点から、
「不可能ではないか?」
と言われているが、ロボットの場合は、また違っていた。
ロボットの発想は、実際にはかなり前からあった。日本でも、カラクリ人形などが、江戸時代から存在していた。
だが今のロボットという発想は、
「電子頭脳を持っていて、人間のように自分の意志で判断し、動くことのできるものである」
というものだ。
だから、電子頭脳は、人工知能ということになるのだが、ロボットに思考能力を与えるということは、それだけ人間に近いものでなければならないのだが、悪となるものが入っていてはダメだという考えもある。
つまり、ロボット開発においては、二つの問題がある。
まずは、
「ロボットが、どこまで自分の意志で動くことができるか?」
というものであるが、これは、ある意味、タイムマシンの発想と似ているところがある。
それが、ロボット工学でいうところの、
「フレーム問題」
と呼ばれるものである。
たとえば、ロボットに、
「洞窟の中に燃料があるので、それを撮ってきてほしい」
と命令をしたとしよう。
すると、ロボットは、
「はい」
と言って、洞窟に入り、その燃料を撮ってこようとする。
その燃料の上には爆薬が置いてあり、動かせば爆発することになっていた。ロボットは、
「上の箱を動かせば、爆弾が爆発うる」
ということは分かっていたのだが、命令を最優先として、躊躇うことなく箱を動かし、当然のごとく、爆発して果てたのだった。
これは、ロボットは、
「理解はできているが、危機感を想像できず、ただ命令を遂行するだけの知能しか持ち合わせていなかったからだ」
ということである。
次に、そのロボットに、判断できるだけの知能を与え、そして同じ実験をしてみた。
ロボットは、同じように返事をして、洞窟の中に入っていったが、箱を発見した時点で動けなくなって、そのままタイムオーバーでまたしても、爆発して果てたのだった。
その時ロボットは、自分でいろいろ解釈をしてみたのだが、
「もし、箱に手をかけた時、壁の色が白くなったら?」
などという、まったく関係のないことまで頭の中で描いてしまい、無限に存在する可能性を勝手に思い浮かべてしまったことで、判断するまでに至らなかったのだ。
すぐに爆発してしまったが、爆発装置のない状態にしておけば、ロボットはいつまで考え込んでいただろう?
ひょっとすると永遠に考え込んでいたかも知れない。それだけ可能性というのは、永遠のものなのだ。
そう、この考え方がmタイムマシンの発想に似ているのだ。
「次の瞬間には、無限の可能性がある」
という、パラレルワールドの発想だ。
パラレルワールドの発想があるから、
「タイムマシンで、過去に戻り、また現代に戻った時、本当に自分のいた現代に戻ることができるのか?」
ということであった。
だが、ロボット工学の発想も同じである。
「ロボットが、次の瞬間を考えた時、パラレルワールドとしての可能性を模索してしまう。本当であれば、一つしかない未来を探し当てべ刈ればいけないのに、発送する時点で、無限にあるものだから、きっとロボットも、これで終わりだという妥協を許さないのだろう」
それが、ロボットにとっての命取りであった。
本来なら、命令があって目的に到達するために、考えなければいけないことは決まってくるはずだ。少なくとも、人間にはその判断ができるのだ。
しかも、人間はそれを無意識に行っている。だから、なぜ人間がちゃんと取捨選択ができるのかということが解明できないのであろう。
だが、理屈としては言われていることもある。
「人間には、過去から経験してきて、脈々と受け継がれた本能があり、それが遺伝子によって、代々受け継がれていく。そこで、何が必要なのかということを無意識に判断できるのであろう」
ということである。
それならば、
「ロボットに、人の遺伝子を組み込めばいいではないか?」
と言われるかも知れないが、これは実に危険である。
誰かの遺伝子を組み込むということは、その人の頭の中をそのままロボットに注入するということであり、人間とロボットでまったく同じ発想を持った存在がこの世にあらわれるということである。
そんなことが許されるのであろうか?
いくらロボットとはいえ、同じ知能や記憶、判断力を埋め込むということは、人間よりも強靭な力を持っているだけに危険である。
しかも、、感情というものが入っていないだけに、容赦はしないだろう。それこそ、
「フランケンシュタイン症候群」
というものであろう。
「理想の人間を作ろうとして、怪物を作ってしまった」
という話であるが、要するに、
「感情を持たないロボットが、狂ってしまうと、人間を襲いかねない。そもそも人間の役に立つように強靭に作ってあるので、人間では太刀打ちできない」
ということである。
自分たちのために作ったものが、自分たちを襲うという本末転倒な話が、この、
作品名:三者三様のタイムスリップ 作家名:森本晃次