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静岡のとみちゃん
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novelistID. 69613
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑧霞ヶ浦・房総半島(茨城千葉)

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 最終日の今日の最初の行き先は、東京湾の入口あたりで、千葉県から対岸の神奈川県に向かって尖って突き出ている富津岬(ふっつみさき)だ。高校の地理の時間に知ったこの岬、その成因は潮流で砂嘴(さし)が形成されたとのこと、一度は見たいと思っていた場所だった。
 道の駅から富津岬に直行する途中には、日本一の大仏、鋸山ロープウェー、その頂上付近にある地獄のぞき、等々の訪れたい場所があった。「帰心矢の如し」ではないが、1週間の旅の疲れなのか、気持ちは帰宅に強く傾いていて、寄らなかった。ここも、別の機会に行くことにしよう。

 三浦半島が見える海岸沿いの内房なぎさライン(R127)を北上していたが、海岸から離れてしまうため、富津岬に近いR465に入った。少し狭い国道を走っていると、道路案内標識の「富津岬」を見て左折して進むと、今度は「富津公園」の標識が見えた。いよいよだ。
 実物の砂嘴の先端を直に見ることができることに、年甲斐もなく、わくわくしていた。
 芝生が広がり、木々が茂る中を走り抜けると、見えたのは、あの「富津岬展望台(明治百年記念展望台)」だった。着いた! TVの番組でよく見る凄い形の展望台で、それはアート作品のようだった。

 展望台の手前の駐車場に「ジル」を停めた。先ほどまで降っていた小雨はやんだが、厚い雲が空を覆っている。観光客も釣り人もいないが、白波が立っている強い風の中で、カイトサーフィンが海の上を滑っていた。シーズン中、この岬には多くの人がいるのだろうが、今日はかなり寂しい。

 展望台の階段は濡れており、場所によっては水溜りがあったが、少し大袈裟だが、頂上まで無事に登りきった。
 西側の足元に見えた砂嘴の先端部はもちろん、砂から成っているが、その部分から沖はコンクリート製の突堤のようになっていた。砂の流出防止なのか? その入口には柵があり、入ることができないようだ。
 そして、すぐ沖合には島ではなく海堡(かいほ)が見えた。それは、明治時代に人工的に造成した島に砲台が配置された海の中の要塞で、東京湾で最初に造成された「第一海堡」だ。第二次世界大戦後、日本を占領した連合国軍により、要塞無力化のため、要塞の中央部が破壊されて、今に至っている。他にも二つ残っている。
 浦賀水道越しの横浜方面は雲間から少し青空が見え始めた。数時間後に神奈川県内を走る予定なので、晴れたR1を走ることができそうだ。

 東側には、木々で覆われた砂嘴の付け根までの風景が広がっていた。
 想像を絶する大量の砂が左右からの潮流で運ばれ、海岸から直角にバランスよく二等辺三角形の形に成長するとは、自然が時間を掛けて作ったアートのようだ。この砂嘴は東京湾を守る堤防のように見え、浦賀水道側と東京湾側の波の高さが異なっていた。

 展望台を下りた後は、岬の先端まで行くも、やはり突堤の中には入れなかった。
 駐車場に戻り、展望台と「ジル」を入れた写真を撮った。後日、「キャンピングカーの旅」の写真展を開催した時の18枚の中の1枚だ。このnovelist.jpに投稿した際の表紙の写真でもある。