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逆さに映る

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 ドラマなどを見て、妊婦がいきんでいる姿を知っていたので、大変だということは分かっていたが、本当に妊婦というものをずっと見てきていると、よく分かった気がしていたのだ。
 いよいよ母親も体力が回復してきて、退院ということになってくると、家の方でも、赤ん坊を迎え入れる体制が整っているので、
「家族が一人増えるんだ」
 という感覚が大きくなっていたのだ。
 とは言っても、まだ手のひらサイズと言ってもいいくらいで、まるで犬や猫の子供を見ているようで、
「これがお前の妹だ」
 と言われてもピンとくるはずもなかった。
 それよりも、見ているとずっと寝ているので、子供心に、
「幸せそうに寝ているな」
 という思いが強かったのだ。
 しかし、そのうちに、夜泣きもひどくなり、ミルクの時間も増えてくる。何が嫌といって、部屋に子供の臭いが充満しているのはたまらなかった。
「よくこんな臭い、我慢できるよな」
 と思っていた。
 中学生になったことと、妹ができたことで、自分の部屋を別に持てるようなマンションに、やっと引っ越すことができ、自分の部屋にもカギがかかるようになって、やっとプライバシーが守れると思うと、嬉しかった。
 小学生の頃までは、そんなに部屋を別にしてほしいとまでは思わなかったが、いざ部屋を別にしてもらうと、もう一人部屋でなければ我慢できないという感覚になってきたのだった。
 この思いは、
「思春期になってきたからだ」
 と思うようになった。
 義理とはいえ、母親の咲江さんと一つ屋根の下に住んでいるというだけで、変な気持ちになった。女として見ているからだとは思っていたのだが、その思いが強いからか、退院してからの咲江さんを見るのは、ある意味堪えがたかった。
 それは、子育てをしている咲江さんの姿に、まったく想像もできなかったほどの、やつれた雰囲気を感じるからだ。
「何があっても、物どうじしない雰囲気を醸し出していたのに」
 という意識があったからで、その堂々とした佇まいに、
「大人の女:
 を感じていた。
 大人の女というのは、余裕を感じさせ、絶対に、時間に追われるような素振りを見せないものではないかと思っていた。
 本当は時間に追われているにも関わらず、家族や目下の人には絶対に見せてはいけない領域を持っているのだと思っていた。だから、大人の女には余裕が感じられ、人を引き付ける力があるのだろう。
 だが、今までそんな雰囲気しかなかったはずの咲江さんが、自分の子供に完全に翻弄されている。
 生まれたばかりの子供に、それまでのすべてを否定されているかというほどのその姿に、想像もしていなかった様子は、驚かされるばかりであった。
「咲江さんがあんなになるなんて」
 と、それまで感じていた大人の女という雰囲気が瓦解していくのを感じたのだ。
 そう思っていると、
「もう、どこにも大人の女なんて存在しないのではないか?」
 と思わせ、思春期になった自分のこの気持ちをどこに発散させればいいのか、考えさせられる。
「大人の女を感じることができるように、思春期というものは存在している」
 と思っていた。
 しかし、今まで感じていた大人の女というものが、自分の中で瓦解したことで、新たな大人の女を果たして感じることができるものなのかと思うようになった。
 それはきっと最初に感じた大人の女である咲江さんと同じような相手を本当に探すことができるかという思いに駆られるからだ。
 しかし、それは実に難しかった。
 そもそも、同じタイプの女性を見つけること自体、難しいことであった。あくまでも、咲江さんへの印象派幻影であり、自分を子供としてしか見ていなかった咲江さんを、自分の理想の女性のように思おうとするのは、無理があった。
 もう一度、咲江さんを頭の中からリセットして、自分と同じ高さの女の子に対して、
「大人の女」
 を感じさせる相手というものを探す方がきっと、楽なのだろう。
 しかも、他の連中は彰浩が感じているような、大人の女を他の誰からも感じたことはないだろう。
 大人というものがどういうものなのかを知る前に、大人の女を感じたというのは、背伸びした少年ということであり、背伸びした少年は、大人の女から見れば、可愛い子供でしかないのだ。
「ちょっと遊んでみようかしら?」
 などと思う女性も少なくはないだろうが、それは決して大人の女ではない。
 思春期の男の子は、そんな大人の女に遊ばれてみたいというちょっと変わった願望を持っていたとしても、それは無理もない。なぜなら、身体が大人になっていくことに気づいていないからだ。
 人を好きになると身体が反応する。抑えることができないような欲望が、身体の奥から湧いて出る。ムズムズした感覚が気持ち良かったりもするのだが、これが、精神よりも身体の方が先に大人になっていく感覚であり、アンバランスな生育を初めて感じるこの期間を、誰もが通る時期だということを意識しながら、過ごしているのであろう。
 中学生になって、まさか自分が子守をすることになるなど、想像もしていなかった。小学生の低学年で子守をしているイメージは持っていたが、さすがに中学生ともなると、少し恥ずかしかったりする。
 まるで、昔話に出てくるような光景を思い出していたが、そんな簡単なものではない。散歩させようとしても、道を歩いていても人がいっぱいで、公園に行っても、結構大変である。
 母親とすれば、
「彰浩君は、もう中学生なんだから、大丈夫よね?」
 と思っているだろうが、思春期になっているということを忘れているのかも知れない。
 クラスメイトの女の子だけではなく、同世代の連中すべてに対して恥ずかしいと思うだろう。
 自分が親になるには、まだ早く、妹を持つには年を取りすぎているという中途半端な年齢で、相手は何も分からない子供なのだから、感謝の気持ちなどあるわけもない。
 それでも子守をするのは、ひとえに、
「咲江さんに喜んでほしい」
 という気持ちがあるからだ。
 咲江さんに子供ができると、もう母親になってしまったのだから、咲江さんを女として見ることはできない気がしていた。
 しかし、母親として見ることもできず、その悶々とした気持ちは、やはり母親というイメージになってしまうのだ。
「だったら、妹を兄として可愛がるのも無理もないことだ。それによって、咲江さんが喜んでくれるのであれば、それでいい」
 と思うようになると、子守も苦にならない気がしていたのだ。
 だが、実際に子守をしてみると、母親としては、
「お兄ちゃんなのだから、子守は当然の仕事だ」
 とでもいうような態度を取られてしまうと、せっかく咲江さんを母親としてみてやろうという気持ちだったのが、またしても、そうもいかなくなってくる。
 そんな思いを抱きながら、不本意な気持ちの中でも子守をしていると、子供に対して開いちゃうが湧いてきた。
「これが俺の妹なんだな」
 という感覚である。
 自分が高校生になると、やっと彼女もできた。中学時代は、悶々とした思春期を過ごしてきたが、子守がその気持ちを和らげてくれていたような気が、高校生になってからしてくるようだった。
作品名:逆さに映る 作家名:森本晃次