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逆さに映る

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「子供さえいなければ、同い年の女の子と同じように青春を満喫できたのに」
 と思っていたようで、実際に、子育ての最終、急に苛立ってしまって、子供の彰浩につらく当たったりしていたようだ。
 次第に子供の彰浩を虐待するようになり、それを見かねた父親が養護施設に相談したところ、最終的に、母親から子供を引き離す必要があるということになり、母親と父親はそのまま離婚。最初は養護施設にいた彰浩だったが、父親に引き取られることになったのだ。
 彰浩も、その頃には救済くらいになっていた。父親もまだ若かったので、アパートの近くにあった惣菜屋さんでアルバイトをしていた女性と仲良くなった。
 最初は、若いのに、一人で子供を育てているのに同情したのだろう。時々、サービスしてくれる彼女に父親も気を許すようになった。お互いに好きになったのだろう。何と言っても、二人とも純情だったのだ。
 彰浩の母親は、明らかに酷い女だった。付き合っている頃は、一緒にいるのが楽しかった青春時代。二人とも、子供ができることなど想像もしていなかったというのは、本当に甘かったというべきであろうが、父親の純粋さゆえの甘さと違い、母親の方は、
「楽しければそれでいい」
 という、事なかれ主義だったのだ。
 そんな母親なので、子供ができたことで慌てた。そして父親に相談すると、父親もどうしていいのか分からずに、オドオドしている。
 最初から頼もしいと思っていたわけではないが、肝心な時にオドオドしている父親を見て腹立たしさと、これから以降は自分が主導権を握れるという思いがあったのだろうが、実際に結婚して子供が生まれてしまうと、自分がそれどころではなくなってしまった。自分が慌てふためいているのに、何もしない父親への不満も相まって、精神的に病んでしまったようだった。
 そういう意味では母親も気の毒であったが、やはり、父親の優柔不断さが招いた悲劇だったのかも知れない。
 だが、こういうことは、毎日のようにどこかで起こっていることだった。結局父親に引き取られた彰浩も、すでに小学生になっていて、母親のいないことが、少し気の毒だと父親自身も思っていたので、惣菜屋の女性のことが気になって仕方がなかったようだ。さすがに、その頃になると、父親も勉強したのか、前ほどオドオドとはしなくなった。ただ、純粋さは変わっていないことで、惣菜屋のお姉さんとの距離は、どんどん縮まっていったのだった。
 もちろん、八歳になる子供がいるということは分かっていた。それでも、彼女は結婚してくれると言ったのだという。そして、それから半年ほどで結婚。子供がほしいのかと思っていたが、
「確かに子供はほしいんだけど、今は彰浩ちゃんと仲良くなるのが先決だと思うの。そうじゃないと、生まれてきた子供に対して彰浩ちゃんが偏見を感じたりすると、それは私も嫌だからね」
 と言っていたという。
 最初はさすがに、彰浩も新しいお母さんと言われてもピンとこなかった。本当の母親のことは何とも思っていなかったので、別に嫌ではなかったが、それでも、いきなり知らない人を、
「お母さん」
 と言えと言われても無理があった。
 しかし、義母は別に、
「私のことを無理してお母さんと呼ばなくてもいいからね」
 と言っていた。
 しかし、父親は、
「無理してでも言わせる方がいいんじゃないか?」
 と言っていたそうだが、さすが子供の心は母親の方が分かっているようで、
「無理に言わせても反発するだけよ。あなただって、あの子くらいの年の頃があったわけでしょう?」
 と言われると、父親もそれ以上は何も言えなかった。
 彰浩が、義母に心を許せるようになるまでに、二年くらいはかかったであろうか、八歳くらいの子供が感じる二年というのは、今から思い出せばあっという間だったのだが、当時とすれば、果てしなく長かったような気がする。
「先が見えているのと、見えていないのとの差なんじゃないだろうか?」
 と、今からであれば、そう思う。
 大きな吊り橋を渡ろうとしている時、途中で後ろを振り返ると、
「まだこれだけしか来ていないのか?」
 と感じる時と、
「こんなにも来ているのに、まだまだ全然ゴールに近づいていない」
 と感じる時と、それぞれの気がした。
 その時々の精神状態にもよるのだろうが、きっと後者の方が普段の自分なのではないかと、彰浩は感じるのだった。
 それが、ゴールが見えている時と見えていない時の差なのではないかと気付いたのは、高校受験の時で、ゴールは決まっているが、今自分のレベルがどのあたりにいるのか、想像もつかなかったからだ。
 学校や塾の先生は、いろいろと指導してくれる中で、同じことを言ってくれるのであればいいが、学校の先生からは、
「今のまま続けていれば、合格できそうだ」
 と言われ、塾の先生からは、
「そんな成績では、ランクを落とさなければいけないな」
 と言われたりしたものだから、自分でも疑心暗鬼になってしまった。
 学校の先生は、おだてたりすかしたりすることで、生徒が実力を発揮できると思っている人で、塾の先生はいかにも現実的で、ニュートラルの部分を作ろうとしない人だという、二人の性格の違いから、板挟みにあった生徒の方は、後ろを向くと、学校の先生の言っていることを感じ、前を向くと、塾の先生が言っていることを感じることで、自分が今どこにいるのか分からないということを、吊り橋の上にいる自分を想像させるのだった。
 しかし、何とか高校にも合格できたことは、何がよかったのかというと、
「疑心暗鬼に陥った時は、最後は開き直って、自分の感覚に任せることだ」
 と感じたことで、自信のようなものが生まれたということがよかったのだと思うようになった。
 おかげで、大学受験も国立大学に進むことができ。金銭的な負担を親にかけることがなかったのをよかったと感じたのだった。
 だが、まだ八歳の頃というと、成績もよくなく。スポーツも苦手。いつも一人でいるような暗い少年だった。
 そんな時、新しく母親になる惣菜屋のお姉さんとよく遊んでもらったという思いはあり、寂しくなかったのは、そのおかげだと言ってもいい。
 ただ、それが母親ともなると少し事情が変わってくる。今から思えば、お姉さんのことを慕っていたという気持ちが、初恋だったのではないかと思うことで、戸惑いがなかなか消えなかった。
 頭の中で分かっているつもりだったはずだ。それなのに、どうして母親としては許すことができなかったのか分からなかったのは、初恋だと認めたくないという思いもあったからなのかも知れない。
 だが、母親になってみると、気持ちが少し変わってきた。本当は甘えたいという気持ちがあったのだが、一度は好きになった相手である。それを自分で認めたくないという気持ちは、自分と同じ気持ちを父親も持っているということであり、
「お姉さんは、お父さんを選んだんだ」
 ということであった。
 大人のお姉さんが、恋愛対象として子供を選ぶわけはないということくらい、いくら子供でも分かるというものだが、理屈では分かっても、それを受け入れることができるほど、まだ成長していない。
作品名:逆さに映る 作家名:森本晃次