いたちごっこの、モグラ叩き
しかも、悪いことまで書いてくれるというのは、それだけしっかり読んでくれているということなので、嬉しい限りである。
送り返されたものには、見積もりが添えられている。
そもそも、自費出版系の会社の本を出す基本には三つのカテゴリーがある。
一つは、
「この人の作品は、優秀で、商業路線に載せても、十分に採算が取れるので、出版社が全額費用を負担する」
という、
「企画出版」
と呼ばれるもの。
もう一つは、
「この人の作品は優秀であるが、商業路線に載せて、採算が取れるか微妙なので、出版社がすべてを負うわけにはいかず、作者と費用面で折半して、本を発行する」
という、
「協力(共同)出版」
と言われる形のものがあるのだ。
そして最後は、
「この作品は、個人の趣味として、本屋に柳津させずに、記念としての本を出すだけで、その代わり、破格の金額を提示する」
という、従来からの、
「自費出版」
という形に落ち着くものである。
この中で、ほぼすべてと言っていいくらいが、協力出版への誘いである。まず、企画出版はありえないし、自費出版するくらいなら、最初から自費出版にしているdろう。
そうなると、その費用だが、筆者の負担は、数百万円になるのが普通だ。
一般のサラリーマンには簡単に出せる値段ではない。それでも、本を出している人が結構いるということは、皆お金があるのか、それとも、本屋に自分の本を並べるということをステータスとして考えているのか、正直。数百万をポンと出せる人がいるのが信じられないくらいだ。
中には借金をしてでもお金を作った人もいるだろう。
しかし、どうしてそこまでするのかということが分からない。
しょせんは、趣味の域を超えないもので、協力出版でも、本を並べさえすれば、自分がプロの作家にでもなった気がするというのだろうか。
鶴岡の知り合いで、これは後から聞いた話なのだが、彼も小説を自費出版系の会社に送り続けたという。そして、協力出版ばかりを言われて、しかも。見積もりに不審点があるので指摘すると、
「それは、本屋に並べる営業費も含めての値段です」
というではないか。
「じゃあ、自分はそんなお金はないから、企画出版してもらえるまで原稿を送り続けます」
というと、何度目かに送った時、担当という編集者から電話がかかってきて、
「今までは私の権限で、あなたの作品を編集会議に掛けて、推奨することで、協力出版という形にしてきたんですよ。これがあなたを推薦するのは最後になります。だから、今協力出版でも何でも本にしないと、これ以降はもう、本にすることはできませんよ」
というではないか。
それを聞いた友人は、
「それでも、企画出版を目指して送り続けます」
と、半分怒りを込めていったらしいのだが、相手はキレてしまって。
「もう、あなたが本を出せる可能性はないんですよ。企画出版なんて夢のまた夢。一般の人に企画出版などありえないんです。企画出版を進めるとすれば、それは、芸能人のような有名人か。犯罪者のように、曲がりなりにも名前が売れている人でないとありえません」
と言われたという。
それを聞いて、さすがに友人もキレたという。
「じゃあ、いいよ、他の出版社に原稿を送るから」
と言って電話を切ったという。
いくら編集者の人間も、苛立ったとはいえ、いっていいことと悪いことがあるだろう。
どんなに有名で信頼できそうな出版社であっても、このセリフを聞くと、さすがに冷めてしまうだろう。
電話では、相手に対して、
「他の出版社に原稿を送る」
とは言ったが、冷静になって考えると、どの出版社も似たり寄ったりだと言ってもいいのではないか。
実際に原稿を送っても、同じように協力出版を持ちかけられるだけだが、今回は分かっているだけに、却って。
「こっちが利用してやろう」
と思ったのだ。
一応原稿を送ると、小説の内容を批評して送り返してくれる。
ただで、添削をしてくれているようなものだと思うと、だいぶ助かるではないか。
当然、出版に関してのことはスルーである、
「誰がお金なんか出すものか」
という気概を持っていた。
最初の出版社への恨みを、別の出版社で晴らすというもの、翻意ではないが、これもしょうがないと思っている。
すると、そのうちに、自費出版業界に暗雲が立ち込めてきた。
自費出版系の会社が、トレンドとなり、
「新しい業界の礎」
とでもいって、もてはやされ始めてから、二、三年もすれば、雲行きが怪しくなってきた。
すでに、十社以上の似たような出版社があったが、そのうちの一つ、大手と言ってもいいような出版社が、裁判沙汰になっていたのだ。
それらの出版社が、協力出版で本を出す場合の約束事に、
「一定期間、全国の有名書店に置く」
ということが謳われていたのだ。
実際に、自分の本が出版されるという日になった時、筆者だったら当然、自分の本が有名書店にならんているのを見に行くのは当然であろう。
しかし、実際に行ってみると、本屋には並んでいない。しかも、その出版社が発行している本のコーナーすらないではないか。
考えてみれば、毎日、プロの作家でも、十冊以上の新刊が出るのだから、素人のしかも、無名の出版社の本が並ぶわけもないのだ。常識で考えれば分かりそうなものだが、きっと盲目になっていたのだろう。
しかも、自費出版系の出版というのは、最近の流行りであり、出す人も山ほどいるのだから、本屋もそのブームに乗るという甘い考えを持った人も少なくないだろう。
出版社とすれば、筆者にお金を出させて、本を作ってしまいさえすれば、そこで終わりなのだろう。実際に営業しているかどうかなども分かったものではない。たぶん、作ったら作りっぱなしなのだろう。
だが、そうなると、問題は本を作った後の在庫である。
一人に千部として、毎日十冊を作れば、一万冊が毎日発刊されることになる。これが一年ともなれば……。
それが在庫となるわけだから、在庫を抱えるための倉庫も必要で、倉庫代も筆者からもらうしかないだろう。
この会社の経費の一番は、たぶん、宣伝費ではないだろうか。会員を募って、本を出すという人を増やさない限り、収入の方法はないわけで、まずは宣伝費、そして次には人件費である。
一人の作家に担当をつけて、その人が作品を読んで批評し、見積もりを作って送り返す。さらに、コンクールなどでは、下読みをする人も兼ねるとなると、一定の人数はいるだろう。
そのための人件費である。
そして次は在庫を持つための倉庫代。これもバカにはならないに違いない。
つまりは、完全な自転車操業なのだ。どれかが詰まってしまうと、たちまちに咲きゆかなくなってしまい、一気に倒産に向かって進む。その引き金を引いたのが、本を出した人によって、契約違反で訴えられたことである。
一人が訴えると、二人、三人と増えてくる。そうなると、信用はがた落ちである。
この間までは、あれだけこの業界を、
「新しい風が吹いてきた」
などともてはやしていた連中も、今度は掌を返したように、
「何か胡散臭いと思っていたんですよ」
作品名:いたちごっこの、モグラ叩き 作家名:森本晃次