三者三様のタイムスリップ
目の前に確かに存在はしているのだが、そこにあって当たり前というものは見えていても、意識されない存在、その代表例が、
「路傍の石」
というものである。
そんな路傍の石であるつかさは、自分が見えているのに、相手に気にされないという、まるでマジックミラーのような現象に、最初から慣れていたような気がする。
普通の感覚であれば、相手に見られていると、反射的に見られないようにと隠そうとするものではないだろうか。それが本能的な行動であるのだが、それは自分を、
「路傍の石だ」
と思っているとしても、本能には勝てないということであろう。
しかし、つかさはすでにその感覚が本能として最初から備わっていたのではないかと思える。そんなことを考えていると。
「まさか、私の前世って、路傍の石だったんじゃないかしら?」
と思うようになった。
普通であれば、そんなバカなことはないと否定するだろう。何しろ、路傍の石というものは生類ではないので、輪廻転生には至らないということが分かっているからである。
しかし、つかさは、それならばと考えたのは、
「路傍の石って、本当は命があって、輪廻転生の対象物なのかも知れない」
と思ったのだ。
路傍の石というものが生類ではないという理屈は、人間の勝手な思い込みであって、
「まったく動かないものは、生類ではない」
という考えが、ひょっとすると、そもそもの間違いではないかと言えるのではないだろうか。
つかさは独特な考えを持っているため、まわりの人から気持ち悪がられていた。
隼人も最初はつかさのことを、
「近づいてはいけない人だ」
と思っていたが、付き合っているいちかの親友ということで、どうしてもそばから遠ざけることはできなかった。
隼人は元々、再生能力というものに意識が高かった。ケガをした時に、ケガを治そうとする力が人間だけに限らず、生類にはあるということがある意味不思議だったのだ。
けがをして、血が出てくると、すぐに血が固まって、それ以上流れなくなったり、トカゲなどは、尻尾を切られてお生えてくるというではないか。
隼人はこれを、輪廻転生の理屈と組み合わせて考えるようになった。都合のいい考えであるが、辻褄を合わせようとするものではないかと思うのだ。
生き物の身体は、そのすべてが何らかの形で必要なものである。
生きていくうえで必要なものであったりするわけで、無意識な行動によるものであると思っている。
爪が取れてしまった時でも、その剥がれたところは、綺麗にはなっていなかったりするだろう。しかし、一日か二日で、剥がれた部分が綺麗に生えているのを見ると、
「生類の再生能力というのは、辻褄合わせを行っているんだ」
と考えるようになった。
そんなことを考えている隼人は、
「自分以外に、こんな変なことを考えている人はいないだろう」
と思っていた。
こんなことが他の人に知れたら、きっとバカにされるに違いないと思い、付き合っているいちかには特に悟られないようにしていた。
幸いなことに、天真爛漫ないちかは、天然なところがあり、あまり相手のことをいろいろ詮索する方ではなかった。ある意味、
「他人に興味がない」
と言えるのかも知れないが、隼人にとっては、それは好都合な気がした。
女の子というと、
「自分のことを相手が気にしてくれていないと我慢ができない」
と思う人が多いのだろうが、自分自身が他人にさほど興味がないのだから、相手にそれを押し付けるということはできなかった。
そういうところはケースバイケースだと思っていたので、ある意味淡白だと思われるところがあった。
いちかが、つかさと仲がいいのもそのあたりの性格が要因しているのではないだろうか。つかさも、あまり他人のことをいちいち気にするようではなく、好き勝手に考える方であった。
いちかと隼人は一度、再生能力のことで、会話を膨らませたことがあった。
最近のことであったが、いちかの方は、かなり前のことだったように感じるほど、忘れっぽい性格だった。
しかも、会話の後数日間は、かなりハッキリと内容を覚えていたはずなのに、今ではからっきし忘れてしまっていたのだ。
それは、忘れかけたその時、まるで夢から覚めつつある時のように、徐々に忘れていっているということを意識していた。
それが、再生能力について話をしたことだという意識はあるのだが、忘れていくことを止めることはできなかった。
それが、
「目が覚めるにしたがって」
という意識に近いということが分かったからだ。
目が覚めていくのと、夢を忘れていくことが、いかなる因果があるものか、ハッキリとはしないのだが、今回は、何かの因果のようなものを感じた。
「前の日が、本当に昨日だったのかということが不思議なくらいだった」
というものだったのだ。
実はこの意識は、いちかには何度か感じたことがあった。
そのたびに、
「私は、きっと田淳人格なんだろうな」
と思うようになっていた。
この思いは、実は間違いではないと、近い将来に感じることになるのだが、それは、自分が多重人格だと感じているというのと同じように、まわりからも、いちかのことを、
「彼女は二重人格なんじゃないか?」
と思われていたからだ。
彼女のそばにいる人は、結構感じているのは間違いないようなのだが、その感覚は幅広いものであった。
単純に、
「裏表がハッキリしているというか、裏表が分かりやすい人のようだ」
という思いである。
そもそも、
「裏表のない人間なんていない」
という考えの人が、いちかのまわりにはいたので、裏表があること自体、さほどのことではないのだが、それが相手に悟られやすいとなると、
「勘違いされやすい人なのかも知れないな」
と感じられるようになったのだ。
さらに、いちかに対して、
「裏表が、そのまま二重人格なんじゃないか?」
と考える人がいた。
そして、その考えの延長線上に、
「裏表をハッキリさせているというのは、二重人格を自分で意識しているので、それをまわりに悟られたくないという思いから、わざと裏表を二重人格から来るものではないと思わせたいという無意識の意識なのかも知れない」
というものがあるのではないかと感じている人だ。
そして最後に、それらすべてをひっくるめて、
「いちかは、多重人格なんだ。しかも、その多重の中には、姑息な手段を使おうとするようなところがあり、それはいちかの中にはないもので、誰かから、マインドコントロールを受けているのではないか?」
というものであった。
ということは、
「いちかは、洗脳されやすいタイプの人間だ」
という発想に至り、さらにそこから、
「多重人格にみえる人は、洗脳されやすい人が多く、多重に見える一つの性格は、誰かから洗脳されたものではないか?」
と言えるのではないかと感じていた。
いちかが、わざと二重人格を感じさせるふるまいをしていると考えているのは、隼人だった。
作品名:三者三様のタイムスリップ 作家名:森本晃次