いたちごっこの、モグラ叩き
実際に、もう一人の自分が出てこないと終われないという意識があるにも関わらず、もう一人の自分の出現を怖がっている自分がいる。
もう一人の自分が現れたとしても、それによって、自分がショックを受けなければ。夢から覚めることはできない。
つまり、夢を見ることをやめるには、ショックを必要とするということで、それは、怖くない夢でも同じだった。
だが、怖くない夢というのは、目が覚めた瞬間に、夢を見たことは覚えていても、その内容はまったく記憶にない。記憶の奥に封印されてしまっているのだろうが、意識としては、
「怖くない夢を見たんだ」
というだけのことであった。
どれだけ長い夢であっても、一瞬にして記憶の奥に封印されるのだから、目が覚める瞬間には、ギュッと凝縮した形になっているのだろう。
「夢というのは、そんなに長い夢だという意識が残っていたとしても、目が覚める数秒で見るものだ」
と言われている。
それは、やはり、意識から記憶に置き換えて、封印しようとした時に、圧縮しなければ夢という記憶の奥に封印はできないのだろう。
それは、領域の大きさということではなく、凝縮してしまうことで、消化しているような感覚になるのだと感じるのだった。
奥さんを意識して、奥さんの後ろにもう一人の自分を感じた時、これが怖い夢であるという意識が確証に変わった。
自分の後ろに奥さんがいて、奥さんの視線に挟まれていると感じた時、金縛りにあってしまい、きっと、自分を見つめている正面の奥さんも、金縛りにあっているような気がした。
この感覚は鏡を見ているようで、普通であれば左右対称に写っていて、上下はそのまま写っている。この奥さんと自分、そして、それぞれのもう一人の感覚は。鏡の上下に値するような感覚ではないかと思うのだった。
あれは、以前呑みに行った時に、訊いた話だった。鶴岡は、普段からあまり人と話をする方ではないか、馴染みの居酒屋があり。その店によく行って、マスターと話をよくしていた。
居酒屋にいると、酒が進むからなのか、皆饒舌になるようで、話を聞いていると、普段は言えないような、きわどく微妙な話も、口をついて出てくることも多かった。
「俺、最近、よく女に振り回されるんだよね」
という話が聞こえてきた。
「どういうことなんだい?」
と一緒に呑んでいる人が言った。
「この間まで付き合っていた女性が結構わがままでさ、いろいろと注文が多いんだよ。一年以上も付き合っていたので、そろそろ結婚の話もしてみようかと思っていたところ、彼女の方から、自分が欲しい指輪の話をしてきたんだよね。男としては、サプライズでプロポーズとしたいと思うじゃない。だから、敢えて指輪とかの話をしてこなかったんだけど、相手から言われると、急に冷めた気分になってきてね」
と男は言った。
「でも、彼女の方とすれば、それだけ待ち焦がれていたということなんじゃないのかい?」
と言われて、
「それは分かるんだけどね。でもさ、子供の頃の経験の中で、例えば自分の部屋の掃除や、学校の宿題とか、これからしようと思っているところを、先に親から、まるでこちらがやる気が最初からないかのように言われたら、ムカッとするだろう? 今からしようと思っていたのにってね。それと同じことで、先に相手に言われてしまうと、完全に冷めてしまって、絶対にやらないぞと思うことが、えてしてあったりするんじゃないかな?」
と、その男は言った。
「うんうん、確かにその通りだ。君もその時、怒りを覚えたのかな?」
と言われ、
「うん、そうなんだ。先に言われてしまったことで、腹も立ったんだけど、さすがに自分で大人だと思っているので、そこは、何とか堪えたんだけど、でも、よくよく考えると、彼女の態度というのは、高飛車だったんだよね? こっちが順序立てて考えているのは、気持ちを高めて行こうとするのも、その目的だったのに、そんなデリケートな気持ちを踏みにじるかのような、無神経な発想に、さらに腹が立ったんだよ。人間というのは、一つのことには耐えられるんだけど、二つ以上のことになると、耐えられなくなる。耐えられないどころか、さらに怒りが倍増したりするんじゃないかって思うんだ」
と、いう話をした。
「人間というのは、一つのことだけであれば我慢することができるが、二つ重なってしまうと、そうは我慢できるものではない」
という話を聞いたような気がしたのは、その時の会話からだったのかも知れない。
「でもさあ、この場合は、二つ以上のことと言えるのだろうか?」
と、聞き手の男性が言った。
「確かに、自分が考えていたことを先にされてしまったという意識が最初に来てしまったので、違うことのように感じたけど、考えてみれば、同じことの派生でしかないんだよね。それを派生の方から先に考えてしまったというだけのことで、もし、これが、最初に、俺が結婚に踏み切れないということを責めているかのように、指輪でこちらを促すような態度を取っていると感じたとすれば、自分がしようと思ったことを先にされたという感情は浮かばなかったかも知れないな。だとすれば俺も彼女のことを許せたかも知れない。いや、許せたというよりも、許せないような感情にはならなかったんじゃないだろうか?」
と、最初に言い出した人間は、言った。
その後の話としては、結局彼は、彼女とは別れたという。本人は今になってそれを後悔しているようだったが、それは、別れたことへの後悔というよりも、その呑み屋で、聞き手に話をしてしまったことで、自分は相手を見誤ってしまったのではないかということを後悔しているという。そして、許せない感情を持つだけの怒りでもなかったものを、自分から怒りにしてしまったことへの後悔なのだという。
世の中には、そんな感情もあるようで、それをただの勘違いとして片づけていいものなのか、考えさせられるところであった。
鶴岡は、最近バスを運転していて、急にその時の話を思い出すことがあった。そのことが自分に何か、過去を思い出させるきっかけになるのではないかと思うのだった。
鶴岡には、一部の記憶が喪失しているという障害があった。
もちろん、バスを運転するという仕事上の適正に、何ら支障のあることではなかったのだが、自分の中で気になっているのは、
「もし、俺が運転している時、急に目の前に、忘れていた過去がよみがえってきた時、記憶を喪失した部分以外で、これまで新たな記憶として培ってきたものが、本当に残っているのだろうか?」
という思いが頭にあったからだ。
もし、新たな記憶が急に消えてしまうと、パニックを起こしてしまい、運転中であれば、意識を失ってしまいかねないとも感じたのだ。
大げさではあるが、ありえないことではない。運転中は、慣れていれば慣れているほど、無意識に集中力を最大限に発揮しているはずだ。
しかし、その集中力をちょっとしたことで途切れさせてしまわないとも限らないことを意識していた。
つまり、そのちょっとしたことが衝撃となり、無意識を意識的に感じてしまうと、
「今は運転中なので、余計に気を引き締めなければならない」
作品名:いたちごっこの、モグラ叩き 作家名:森本晃次