いたちごっこの、モグラ叩き
しかも、最初から立ち上げるというような話にしてしまえば、相手を油断させることもできるという、一石二鳥だったのだ。
だが、それでも詐欺グループの摘発まではいかなかった。やつらとしても、さすがサイバーに詳しいだけに、
「いつも最悪のことを考えて行動する」
ということがモットーであり、システム開発の基礎でもあった。
慌てはしたが、そんな中でも冷静さを失わず、うまく逃げることができたのは、さすがにお互いに、
「相手にとって不足なし」
と思わせたのではないだろうか。
「はやて詐欺」
というものを一体どのように対処すればいいのか、さすがに委員会もてこずっていた。
こちらが近づこうとすると、すぐに他に逃げてしまう。まるで、シナ事変における、
「中国国民党政府」
のようではないか。
広い中国大陸を陣地にして、相手が攻めてくるとすぐに逃げ出し、さらに奥地におびき寄せる。
ただ、このやり方は、政府としては最悪ではないだろうか。
攻めてくる相手をそこに住む住民を保護する堪えに、政府軍はあるのではないか?
攻めてくる相手に対して立ち向かおうともせず、軍隊とともに、逃げ出すのだから、残された市民は最悪である。
攻め込まれたことで、攻め込んだ方は、今後の物資や食料を調達しなければいけないので、入植した土地で、略奪などが起こるというのは、戦争では当たり前のことだと言ってもいい。
それを卑怯だとか、残虐だとか言われるが、それに違いはないが、有事というのはそういうものである。そのために国防軍があるのに、国防軍が政府とともに、どんどん逃げているのではどうしようもない。
さらに、国民党軍は、日本政府に入植され、その舞台で略奪や虐殺が行われることをっ見越して、最初から街を焼き払うというやり方までしていた。
まさか、自分たちが守らなければならない市民や町を、いくら略奪に遭うのが分かっていると言っても、自分たちの手で焼き払うという行為は、果たして許されるものなのだろうか。
それを思うと、歴史を学ぶ上でそんな恐ろしいことが行われていたということを、ハッキリと認識するべきなのだろうが、なぜか学校教育で教えることはないのだ。
確かに残虐なことを子供にどこまで教えるかというのも問題だが、学校教育の一環として、今はもうほとんど残っていない戦争経験者から話を聞いたり、戦争の悲惨さを映像にしたものを見たり、あるいは、戦没記念館や、平和祈念館などに社会科見学などで赴いて、戦争の悲惨さを資料で確認するというようなことをやっている。
特に広島や長崎など、原爆資料館での見学は、子度には想像を絶するものがあるであろう。
ちなみに、ヒロシマ、ナガサキなどと、この二つの地名をカタカナ表記にする場合、それは原爆に限定していることだということを知識として知っている人はどれだけいるだろう?
戦争の悲惨さ、むごたらしさなどを勉強するのに対して、いろいろ意見もあるだろうが、
「知らないことほど、罪なことはない」
という言葉もあるので、なるべく教育として、教えなければいけないというのが、教育者であったり、大人の義務なのではないかと思う。
日本国憲法の、
「国民の三大義務」
というものが、
「教育・納税・勤労」
と言われている、
そのうち教育というのは、権利でもある、何が違うのかというと、
「権利というのは、教育を受けるのが権利であり、義務というのは、教育を受けさせる義務がある」
ということである。
考えてみれば当たり前だ。
教育を受ける子供と、教育を受けさせる大人が一つになって教育というのだ、
勤労は、基本的に全大人が行わなければいけない義務であり、もちろん、失業者に関してはその限りではないが、納税に関しては、失業中であっても、義務となる。
年金、健康保険なども、失業中でも払わないと、いざ病気になった時、治療に保険が掛からず、全額負担になるし、年金を払っていなければ、年金受給が人よりもかなり少ないということになるだろう。
もっとも、十年以上目に、政府が消した年金問題というのも大きな問題ではあったが、国民の義務であることには変わりはないのだ。
国家はそうやって国民との間に関係性を持っている。年金や健康保険は、国家がまるで銀行であり、正麺保険会社であるかのような立ち位置だと言ってもいいだろう。税金などは、国民全員一律の消費税というものがあることで、勝手に税を払っているということもあったりする。消費税は、一番分かりにくい税ではあるが、問題になる場合に真っ先に矢面に立たされるというそんな税でもあるのだ。
詐欺グループは、最初から有事のような体勢でことを起こしている。
つまり、詐欺に対して、まだ何ら情報がないことで、ゆっくりと捜査に入ろうとしている時点で、すでに逃げている詐欺グループの尻尾など、普通なら捉えられるわけもない。
特に、市民の人権を第一に考える国家において、いくら詐欺という卑劣な犯罪であっても、捜査には簡単に立ち入ることができる場所でもなく、その行動はかなり制限されるものとなってしまうだろう。
それを思うと、詐欺をなかなか検挙できないというのも、宿命のようなものなのかも知れない。
そんな詐欺グループによる犯罪は、実はこの地区を中心としたグループが犯行を行っていたことは、誰にも知られていない。ただ、怪しいと思われる事件があったことで、一人の刑事が、この事件を極秘で探っていた。
一人でできる捜査など、相当に制限されたもので、警察手帳を示しても、話を聞くくらいしかできないのであった。
令状が出るわけでもないので、逮捕はもちろん、家宅捜索もできない。相手がぼろを出してくれなければ捜査などできるはずもなく、捜査をすればするほど、自分の無力さに気づかされて、何度も心が折れそうになったのだった。
さすがに、そろそろ精神的に無理があるだろうと本人も思っているようで、このまま続けていれば、本来の仕事に支障をきたしてしまう。
この刑事は、勧善懲悪に燃えている刑事で、詐欺グループを許すことができないという思いが強いのも、勧善懲悪の精神があるからなのだが、だからと言って、本来の自分の仕事を疎かにすることがいかに本末転倒であるかということも分かっている。目の前で苦しんでいる人を放っておくことができないというのが、彼の勧善懲悪の精神の原点だと追ってもいいだろう。
彼の名前は桜井という。
桜井刑事は、最近、K警察署から移動してきた刑事で、K警察署では、第一線で、いくつもの事件を解決に導いた刑事として、こちらでも、期待されていた。
だが、K警察署の方が、都市としても、警察署としても規模が大きいので、見る人によっては、
「桜井刑事って、左遷されてきたのではないか?」
と囁く人もいたのだが、実際にはそんなことはなく、ここ、F警察署管内で、凶悪犯が増えてきたことで刑事の増員を県警に要請したところ、桜井刑事を推薦したのが、K警察の門倉警部だったのだ。
作品名:いたちごっこの、モグラ叩き 作家名:森本晃次