逆さに映る
受験であれば、滑り止めという言葉を使ってもいいくらいの会社に、かろうじて入社できたのだが、地元でも中級といわれるくらいの金融関係の会社だった。
地元のマンモス私立大学がほとんどのその会社。まさか国立を出た彰浩が入社してくるなどとは思っていなかっただろう。
上司もさぞかし扱いにくいと思っただろうが、その思いは外れてはいなかった。彰浩は会社に入ってから、まわりの人を自分でも気づかないうちに、偏見の目で見ていたのだ。
まわりの人は、それくらいのことは最初から分かっていた。分かっていて、
「できた人なら、偏見の目で見たりはしないよな」
と思っていたのだが、やはり偏見の目で見てきたので、彰浩に対してn視線は、かなり冷たいものだった。
しかも、相手は派閥だと考えれば、大派閥で、こちらは、少数派というよりも、ただの単独でしかないので、太刀打ちできるはずもない。
会社では干されてしまった。自分では、
「どうして干されなければいけないんだろう?」
と思っていたが、理由がないわけではないだろう。
それを、まわりからのただのやっかみだと思ってしまうと、もう、まわりを偏見以外で見ることはできなくなってしまう。
「俺は国立大学を出ているんだぞ。下々のお前たちとは違うんだ」
と思っていたが、それこそまさしくSのようではないか。
だが、自分はSではないということが分かっているので、いくらそう感じたとしても、しょせんは、
「負け犬の遠吠え」
でしかないだろう。
自分が Sではないと分かっているにも関わらず、Sとして振る舞わなければいけないと思ったことで、そこに大きな溝が生まれ、交わることがないいつもの平行線を描いてしまうのだった。
今回は、ある程度分かっていて、それに抗うことができない自分の苦しい立場を自分で分かっているところが難しいところだろう。
分かっているだけに、逆らうことができない辛さ、もう少し自分がSではないと感じた時に、教訓として学び取っておけば、このようなことはなかったのかも知れない。
上司から受ける仕打ちは、皆パワハラに思え、しかも見方は誰もいない。黙っているだけで、心の底では、
「ざまあみろ」
と言っているのだ。
そんな状態を、中学の頃の苛めのようだと思っていたのが誰であろう、その時に苛められていたというのは、彰浩だったのだ。
どうして苛められていたのか、自分では分かっているつもりだったが、その時の気持ちを忘れてしまっていた。いや、覚えているのは、苛められたことであって、どうして苛められていたのかということの根本を思い出せなかったのは。
「あの時と今とでは、大人と子供の違いもあるので、仕方のないことだ。それに自分はその時のことは克服しているのだ」
と感じているからだと思うのだった。
就職してから三年目くらいになって、仕事にも慣れてきた。最初の頃は、同僚も先輩も、皆蔑んだような目で見ていた。
「国立大学まで出ているくせに、オタオタしているのを見ていると、見苦しい」
とでも言いたげであった。
どこの大学を出ていようとも、分からないものは分からない。初めて携わる仕事というのはそういうものではないか。まわりの人は必要以上に学歴に過敏になっているのか、どうしても上から目線というのがぬぐえなかった。
目力によるパワハラに、さすがに疲れ果てていたが、それでも何とか耐えていると、馴染めるようになってきたのだ。
それでも、自分でも感覚がマヒするほどになっていて、何がきついのか分からないくらいになってしまっていた。それは、結構精神的にやられているということであるが、まわりから見てどのように写ったのだろう?
本人は、半分ラリっているかのように感じたのだが、ラリっていると言っても中毒状態ではなく、どちらかというと夢遊病のような感じであった。
中毒状態であれば、誰も近寄ることもないだろうが、夢遊病であれば、さすがにまわりも少し気になってしまうようだった。
「責任問題になったら大変だ」
ということで、上司が今度はおべんちゃらを使うようになっていて、完全に立場は逆転していた。
これが、もし、最初から分かってこのような行動をとっているのだとすれば、彰浩も相当なものであるが、そんなことはなかった。真剣に、自分が今何をしているのか分かっておらず、そのせいもあってか、会社の人間も、分け隔てなく応対するようになり、やっと、入社時の元気を取り戻した。
気が付けば、立場は逆転しているではないか。
入社同時のまわりの目線が怖かったことを思えば、何とも情けない人たちだ。
そう思うと、大学時代にSではないかと思った気持ちがよみがえってきた。
女性に関してはSではなかったが、自分に対してへりくだってくる相手に対して、Sになるというのは、今までになかったことだった。
今までにへりくだられたりしたことなどなかったのだから、当然のことであるが、元々は頭がよく、要領よくできる素質を持っているのだから、あっという間にまわりに追いついたわけだ。
「一歩間違えれば、会社を辞めなければいけない立場だっただろうに、よく持ちこたえたものだな。あと数日我慢していれば、入院なんてことになっていたかも知れないな」
とも思った。
どうせなら入院して、パワハラ上司を辞めさせるくらいの思いもあったのだが、へりくだるのだから、こっちとしても、やりやすい。下手に別の上司に入ってこられて、また同じことを繰り返したのなら、今度こそ、退職を余儀なくされる。
それどころか、退職だけではすまずに、
「社会人として再起不能になり、病院送りにでもなったら、目も当てられないよな」
と感じるのだった。
上司も同僚も、すっかり、彰浩の
「奴隷」
と化していた。
元々仕事はできるはずなので、一つを教えると。十をこなすのだから、先輩も舌を巻くとはこのことだ。
「何でなんだ?」
と思うだろうが、別に、
「能ある鷹は爪隠す」
ということわざのようなことはなかった。
精神状態が少し違っただけで、ここまで仕事をこなせるのだから、まさに上司としても、人は見かけによらないと感じたことだろう。
それとも、自分も入社の時に、先輩に苛められたのだろうか? それが新人の通らなければいけない道だとすれば、何ともこのコンプライアンスの厳しい時代で、まるで昭和のようなやり方は、情けないと言っても過言ではないだろう。
会社の仕事に慣れてくると、まわりも次第に見えるようになる。
「でも、もう三年も経っているんだな?」
まわりを見る余裕もなかったが、今見ていると、
「後輩いびりだけではなく、会社のシステムにしても、仕事のやり方にしても、実に旧態依然たる状態で、
「よくこれで会社が持ってきたな?」
と感じるほどだった。
会社からの苛めがなくなると、彰浩は次第に会社のやり方に対してモノ申すようになってきた。
その内容は決して間違っているものではない。最初こそ、自分の上司から、あまりいいようには言われてこなかったが、その上の部長から、