逆さに映る
だが、考えてみると対面に映っているのだから、左右が対称なのは当たり前ことである。自分の下にある本当の身体と、対面では当然対称なのだろうが、上下においては、どうして違わないのか?
誰もそのことについて疑問に感じたことはないような気がする。誰かが話題にしているのを聞いたこともない。
逆にいうと、こんな当たり前の疑問が打ち消されるほど、膨大な情報に包まれて、世間は時間というトンネルの中を歩んでいるということなのだろう。
時間というのも、考えてみると、スパイラルのようなものだという本を読んだことがあった。
時間という渦のトンネルの中を進むというタイムマシンの発想は、あながち間違っていないような気がするのは、彰浩だけであろうか?
らせん階段のようになっていて、そこからたまに時間が、いわゆる、
「時空を飛び越える感覚」
というワープと呼ばれるものがあり、それを使えばタイムトラベルも、理論的には可能だと言えるのではないだろうか。
そしてらせん情になっている以上。同じ空間にいくつもの世界が広がっているという、
「パラレルワールドの発想が息づいていると言っても過言ではないだろう」
と言えるではないだろうか。
遺伝子であったり、生物の生命というのは、
「エネルギーと言えるのではないだろうか?」
と言われているが、電気を発生させるものに、コイル状のものがあるというのは、らせん状の発想と酷似しているようで、当て嵌まっている発想ではないだろうか。
その発想が遺伝子と関わりあって考えられるようになると、
「近親相姦の何がいけないのか?」
ということを考えるようになった。
そもそも、肉体的な障害者が生まれるということからの危惧だったはずなのだが、歴史を見てみると、昔などは、近親相姦をすることで、家を保ってきたという歴史も存在するくらいで、
「家を守るためなら、近親相姦もやむなし」
と考えている人も実際にはいたのだろう。
果たして、近親相姦でどれだけの障害者が生まれてきたのかということを考えると、どこかにデータはあるのだろうか?
確かに、説得力のある回答を得ることができたのだが、そもそもの考え方として、
「近親相姦は悪いことだ」
という発想は、何か根本的な話としての、問題の筋が散っているのではないか。
近親結婚と混乱しているからではないだろうか?
問題は、
「できた子供に障害者が多くなる可能性があるから」
というものであるとするならば、
「避妊してさえいれば、まったく問題なのではないか?」
ということである。
「愛し合ったことで、近親交配をする。そのために子供が生まれて、その子に障害の可能性がある」
という発想があり、どうして、避妊ということを考えないのか? と誰も思わないのだろうか?
避妊さえしていれば、子供が生まれることもない。誰にも黙っていれば、後ろめたいという気持ちにならなくてもいいはずだ。
それなのに、誰も避妊という発想を持たないということは、近親相姦というものが決して、
「障害者が生まれるということ」
に対しての問題だけではないということなのだろうか?
そこで考えられrのは、宗教的な教えという問題である。
基本的に法律に定められていることは、主うきゅでもご法度と言われることが多い。
「人を欺いてはいけない」
「人を殺めてはいけない」
などと、言われる戒めは、今の詐欺罪であったり、殺人罪などという、
「人間が犯してはならない罪」
ということではないだろうか?
ただ、これらの基本的な罪は、太古の法律から育まれてきたもので、形を変え、品を変えてきたものが、今の法律になっている。
その中に、
「血が交わってはいけない」
というものがあるのかどうか分からないが、実はギリシャ神話などでは、結構血が混じり合っている者が多かったりするだろう。
しかし、基本的に神話の世界は、神であったり英雄であったりする特別なものが出てくる世界であるので、そんな連中には、下々の一般市民とは一線を画することで、近親相姦などのような曖昧なものは、タブーとされてきたということなのかも知れない。
それがいかに伝わって、近親相姦は悪だということにしてしまい、
「近親相姦では、障害者が生まれる可能性は高い」
ということと、ひょっとすると政治的な含みで、わざと近親相姦を悪として考えるようになったのかも知れない。
彰浩は、そんな風に考えれば考えるほど、今までの思い込みが何だったのか? と疑問に感じるようになってしまった。
一度、タガが外れてしまうと、今までの感覚とは違った目で、いちかを見るようになった。
しかも、どこか後ろめたさはあるのだが、それは決して、
「悪いことをしている」
という感覚とは違ったものであったのだ。
だから、後ろめたさや自己嫌悪だと思っているのは、単純にときめきであり、好きになった人に対する純粋な内に籠った性格の表れではないかと思うのだった。
実はいちかも同じようなことを思っていて、いちかは、彰浩を見ながら、
「鏡のように感じていたのよ」
というではないか。
それは自分を写す鏡であり、
「鏡がなくても、お兄ちゃんを見ていると、そこに鏡があるような気がして、そうね、お兄ちゃんの瞳に映っている私を感じることができると言えばいいのか。でも不思議なことにね、お兄ちゃんの姿は、上下にでも左右と同じような対照が見えてしまうのよ」
というのであった。
「お兄ちゃんも感じていたんだ。どうして鏡に映る姿が、左右は対称なのに、上下は対称ではないのかな? ってね。考えてみれば、左右対称とはいうけど、上下対称とは言わないものね」
と、いちかは言った。
「俺はいちかのことが好きだ。理由なんかなくてもいい。近親相姦、近親交配などと言われて罵られてもいい」
と、その時は完全に、どうなってもいいという思いでそういった。
その気持ちで言わないと、自分の気持ちにウソをつく気がしたので、そういったのだ。
「お兄ちゃん、嬉しいわ。私もお兄ちゃんが好きよ」
と言って、いちかは、私にしがみついてきた。
彰浩は口が腫れ上がるくらいに唇を吸ったが、
「ああっ」
という声が漏れてくるのを聞くと、
「私がお兄ちゃんの目の中に映っているのね」
と、気持ちもとろけてしまうかのような声を、彰浩の耳元に掲げた。
「ああ、そうだよ。逆さまに写っているかい?」
と聞くと、
「ええ、逆さまに写っているわ。きっと、これは私たちにしか起こらないことかも知れないわね」
といちかは言った。
「ああ、そうだね」
と同調したが、本心は違っていた。
「俺たちだから、そんな風に写るというよりも、近親交配だから、そうなんだと俺は思うんだ。そう思った方が、近親交配ということに対して、自分たちの信憑性を表しているようで、それが俺の望んでいることだと思うと、罪悪感が少しずつ消えていくからな」
と言いたかったが、さすがに言えないと思った。
では、いちかには罪悪感があるのだろうか?
彰浩は必死になって、いちかの瞳の中の自分を探した。
だが、見つからない。どういうことなのだろう?
「いちか、いちか」