悠々日和キャンピングカーの旅:⑧霞ヶ浦・房総半島(茨城千葉)
そして、一晩お世話になった天王崎園地を後に、西浦の湖畔の道路を南下して行った。
ナビが案内するJR鹿島線の潮来駅が近くなった頃、前川の畔に停泊している幾つかの櫓漕ぎ舟が見えた。多分、そこが目指す「水郷潮来あやめ園」だろうが、先ずは駅に向かった。その理由は、駅には通常、駅周辺の案内図があり、それを見るためで、目的の「あやめ園」は前川の南側に広がっていて、その入口までの道順を確認できた。
「あやめ園」の入口の横のスペースに、工事関係の人や清掃関係の人のクルマが駐車していて、そこに「ジル」を入れて、念のため、関係者の了解を取って駐車した。
櫓舟遊覧船待合所の手前に、「潮来笠記念碑(潮来の伊太郎像)」があり、ボタンを押すと、橋幸夫の潮来笠の歌が流れた。懐かしい。1960年にリリースされた曲だが、私が幼い頃に聞いたような記憶のある古い歌だ。
花のない園内をぶらぶらしながら、散歩休憩中らしいご老人たちに声を掛けたところ、今年の「あやめまつり」はコロナで中止になったが、来年は「あやめサミット」が開催される予定で、今、そのための工事が進められていると話してくれた。それで、前川に架かる水雲橋や思案橋には入れず、渡ることができなかった。
更に、この園の観光客の来場者は年間80万人、潮来の街では運河が埋められ、産業の活性化が上手く行っておらず、人口減少で空き家が増えているとのことだった。そこまで説明してくれたご老人は、この近くの自治会長か? ここに初めて来た旅人としての“見た感じ”は、町はかなり立派なサイズだが、道を歩いている人をあまり見かけなかった。寒いからかもしれないが。ちょっと寂しい印象を受けた。
私にとっての初めての潮来には「あやめ」の花は無かったが、今度は花の季節に訪れたい。そう思いながら、潮来を後にした。
以下は参考情報だが、「あやめ」は漢字で「菖蒲」と書くのだが、これは「しょうぶ」とも読める。そのため、「花」を付けて「花菖蒲」と書くのだろうと、私はそう思っている。私は「あやめ」と「しょうぶ」の花の区別が付かないが、「あやめ」はアヤメ科、「しょうぶ」はサトイモ科とのことだ。