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逆さに映る

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 と言っても、時すでに遅く、何を言っても言い訳にしかならないではないか。
 そう言われてみると、まさにそうである。
「穴が合ったら入りたい」
 というほどの恥ずかしさであった。
 彰浩が思い悩むように下を見ていると、
「ね、分かったでしゅ? あなたが自分では気づいていないのは、さすがにビックリだけど、まあ、あなたはそんな人なのよ」
 と言われてしまった。
 しかし、前の時のように惰性で付き合うよりも、まだスタートラインにも立っていない状況で言われる方が、かなり気は楽だと言えるのではないだろうか。
 大学時代というと、どうしても、浮かれた気持ちになりがちだ。まわりが皆浮かれているように見えて、自分もそれに乗っかる形で皆に接していたが、後から思うと、皆、それなりに自分の立ち位置を考えていて、どこまでが自分なのかということをしっかりと把握していた。
 しかし、彰浩にはそんなことはできなかった。
 自分の感情を表に曝け出してしまうと、他の性格を一緒に表に出すことはできない、
 それは皆も同じなのだが、その切り替えのタイミングがしっかりとできているのだ。
 それは本能からなのか、それまで育ってきた感情によって育まれたものなのか、どちらにしても、それができるのが本当なら普通の人間なのだと思った。
 しかし、他のことではちゃんとできているのに、こと恋愛というもになると、どうもうなくいかない。
「これが僕の性格なのかな?」
 と思い悩んでいると、さすがに大学時代で長く付き合った人はいなかった。
 半年が最高だったが、
「恋愛期間としては、半年くらいがある意味で一番いい期間なのかも知れないな」
 と感じるようになった。
「最初の二年が惰性だったんだからな」
 と思うと、ハッとした気分になり、
「また、昔と比較してしまった」
 と思い、これが一回目のデートで別れることになった女性から言われたことなのだろうと感じるのだった。
 そのうちに、何人かの女性と付き合ってみたが、うまくいった試しはなかった。好きになった女性もいたが、少し付き合ってみると、
「なんだこの程度の人か」
 と、自分で感じてしまうのだった。
 好きになれる人はたくさんいるのだろうが、長く続ける相手ということになると、そうでもなくなってくる。
「まさか、時間の経過がここまで気持ちを萎えさせるなんて」
 と思ったのだが、それはハッキリ言って、
「飽きがくる」
 ということであった。
 飽きが来るのは身体に対してであったが、身体に飽きがきてしまうと、性格的にも合わないのではないかと思えてきて、相手の悪いところばかりが目立ってくるのを感じるのだった。
 どこが悪いというわけではないが、それはきっと今まで相手の悪いところに気づいてはいたが、贔屓目に見て、目をつぶっていたからではないだろうか。分かっているつもりでいるから、余計に途中で気付いたということを感じたくないので、どうして、急に嫌いになるのかということを分からなくなってしまうのだった。
 彰浩にとって、大学時代に知り合った女は、皆似たり寄ったりだった。
 最初、知り合った時は新鮮で、
「今までこんな感じの女性に出会ったことがなかった」
 という思いから、
「この人を好きになったんだ」
 と思い込もうとしていたのではないだろうか。
 しかし実際に付き合ってみると、それまで見えなかった粗が見えてくるようになると、話をする内容にまで気を遣ってしまい、最後には疲れてしまうのだった。
 疲れが襲ってくると、何か刺激がないと、相手への感情が失せてくるのではないかと思った。
 刺激とは、SMプレイのようなもので、もちろん、実際のプレイをするところまではないが、変質的なプレイなどを想像し、しかし、相手にそこまで強要できないと思うと、却って欲求不満がたまってくるものであった。
 ただ、自分はSなのか、Mなのか分からない。しかし、最近になって、自分がSだと思えてくると、相手がMでなければいけないと思い、Mの女性を探してMだと思い付き合うことになるのだが、付き合ってみると、実際には相手もSだったりするのだ。
 そうなってくると、もうどうしようもない。S同士であれば、ほぼその時点でダメなのはわかっている。
 そして相手からは、
「あんであなたはSなのよ」
 となじられてしまう。
 相手も自分がこちらをMだと思って付き合ってみるとSだったというのと同じで、こちらも、Mだと思ったらSだったというオチになってしまう。
 やはり、Mに限りなく近いSの人は結構いるもので、そもそも、自分のことをずっとどちらなのか分からないでいたくらいなので、人のことを分かるというのは、結構難しいことではないだろうか。
 ただ、彰浩も自分がSだと分かったと言っても、いきなり、Sのプレイができるわけではない。しかも、一度試しにやってみると、相手から、
「あなたは、どうしても、相手に遠慮するのね。本当にSなのかしら?」
 と言われた。
「俺はそうだと思っているんだけどな」
 というと、
「それは思い込んでいるだけなのよ。しかも、その思い込みはあなたが自分に自信を持てないからということで、自分に自信が持てないことがあなたは、優しさだと思い込んでいるんでしょうね。でも、実際は逆なのよ。一歩間違えると危険なプレイなんだから、相手が自分を信頼してくれるだけの腕を持っていて、しかも、相手に気遣えるだけの度量があることで、相手に安心感を与える。それができないと、本当にSだとは言えないのよ。いい? SMプレイというのは、信頼関係ができあがってこそ、スタートラインなの。ただの遊びでやるプレイではないということをしっかりと意識していないと、絶対にうまくいかないのよ」
 と彼女はいうのだった。
 何度か、Mっぽい女の子と付き合ってみた。中には本当にMの女の子がいて、性格的にも合いそうなので、付き合っていけると思い、実際に付き合ってみたが、どういもお鳴くいかない。
 好きになったはずなのに、何か物足りなさがあった。
「Mに対しての感情ってこんなものだったのか?」
 と感じたのだが、それがどうしてなのかが分からなかった。
 それは、二つ原因があった。
 まず、相手が自分を信頼してくれているという雰囲気が感じられないことだった。そしてもう一つは、
「この人、本当にMなのだろうか?」
 と感じるとこrであった。
 自分を信頼してくれないところは、自分にも相手に対して信頼させられるようなハッキリとした確信のようなものがないからではないかと思うので、ある意味、
「自分さえしっかりしていれば、信頼というのは、後からついてくるものだ」
 と思えるので、さほど心配はしていないが、もし彼女がMでなかったのだとすると、自分の見る目が狂っていたということであり、
「一体何度同じことを繰り返せば気が済むのか?」
 ということであった。
 だが、彼女は今までの、
「似非マゾ」
 と違って、従順であることは分かる。
 逆らうという感覚が最初から欠如しているようなのだが、それと一緒に人に対しての信頼感までないのだとすれば、また話は変わってくる。
作品名:逆さに映る 作家名:森本晃次