いたちごっこの、モグラ叩き
「桜井刑事というのは、K警察署でも、勧善懲悪の性格が強い男なのだが、だからと言って、冷静さを失うということのない人間なので、F警察署にとって、うってつけの人物ではないかと思うんです」
ということだった。
F警察署の署長も、
「桜井刑事のウワサはうちの署にもよく聞こえてきていましたので、桜井刑事に来ていただければ、これほどありがたいことはありません」
と話していた。
桜井刑事も、快く異動を承諾したことで、半年前食らいに赴任してきたところであった。
さすが敏腕刑事と言われた桜井刑事だけあって、すぐにF警察管内のことはある程度把握できるようになっていた。
その間に起こった事件も、桜井刑事の機転によって解決したくらいで、
「さすが、桜井刑事は、目の付け所が違う」
と言われたのだが、それは、その事件というのが、犯人の作戦にまんまと引っかかった刑事課の人たちだったが、桜井刑事の発想の転換によって、正しい道に導かれたことで、捜査は正規の道に戻り、一旦逸れてしまった道から正規の道を見つけたことで、それまで見えていなかったことも、他の刑事に見えるようになり、捜査会議にて、ほぼ真実に近い内容の話が出来上がったことで、後は証拠を見つけ、犯人を捕まえるだけだった。
犯行は一人ではなく、共犯がいたのだが、その共犯の方が、計画した事件だった。それだけに共犯は、自分の計画に絶対の自信を持っていて、
「俺の計画が、そう簡単に露呈するはずがない」
と思っているようで、警察をミスリードすることが、一番の成功の秘訣だということで、下手な小細工をしない方がいいと思っていた。
しかし、それは小細工ではなく、伏線であった。
一つ歯車が狂ったとしても、他と組み合わせれば何とか、うまくつなげることができるという考えを持っているくせに、今回の犯罪は、自分の計画と警察の想像力を比較すれば、どうあがいても、F警察の連中に、看過されるなどありえないと思っていたのだ。
そのため、警察が、ちゃんとした正規ルートに気づいてしまうと、犯人側には証拠を隠滅するなどという小細工はなかった。
それだけに、証拠集めにそれほどの困難はなく。逮捕、起訴までは、結構スピード解決だったのだ。
桜井刑事の武勇伝が、新たなところでもう一つできたとして、推薦した門倉警部も喜んでいた。
K警察内でも、大いに啓発を受けて、刑事課でも、桜井刑事に負けないようにと、日夜頑張っているのだった。
桜井刑事の介入
そんな桜井刑事が、はやて詐欺に関して独自の捜査を行っているなど、鶴岡は知る由もなかった。
だからといって、この見知らぬ男性が桜井刑事だというわけではない。その男は、明らかに民間人という雰囲気だ。どちらかというと、人に顔を知られたくないという意識が強いのか。伝染病がだいぶ沈静化してきた今でも、ずっとマスクをつけている。
今では、冬の時期のインフルエンザくらいのマスクの使用率で、伝染病が流行る前ではマスクをしている人を見るだけで、
「怪しい人がいる」
と言われた時代だったにも関わらず、今は、マスクをしている人を怪しいなどということはなくなった。
ただ、伝染病がある程度鎮静化してくると、政府もまわりも、
「マスクをする必要はない」
というような風潮になってきた。
さすがに、政府や自治体から、
「マスクをしなくてもいい」
ということをハッキリとは言えない。
なぜなら、今まで何度となく繰り返されてきた緊急事態宣言と、蔓延防止措置の適用の混乱に、何が正しいのか、政府、自治体。さらに国民の一人一人が疑心暗鬼になってしまい、誰もハッキリとしたことが言えない風潮になってしまったのだ。
下手に何かを言って、混乱させてしまえば、マスゴミや世間から何を言われるか分からない。皆ビクビクしていたというわけだ。
そういう意味で、伝染病が収束に向かっている時、市民の間は二分されていた。
「もう、マスクなんかしなくてもいいよな」
という若者を中心とする連中と、
「まだまだ何があるか分からない」
という年配系の人たちの間で、ひと悶着が絶えなかった。
「もう、マスクなんかしなくたって、大丈夫だ」
と言って、マスクを外している連中に、マスク越しであるが、明らかな嫌悪の視線を浴びせる人もたくさんいた。
今はマスクを外していても、この間まではマスクをしていたことで、その表情の想像がついたのだから、露骨に嫌悪の表情をしていれば分かるというもので、そんな連中ほど、被害妄想も強く、その視線に対して、因縁をつけるのであった。
どちらが正しいというわけではない。間違っているとも言い切れない。
そうなると、喧嘩が始まっても、どちらも肩を持つわけにもいかず、ただなだめるしかないだろう。
警察がやってきても。それまでの、
「まあまあ」
というわけにもいかない。
それまで、相当の鬱積したものが、世間や自分の中に蔓延っていると思っているだけに、この場を、なあなあで済ませるわけにはいかないと、両方が感じているのだ。
「どちらが正しいのか、ハッキリしてくれよ」
と、仲介に入った警官にいっても、警官がどちらかの肩をもつわけにはいかない。
それを分かっているのだから、両方とも、やり方が上手いというのか、それだけに一歩も引き下がらない人も多いだろう。
そういうトラブルが日常茶飯事になっていた。
「何で、こんなことが起こるって誰も分からなかったんだろう?」
と思っている人も多いだろう。
政府も何も言っていなかった。マスゴミもそうだ。
今になって、マスゴミは記事として取り上げる。しかし、政府の方は、逆に表に出ようとはしない。
この二つの、
「戦犯」
が、それぞれ好き勝手な行動を示しているのだから、国が混乱するのも当たり前だ。
一般世間の秩序が混乱しているわけで、誰が収めるのか、誰も考えていないのだろう。
「これも一種の副作用のようなものなのだろうか?」
という、テレビのコメンテイターの話だったが、今までコメンテイターのいうことは半分しか聴かないほど、信用していなかったが、この時のこの一言だけは、
「思ったよりも、キチンとしたことをいっているな」
とばかりに、初めてその人を見直したと言ってもいいと感じたほどだった。
しかし、マスクというのも面白い。今まではマスクをしない生活に慣れていたので、マスクをしていると、元々がどんな顔なのか分からない。
今度はマスクを嵌めているところばかりを見ていると、マスクを外すと、女性が綺麗に見えるから不思議だった。
「この人、マスクをしていない」
という感覚になる前に、
「この人はキレイだ」
という感覚になり、その後に、
「なんだ、マスクしていないじゃないか?」
と思い、綺麗だと思った自分が恥ずかしい。
何しろ、非常時に皆がマスクをしているにも関わらず、自分はマスクをしていないのだ。これこそ、
「性格ブス」
と言っていいのではないだろうか。
作品名:いたちごっこの、モグラ叩き 作家名:森本晃次