いたちごっこの、モグラ叩き
マスクをすることが正義だとまでは言わないが、マスクをしないのは、明らかに悪である。それを思えば、ブスという言葉はまだ、贔屓目の言い方ではないかと思うくらいである。
マスクをしている人が多いと、マスクを下姿で覚えてしまう。だから、マスクをしていないと、却って誰だか分からなくなるくらいなのかも知れない。
それだけ、マスクを外せない時期が長かったということであり、果たしてあれが何年続いたのであろうか。
ほとんどの人が、
「十年くらい、このままの状態なんじゃないか?」
と思ったくらいだった。
とにかく桜井刑事が一体何を探しているのか、その目的が分からなかった。
警察内部にいるのだから、いくら権力を行使できるとはいえ、限られた権力である。組織に立ち向かうにはあまりにも一人では無謀と言っていいだろう。
では、
「はやて詐欺」
の何を探しているというのか?
やつらのアジトなのか? それとも首領の正体なのか? それともやつらの最終目的がどこにあるかということなのか。
まさか、国家転覆などのようなテロ行為までは考えていないとは思うが、彼らの手口から考えると、犯罪に愉快犯のようなものを感じる。
自分たちの犯罪に対しての成果を見せつけたい何かがあるのか、そうであれば、このまま引き下がっているだけではないような気がする。
いつか近い将来において、ほとぼりが冷めた頃に、また行動を起こし、それこそ、
「はやてのように現れて、はやてのように去っていく」
という、昔あった特撮ヒーローものの先駆けを思い起こさせるではないか。
ただ、彼らの行動はあまりにも素早い、まるで忍者のような行動に、はやてを思わせ、その素早さに、
「やつらこそ、本当は勧善懲悪であり、まるで時代劇にある、ネズミ小僧次郎吉を模わせるようではないか?」
と思った人も結構いるのではないだろうか。
桜井刑事の行動は、誰かを探しているような感じだった。
地道に聞き込みをしているのだが、そもそも、桜井刑事が、はやて詐欺の捜査をしているなど、聞き込みをされた人の誰も知らないだろう。
しかも、桜井刑事は数人を探しているようで、声を掛けた人には、前に聞いた名前とは違う人の名前を訊ねているようだ。
それも、一人には一人だけしか訊ねない。何人にも訊ねると、一人くらいは該当者があってもいいだろうから、少なくとも二人か三人訊ねればよさそうな気がするが、一体何を考えているというのだろうか?
最近聞いているのは、何やら、過去のバイク事故と、スズランの花について、何か聞き込みもしているようだ。
最初の頃はなかったのに、その聞き込みが増えたということは、どこかから、この二つの情報を聞き入れて、それがキーワードになっているということなのだろう。
スズランというのにどういう意味があるのか、最初は誰も分からなかったようだが、話を聞いた人のうちの一人が、
「スズランというと、毒がありますよね」
という話をしているのを聞いて、がぜん興奮気味になった桜井刑事だった。
「ええ、そうなんですよ。よくご存じですよね?」
と聞かれたその人は、ニッコリと笑って、
「ええ、私はF大学の薬学部の教授なんですよ。特に毒や、その解毒に関してはいろいろ勉強したりしていますからね」
というと、
「確か、コンパラトキシンでしたっけ?」
と桜井刑事がいうと、
「ええ、そうです。この毒は結構強いので、スズランを生けた水を飲んだだけでも、中毒を起こして、死に至るとも言われていますからね。気を付けなければいけないんですよ」
と彼がいった。
彼は名前を、松崎信二と言った。
F大学というのは、私立でも県下でも有数の名門大学ということで、特に理学系が強いということだった。
「F大学の理学系を出ていれば、就職には困らない」
と言われたほどで、そこの教授ともなると、地元テレビなどでもコメンテイターとして出演することも多かったかも知れない。
「刑事さんは、どうしてスズランを栽培しているかどうかというのを、不特定多数に訪ねているんですか?」
と聞かれた桜井は、
「ある事件で、スズランが死体のそばにあったんですが、関係者の人に、スズランに関わりのある人がいなかったので、とりあえず、こうやってスズランに関係がありそうな人を探っているというわけです」
と言ったが、松崎は半信半疑だった。
警察がいきなり殺人捜査で、関係者に怪しい人物がいなかったとして、不特定多数に聞いて回るなど、そんな話、聞いたことがなかった。
――きっと、何か別の捜査が絡んでいることだろう――
と松崎は思ったのだ。
「そういえば、この街には植物園がありますけど、以前、そこのスズランが荒らされているという事件があったんですが、刑事さんご存じですか?」
と言われて、
「いいえ、私は半年前にK警察から異動してきたので、この管轄の事件に関しては、あまり詳しくないんです。それはいつ頃のことだったんですか?」
と桜井が聞くと、
「確か、三年くらい前だったですかね? 植物園の人は皆さん専門家でしょうから、みんなスズランの毒のことは知っていたんでしょうが、誰もそのことについて口を開こうとはしませんでした。警察の方でも、さすがにスズランに毒牙あることを知っている人は少なかったようですよ。そういう意味では刑事さんよくご存じですね?」
と言われて、
「ええ、K警察の方で、スズランの毒を使った中毒事件がありましたので、その時の知識があるだけですけどね」
というので、
「なるほどですね。スズラン自体には、致死力はかなりのものがあるでしょうが、生けておいた水だけなら、致死性はそこまではないでしょうからね。毒としても使えるし、死なないまでも、殺人未遂事件にすることくらいはできるものですからね。逆に毒を使ってまで犯罪を犯すのだったら、相手を確実に殺す方法を用いるはずなんですが、生けた水を使うというのは、何か中途半端な気がするんですよ。K署の方では、殺人にスズランの毒を使ったわけではなく、本来の目的にはナイフを使っているので、あの時はスズランを陽動作戦として使っていたんですよ。実験という意味もあり、もう一つは、アリバイ作りという観点から生けた水を浸かったようですね」
と、桜井刑事は言った。
今桜井刑事が捜査をしているのは、
「はやて詐欺」
に関してのことのはずである。
スズランの毒とどのような関係があるのか、きっと桜井刑事の胸の中だけにあることなので、他の捜査員に協力を願えない。
とりあえず、時間がかかってもいいから、捜査を進めていくということに専念しているようだ。別に切羽詰まっているわけでも、ゆっくり捜査をしていれば、確実に誰かが被害者になるというわけではない。少なくともやつらは、まだ雲隠れの状態だからである。相手が出てこなければ、どうしようもないというのが、桜井刑事の考えだった。
確か、鶴岡もスズランについて聞いていたはずだった。ただ、あれは交通事故についての話であり、はやて詐欺とは関係なかった。
作品名:いたちごっこの、モグラ叩き 作家名:森本晃次