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三者三様のタイムスリップ

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 そういう意味で、歴史の勉強をするというのは、タイムスリップものを書くのに、最低限必要なことではないだろうか?
 どのような時代背景があり、史実としてどのようなものが残っているかというのが大切なのだ。
 歴史というのは、必ず、線で繋がっているものだ。何かの事件があって、誰かによって解決されると、その人物が権力を握る。その人物の性格が野心家で、横暴な人であれば、まわりからの反感を買い、いずれは、滅びることになる。
 だから、ある意味、
「歴史はなるようにしてなっているのだ」
 と言えるのではないだろうか。
 もちろん、歴史を勉強することで、後追いとしての事実が分かるので、
「後からなら何とでもいえる」
 と言われるかも知れないが、歴史を知っていることが勉強になって、今後の自分たちの道を踏み外さないようにするための術を知ることになる。
 それが、歴史から学ぶということで、本当の歴史を勉強する意義だと言えるのではないだろうか。
 そんな歴史の勉強において、最近のテレビ番組では、歴史に興味を持ってもらおうという主旨からか、いろいろな視点から見る番組が増えている。
 昔であれば、歴史バラエティというと、クイズ番組か、教育テレビの学生向けの番組かくらいだったのだろうが、ある時、
「歴史というものを、もしも? という観点から見た場合、どうなるか?」
 ということをテーマにしたものがあった。
 これは一種の、
「タブーへの挑戦」
 であった。
「歴史にもしもということはない」
 という言葉を聞いたことがあると思うが、一度起こってしまった事件や出来事は、もうどうしようもないというのが昔からの考え方だった。
 しかし、歴史に興味を持ってもらうために、史実を教材として使うという方法に、結構視聴者がついていて、視聴率も結構あったりした。
 たとえば、
「坂本龍馬の暗殺がなければ」
「本能寺の変がなかったら」
「関ケ原で西軍が勝っていたら」
 などと、大きな事件や戦争の勝ち負けの中で、もしもが存在すればどうなるか、それが歴史というものに謎を与え、かなりの時代が過ぎ去ってしまってからではあるが、
「検証しよう」
 というのが、テーマであった。
 ラストで、テーマソングに載せて、その人物がどうなり、その後の時代にどのような影響を与えたかということを、史実に則って、ミニドラマにして流していた。
 それまで、散々、
「もしも」
 を描いておいての、最後の史実。
 これこそが、歴史の醍醐味なのではないかと思わせた。
 そんなもしもだけでも、数年毎週続くという人気番組になっていた。
 その番組が終わってからというもの、他の企画で歴史を斬るというキック番組が製作されていった。
 城であったり、人物、地域と言った切り口から、逆に史実を見るという話しであったりと、切り取り式のような話題から歴史を見るというのも、面白いのだろう。
 考えてみれば、本でもあるではないか。城に関しての本であったり、歴史上の人物などは、一人一人、文庫本になり、伝記のような形で記されている。それをテーマにバラエティを作っているというもので、それほど難しいものではないかも知れない。
 それでも、面白く感じるのは、スタジオに歴史に詳しくないタレントやアイドルなどを読んだり、逆にアイドルなのに、歴史に詳しい人を呼んでみたりして、視聴者の気を引こうというものだ。
 歴史を知らないアイドルなどが、トンチンカンな話をして、笑いを誘うと、大学教授がその話に答えているのだが、その答え方が、あたかも、視聴者の歴史を知らない連中に対して、腰を低くして答えているという様子に、歴史に興味のなかった人が引き込めらたりするのだった。
 どうしても、歴史が嫌いな人は、
「歴史とは、暗記ものの学問だ」
 と思っている人が多いのではないか?
 どうしても、年代であったり、事件に対して、誰が登場してくるか? であったり、年表の穴埋めのような形をイメージする人が多いからであろう。
 しかし、実際にはそうではない。
「歴史というのは、人の考えであったり、本能で行動する人間が引き起こす事件であったり、そのようなものに、時間の流れが絡むことで、次々に、事件と呼ばれるものが生まれてくる」
 と言えるのではないだろうか?
 逆にいえば、今のこの瞬間というのは、過去のどこからか分からないが、その瞬間から脈々と受け継がれているもので、それが自分の先祖から続く歴史なのか、それとも、人類の第一歩からの歴史として考えることなのかの違いだけであって、そのどちらも、同じ歴史であることに変わりはないのだ。
 歴史というものをどの時点で区切るかというのも大きな問題である。
 日本史などでは分かりやすいように、平安時代、鎌倉時代、江戸時代などと言った分かりやすい形に分類した形が歴史としての学問となっている。
 そもそも、歴史がどこから始まったのかということが謎なので、歴史の授業の最初としては、
「原始時代」
 から始まるのだ。
 人類が生まれてからを歴史とするのか、それとも、人類が文明を持つようになってからが歴史とするのかが難しいところである。
 しかし、考えてみると面白いもので、文明を起源とするのであれば、ほとんどの国では、最初に、神話なるものが存在する。
 日本でいえば、「古事記」、「日本書紀」などと言った、八百万の神々であったり、欧州であれば、「ギリシャ神話」、「ローマ神話」などと言ったものがある。
 そこまで親交があったのか、ギリシャ神話とローマ神話ではかなり酷似したところがある。
 神々も、
「海の神」、「美の神」
 などと言われているものが、それぞれにいて、
「まるでマネをしたのではないか?」
 と思われるような話があったりする。
 そういう意味で歴史というのは面白い、
「来たアフリカと、南米とまったく違ったところなのに、同じようにピラミッドが存在していたりするのは、どういうことなのか?
 ということである。
 コロンブスがアメリカ大陸を発見する前に、エジプトと、メキシコで交流があったというのか? これも歴史の謎の一つである。
 そういう、
「歴史の七不思議」
 と言われるものは、結構昔に多かったりする。
「宇宙人説」
 が出てくるのも、無理もないことだ。ピラミッドにおいても、神話にしてもそうでありゅが、南米ペルーのインカ帝国なども宇宙人説が根強いところである。
「ナスカの地上絵」
 であったり、
「マチュピチュの天空の要塞」
 であったり、まるで空から何らかの力がないとできないことである。
 さらに、ピラミッドにおいても、太陽の光と微妙に結びついているようで、綺麗な正三角形であったり、幾何学的な証明がなければできるはずのない作りであったりが、数千年前の古代にできるはずはない。
 それを可能にするのが、宇宙人の飛来ではないかという意見であるが、無謀な意見として片づけられるであろうか?
 タイムスリップなどの話や、歴史上の七不思議などを考えてみれば、そのすべてがSFであり、ミステリーであり、少なくとも、何かの力が働いていなければ、成立しえないことではないかと言えるのではないだろうか?