いたちごっこの、モグラ叩き
高山植物などの図鑑も持っていて、写真を撮る時、絵を描く時には、本を参考にしていたのだ。
その植物がどういう特性を持っているかということを知っておくと、植物を描く際に、実際とは違った光景であっても、自分で想像して描くことができる、それだって、風がなくても、吹いているように描くのと同じではないか。
例えば、高原に湖が広がっていて、その波紋から、風が吹いているかのように思わせるのも、一つの手段である。
そういえば、このあたりの街には、結構植物から名前を取った地名があったりする。
例えば、
「紅葉谷、欅山、鈴蘭高原」
などと言った名前がついていたりする。
季節を表している植物もあれば、一年中を感じさせるものもある。
だが、鶴岡は、結構季節を感じさせる名前の場所が好きで、紅葉谷などという場所は、春に行くのが好きだった。
本当は秋なのだろうが、敢えて春に行くというのは、紅葉という名前を冠していながら、それ以外の草花も健気に咲いているということを感じたいからであった。
「紅葉の季節は何も俺が注目しなくても、皆がやってくるだろうから、俺は、それ以外の魅力を引き出したいんだ」
と感じたのだった。
この紅葉谷というところは、谷というだけあって、結構風が吹いてくる。紅葉谷を通りこして、少しいくと、そこには、鈴蘭高原が広がっている。鈴蘭高原の向こうには、欅山が聳えていて、この三つが、鶴岡にとっての、
「絵画スポット;
になっていた。
鈴蘭高原には、結構秋に行くことが多い。
本来鈴蘭の花というのは、春から初夏くらいに掛けて咲くものなので、本来であれば、初夏くらいにいくのが普通なので、もちろん、初夏にもよく行くが、秋に行くというのは、鈴蘭高原の奥には、ススキの高原が広がっていて、本来なら、ススキ高原というものが存在してもいいのだろうが、
「鈴蘭高原」
ということで、一元化されているのだった。
ススキの穂には、鶴岡の思い入れがあって、まずは、小学生の頃、テレビで見た奇妙な話をオムニバスでやっていたドラマでの一場面だった。
その話は、何やらSFっぽい話で、タイムスリップの話だった。
ある男が、高原に登山に来ていて、そこで何やら竜巻のようなものに巻きこまれたかと思ったその時、身体が宙に舞ったような気がしたのに、気が付けば、その場所で、意識を失っていた。
主人公が顔をあげるとその場所は、最初の場所とまったく変わらない、ススキの穂が広がった高原だった。しかし、その遥か遠くから、馬に乗った集団が走ってきた。
「誰だろう?」
と思って見ていると、頭はちょんまげを結っていて、着物を着ていて、腰からは刀を差している。いかにも武士であることは分かったのだが、何か違和感を感じさせたのは、武士というと、時代劇などに出てくる江戸の町にいるお侍さんをイメージしていたので、まったく想像とは違っていた。
テレビの設定はどうやら江戸時代ではなく、戦国時代の設定だったようだ。
小学生だったので、江戸時代しか知らず、
「何で、こんな何もないところに、お侍さんがいるんだ?」
と感じたのだが。それも無理もないことだった。
そのイメージがあるからか、それとも、寂しいというイメージを想像させるために、わざと高原のススキの穂の光景を視聴者にイメージさせようとしたのか、どちらにしても、鈴蘭高原に広がったススキの穂は、いかにも高原の代名詞でもあるかのように感じられた。
そして、風が吹いている感覚を一番感じさせる光景は、無数に生えているススキの穂が、まった同じように風に流れている光景で、しかも微妙な時間差があることで、風の力がどれほどのものかを想像させることが一番容易なのだろうと感じたのだ。
一つが限界
そのドラマは、何度もタイムスリップさせる話で、過去に行って、何かアクションを起こすと、すぐに現代に戻ってきた。しかし、そこには、カーボーイハットをかぶったカウボーイのような連中が走ってきたのだが、その光景は、本当の現代ではないようだった。
過去に戻ることでタイムパラドックスを描いているのだろうが、まだ子供だった鶴岡には、意味が分からなかった。
「同じ現在でも、別の場所に戻ってきた」
としか感じなかったのだが、それは主人公が感じているのと同じ感覚だった。
それだけに、子供の方が実は新鮮に見ることができる作品であって、理屈としてはよく分からなかったが、ススキの穂が広がっている高原という光景には、何かしらの思い入れがあるという思いが、ずっと残ったのだった。
そして、その時にテレビで見た光景と同じような光景を鈴蘭高原で見たのだ。
「あの時の撮影は、ここで行われたのではないだろうか?」
というほどに感じられた。
もちろん、違っているだろう。全国放送なので、こんなに東京から遠いところまでわざわざロケに来るとは思えない。
地元でも、
「スズランが綺麗に咲いている場所」
ということで有名ではあるが、その裏でススキの穂が綺麗だというのは、実際にここに来たことのある人が、口伝えで伝わっているだけで、別に観光ガイドブックに載っているということもなく、地元でも、それほどススキの穂に注目してはいないようだった。
「ススキの穂は、勝手に生えているだけだ」
という感覚で、確かに、どこの高原に行っても、似たり寄ったりの光景なのではないかと思えたのだ。
ただ、規模の大きさは別であり、たぶん、鈴蘭高原のススキの穂の平原は、結構広いであろう。
それでも、そこまで全国的に有名でないのは、レジャー化されていないからであろう。
実際に東京から近いわけではないが、ススキの穂が生えているところを牧場のようにして、観光に一役買っているところもあったりする。
近くにはペンションがあったりして、避暑地としても利用されるところは、観光ブックに乗っていることだろう。
隣の県には、高原として有名なところがあり。そこにはススキの穂はないのだが、牧場になっていて、馬がたくさんいる。乗馬体験などもさせてくれて、写真撮影用に、カウボーイの衣装も貸してくれるようだ。
牧場には宿泊施設も隣接されていた。まるでスキー場のホテルを模したコテージのような作りの宿である。冬は暖炉が使えて、宿の中は実に暖かかった。
鶴岡が子供の頃に親に連れて行ってもらった時は冬だった。
近くのスキー場の客が多いので、結構賑やかだったが、鶴岡たちはスキーをするわけではなかった。
父親とすれば、一日だけの休暇ということでやってきたのだが、息子や母親は面白くもなかった。
そんな高原での一日を鶴岡少年は、
「別に楽しい思い出なんかない」
と思っていた。
別に遊ぶところも何もなく、子供にはただただ退屈なだけの場所だった。
それは母親としても同じ思いであり、その頃から、父親のことが、
「少し分からない人」
と思うようになったようだ。
子供が小学生にもなっているのに、いまさらのように気付くなど、ありえないのではないか?
作品名:いたちごっこの、モグラ叩き 作家名:森本晃次