いたちごっこの、モグラ叩き
そんな、
「はやて詐欺」
について、最近、バスの中で聴きまわっているという人がいたのだ。
朝のラッシュの時間帯だけだったのだが、最近では夕方の時間にも聞いているのを知ると、気にならないわけにもいかなくなった。
ただ、さすがに個人的に聞いているだけで、誰かに迷惑が掛かっているわけでもないので、それを止める権限は自分にはないと感じた鶴岡は、気にはしていたが、必要以上に気にすれば、却って自分がきつくなるような気がしたので、放っておくしかなかった。
その人が、どこの誰だか分からなかったが、顔だけは分かっていた。そして、その人のことを余計に気にするようになったのは、休みの日に、絵画教室に行った帰りのことだった。
絵画教室は、隣町にあって、周囲の街から、絵画好きな人が集まってくることで、最近はまた賑やかになってきた。
やはり二十年くらい前は、バブルが弾けたことでのサブカルチャー人気にあやかって、結構な生徒がいたらしいのだが、ブームが去ってしまうと、一気に生徒の数も減ってしまって、一時期、経営難にも陥ったということだが、ブームというのは、回帰するものであり、数年単位でまたブームになってきたようだった。
そのことを理解したオーナーは、うまく教室を運営してきて、今またブームが再来したことで、生徒も充実してきたようだ。
鶴岡はブームが再来する前からの入会だったので、皆からは先輩扱いされていて、ありがたいこともあるが、後から入会した人の方が上達する人もいて、少し気分的には複雑だった。
そんな教室も、結構な人数で溢れてきた時、どこかで見たことがあると思っていた人がいたのだが、その人が、バスの中で、
「はやて詐欺」
に関しての情報を集めている人であることに気づき、ちょっとビックリした。
いつも帽子をかぶり、運転席から前を見ている運転手のことを、乗客がいちいち気にするわけもないので、自分のことを、
「いつも乗っているバスの運転手」
だなどと、分かるはずもなかった。
しかし、その人が、生徒何人かに、何かを訊ねている様子を見かけなければ、鶴岡の方としても、その人の存在を意識することはなかったかも知れない。
「どこかで見たことがあるような気がする」
という意識はあったかも知れないが、それ以上詮索する意識もなかったであろう。
それだけ、別に自分とは関係のない相手だと思っていたのであって、逆にバスの中で人に質問をしていたという行動も、そこまで不審に感じていなかったということを、その時に思い知らされたような気がする。
絵画教室で見た彼の様子が、まるでデジャブのように感じられたことで、余計に気になったというのと同時に、それまでもっと気になっていたと思っていたのだが、この瞬間から意識がシンクロしてしまって、どう考えればいいのか分からなくなっていた。
その男性は、また絵画教室でも何かを探るように聞き込みをしているように見える。
一度見えてしまうと、その行動が気になってしまい、
「やっぱりまたはやて詐欺につぃて聞いているのだろうか?」
と思って気にして見ていると、どうやら、詐欺についての聞き込みではないようだった。
どうやら、誰かのことを知っているのかということを気にしているようだった。名前は聞いたのだが、それが誰なのか、知っている人ではなかった。ただ、
「初めて聞く名前ではないような気がするんだけどな」
という思いがあったのは確かだった。
だが、どこかで聴いたという意識はあるのだが、思い出せなかった。普通なら、気になってしまい、意地でも思い出そうとするものなのだろうが、この時は、別に無理して思い出す必要はないような気がしたのだ。
どうして、そんなに簡単に気にしないようになったのか、自分でもよく分からなかったが、必要以上に考えないようにしようと思ったのであって、それよりも、その男性の存在の方が気になっていたのだ、
元々は、
「はやて詐欺」
という詐欺について、何かを訊ねていたはずなのに、なぜ、今は普通に人探しなのだろうか?
と感じたのだ。
職業が探偵をしていて、何かの情報を集めているというのであれば、理屈は分かる。あれから少ししか経っていないが、詐欺の一件は一段落したのか、そして、その間に人探しの案件が入ったことで調査をしているのか?
この少しの間で詐欺の一件が、そんなに簡単に肩がつくとは思えない。そうなると、今回の人探しというのも、詐欺に関わっていることだろうか?
もっとも、これはこの男が探偵だということを前提に考えているのであって、どうも探偵にしては、あまりにも腰が低すぎるというか、相手が知らないというと、簡単に諦めて、表情も明らかに落胆を隠しきれない様子だった。
プロの探偵であれば、そんな態度を取るというのも、どこかおかしいと考えると、彼は探偵などではなく、詐欺に関係する何かの情報を、そして、その事件に関して誰かの消息になるのか、事情になるのか、人を探しているということになるのだろう。
はやて詐欺というのは、確かに、パンデミックの間に流行った詐欺の一つで、まるで火事場泥棒のような卑劣なもので、皆が苦しんでいる時に、さらに苦しみを与えることで、中には自殺したという話も聞いたことがあった。
だが、あくまでも、動乱の時期の一つの事件であって、思ったよりも、世間は素早く動いていた。
立ち止まってしまえば、誰も相手をしてくれない状態になり、気が付けばおいて行かれてしまう。
それを思うと、ショックを抱えていても、前を向かなければいけないという大変な時期だった。
必死でしがみつくようにして生きていた人たちの唯一の生きていくうえでの糧を奪われると、自殺をする人の気持ちも分からなくもない。
弁護士会の方で、救済委員会を緊急で設立し、一早い救済に乗り出したのは、当時の政府の後手後手ばかりをニュースで見せられた市民にとっては、救世主のような話だった。
「どうして政府もこれくらいのことができないんだろうな」
と、却って政府批判が強まったくらいだが、それも、救済委員会の設立の早さが功を奏してのことだろう。
ただ、相手は新手の詐欺グループだった。
しかも、サイバー関係に関しても知識が豊富で、なかなか尻尾が掴めない。
まるでもぐら叩きのように、叩いても即行で隠れてしまうのだから、どうしようもない。
警察組織では捜査に限界があった。もちろん、それもやつらの計算に入っていたようで、「どうせ、新たな組織を立ち上げるにしたって、時間がかかるに決まっている」
とタカをくくっていたのだが、その割に、早い設立だったので、犯罪グループも一瞬焦ったことだろう。
しかし、日本のこの体制の中で、普通ならありえないスピードだった。
ということは考えられることは一つしかなく、
「水面下で、このような詐欺が起こるのではないかということで、新たな組織を立ち上げる準備が最初からなされていて、極秘裏にその途中だったのではないか?」
という考えであった。
ほぼその考えは間違ってはおらず、最初は水面下で進められていたが、詐欺が実際に起こってしまうと、もう世間に隠しておく必要はなくなった。
作品名:いたちごっこの、モグラ叩き 作家名:森本晃次