いたちごっこの、モグラ叩き
しかし、交通事故というものの中には、特に最近問題にされている、
「飲酒運転」
という問題がある。
これこそ、少し注意をすればなくなるはずなのに、なぜかなくなることはない。事故ってしまって、相手を殺してしまうと、今では殺人罪も適用される時代だ。
殺人というと、よほどの事情がないと普通は犯さない。よほどの恨み、自分が生きるためにのっぴきならない事情が存在する場合。ごくまれに殺人を楽しむという猟奇殺人もあるが、人生を掛けてでも行う人殺しは、本当に一か八かということが多いだろう。
当然ながら、
「交通事故による殺人というのは、凶器としての手段として車を使った」
ということでもない限り、
「殺すつもりはなかった」
ということであろう、
しかし、普通殺人でも、復讐であったり、のっぴきならない場合は多少なりとも同情の余地はあるが、交通事故、しかも、飲酒による致死であれば、世間的に同情の余地はまったくないと言ってもいい。
なぜなら、
「少し注意すれば、防げたことであり、この場合は注意という以前の問題で、その人の神経が疑われるレベル」
ということになるだろう。
つまり、
「精神異常か、アルコール依存症じゃないのか?」
と言われるほどのものだと言ってもいいだろう。
犯罪というものは、
「容疑者が、判断できない状況にあって、犯行を行った場合、精神的にやむ負えない場合など、罪に問われなかったりするが、基本的に、予見できた場合には、罪になる場合が多い」
と言えるのではないだろうか。
刑法では、
「心神喪失者の行為は罰しないということであり、心身耗弱者の行為は、その罪を減刑する」
と、第三十九条に書かれている。
だが、これはあくまでも心神喪失者だけが無罪となるもので、薬物やアルコールを飲んで運転した場合などは、そうではない。
自分の意志でアルコールや薬物を摂取したのだろうし、摂取した時には、普通に運転できるのが分かっていたことだろう。
そうなると、
「危険運転致死罪が適用され、有罪となると、殺人罪並みの判決になったりするのではないか」
というのが、今の一般的な考えである。
それなのに、一向に、飲酒運転が減ることがない。
実際には減っているのかも知れないが、刑が重くなっている割には減っていないということがある。
「自分はアルコールに強いので、事故なんか起こさない」
あるいは、
「ちょっとそこまでなので、警察に捕まることはないだろう」
あるいは、自分の感覚で、
「すでに酒が抜けているだろう」
などという自己分析の甘さから起きた事故が、意外とそのほとんどなのではないだろうか。
事故を起こしてから悔やんでも遅いのだ。これだけ、世間から飲酒運転が悪いことだというキャンペーンがあるのに、一向に減らない。これは交通事故が全体的に減らないのと同じ理由なのであろう。
ただ、
「いくら健常な状態であっても、いつ自分も事故を起こすか分からない」
という意識があれば、怖くてアルコールなど飲めないはずだ。
それだけ酒を甘く見ているのか、それとも運転を甘く見ているのかである。
たぶん、どんなに法律を重くしても、撲滅はありえないだろう。ある意見として聴いた話であるが。実現化が可能かどうかは別にして言われていることとしてなのだが、
「運転する前、アルコール濃度を車が判定し、酒気帯び以上の状態であれば、キーが回らないようにするというような車を開発することができれば、猶予期間をある程度取って、そういう車でなければ、犯版、およに、走行してはいけない」
という形にできないかという発想である。
そうでもしないと、どんどん罪を重くしたとしても、運転する人は運転する。
そもそも、酒気帯び、飲酒運転が悪いことだという認識のある人は、罪に問われようがどうしようが、最初からアルコールを摂取して車を運転するようなことはしないのだ。
だから、罪の重さに関係なく、運転する人は運転する。
以前、CMで麻薬撲滅のキャッチコピーに、
「クスリやめあすか、それとも人間やめますか?」
というのがあったが、飲酒運転も同じで、
「飲酒運転やめますか、それとも人間やめますか?」
と同じことだろう。
飲酒運転をする人間は、頭の構造が、薬物に浸食された人間と同じだと言ってもいいのだと、断言する。
高原の光景
毎日のように引き起こされる交通事故で、今回、不可思議なものがあり、最初は事故だろうということで処理されるところであったが、事故調査を行った警察官が急に、
「これは何か怪しいような気がする」
と言い始めた。
まず状況として、夕方から夜にかけての通勤時間が終わって、だいぶ交通量が減ってきた午後十時近くのことであった。
都会から離れて住宅街に向かっていく、少し坂に差し掛かった、小高い山の麓に当たる部分のところで、夕方くらいから少し降り始めた雨の影響おあってか、道は少し濡れていて、アスファルトが光っているのが見える。
このあたりは近くにバス停があり、住宅街に向かっていく最初のバス停で、幹線道路から住宅街に入っていく最終バスの時間に相当した。
この住宅街は、最近整備されてきたもので、まだ、それほどたくさんの住人もいないので、こちらの路線バスも、最近になってできたのであった。
昔はというと、このあたりは、山の中腹くらいに、スーパー温泉があったり、ごみの焼却場と言ったものがあったりと、施設はあるが、ただ点在しているというだけで、店や施設が閉まってしまうと、後は近寄る人もいなかった。
そういう意味で、夜のこのあたりは、暴走族のたまり場になっていたりした。
道路は整備されていて、文句をいう住民もほとんど住んでいないだろうということで、恰好の暴走場所だったのだ。
だが、遅まきながら住宅街が出来上がってくると、バスは開通するし、住宅も増えてくる。
さらに、病院、学校、大型商業施設の建設が決まってくると、夜といえども、大型の車が走ることも多くなり、ここ、二、三年で、ほぼ暴走バイクがいなくなったと言われてきた。
だが、実は暴走バイクがいなくなったという理由は、それだけではなかったのだ。
あれは、今からちょうど三年くらい前だっただろうか、いつものように暴走バイクが走っていると、ちょうど、車が目の前を走ってきて、出会いがしたにバイクが跳ね飛ばされるという事故があったのだ。
バイクは当然一台で走っていたわけではなく、編隊を組む形で走っていたのだ。それなのに、ひっかけられるような形で巻き込まれたのは一台だけで、運転手もビックリしたのか、ハンドルを切り損ねたのか、そのままがーとレールを突き破って、そのまま谷になっているところに転落し、車は大破、そのまま炎上してしまったことで、運転手は即死、黒焦げになっていたので、ほとんど、検死もまともに行えないほどだったのだ。
これは、さすがに悲惨な交通事故として、当時の新聞は取り上げていた。バイクを運転していた人間も吹っ飛ばされて、そのまま地面にたたきつけられる形での即死だったという。
そういう意味でも、センセーショナルな事故ではあった。
作品名:いたちごっこの、モグラ叩き 作家名:森本晃次