いたちごっこの、モグラ叩き
「このまま至って、会社と心中することになるじゃないか」
ということになるので、依願退職もたくさんいることだろう。
要するに、
「会社に残っても地獄、辞めても地獄」
ということなのだ。
誰もが一寸先は闇。それが、あの時代だった。
人員削減と同時並行で進められることとして、経費削減がある。
当然拡大事業も縮小しなければんらず、そのためリストラで退職者を募っているわけで、そうなると、次の削減は、産業手当であろう。
企業の経費で一番カットできるのは、人件費であり、まずは人件費の大規模な縮小。その次には、細かいところでの経費の節減。つまりは、使用していない電器を消すであったり、光熱費の節減。社員には定時退社を義務付けるようにし、アルバイトやパートを雇うことで、単純作業は彼らにやらせる。
それが経費節減に繋がるのだ。
定時に退社することで、それまで残業ばかりをしていた会社員は、定時以降の時間を持て余すようになってくる。
その時出てきたのが、
「サブカルチャーの充実」
という考えである。
会社を一歩出てからどうやって持て余した時間を埋めるかということが、会社員にとっては大きな問題であった。
中には、
「スポーツジムに通って、身体を鍛える」
あるいは、
「何かの趣味に没頭する」
というような人が増えてきたのだった。
そのための、いろいろな業種が出てきたのも事実であり、カルチャースクールのようなものが流行り出した。
学生時代には小説を書くことを趣味にしていたが、なかなか小説を書こうという人はそこまではいないのか、カルチャースクールには、俳句や短歌などのようなものはあっても、小説執筆講座というのは、なかなかなかった。
まったくないわけではなかったが、それでも、絵画教室や、彫刻などの方が圧倒的に多くて、入会する人も多かった。
絵を描くようになった鶴岡は、さすがにカルチャースクールにまで手を出すことはなかったが、小説を書いていた時、その頃に出現した、
「自費出版関係」
に、興味を持ったのだ。
「結構、おもしろいかも知れない」
と思ったのは、
「本を出しませんか?」
という広告を、雑誌や新聞に煽っていて、誰でも応募できるというものだった。
いわゆる、以前の、
「持ち込み原稿」
のようなものであり、当時の持ち込み原稿に対しての、冷遇された扱いから比べれば、かなりのいい処遇だったのだ。
基本的に、
「持ち込み小説」
と呼ばれるものは、持ち込み原稿を出版社に持ち込んで、そこで出版社の人間、編集長などに手渡しをして、読んでもらえるようにお願いするという、いわゆる、
「直談判」
であるが、これは、素人が小説家になるための方法の、大きく分けて二つの方法の一つだった。
もう一つは言わずと知れた、
「出版社系の新人賞へ応募して、入賞すること」
であり、もう一つがこの、直談判であった。
しかし、この直談判は、まずこれで小説家になれるなどということはありえない。よほどのコネがあるか、本人が有名人であるかでもない限りは、まず間違いなく、
「はい、受け取りました」
と、笑顔でいっておいて、来客者が帰ったとたん、原稿は無惨にもゴミ箱行きだ。
まだ会ってくれるだけましなのかも知れない。ただ、変に断ると、読者も減るという懸念でもあるのが、会うことくらいはするようだ。
だが、結局はそれだけのこと。会っている間にも、
「早く帰ってくれないか」
と思っていることだろう。
早く帰ってくれなければ、自分にも仕事の段取りがあると思っているからで、編集者とすれば、押し売りをあしらうかのような感覚であろう。
大体、毎日のように持ち込み原稿を持ってくる人がいるが、ただでさえ、本は毎日発刊され、そのほとんどは売れずに返品される。プロの作品でもそうなのだから、無名の何ら売れる根拠のない作家の作品を読むひまなどあるはずもない。それが当たり前だ。
それなのに、持ち込みが後を絶えない。本当に押し売りもいいところであろう。編集者からすれば、
「そんな素人の小説家ごっこに付き合っている暇はない」
というものだ。
いくら夢を追って頑張っているとはいえ、現実的にはありえない。もし万が一、本と出しても、その一作で終わりであれば、何のために出したのか分からないと思う作家もいるだろう。
一作品でも本にすることができれば、まずほとんどの作家は、
「これで、俺もプロの小説家だ」
などと、自惚れてしまうのも無理はないだろう。
どうせ、それ以上は出せないのだから、
「一作品だけでもいいから世に出したい」
と考えている人であれば、夢がかなったのだからそれでいいかも知れない。
ただ、そんな人でも余計な夢をさらに追わないとも限らない。余計な夢をなまじっか見せられると、欲が出てくる。人間。欲には勝てないものだ。盲目にもなるだろう。そうなると、抑えきれない妄想や欲をどうすればいいのか、本人以外にどうすることもできないに違いない。
人によっては、仕事を辞めてまで、作家に専念しようと思う人もいるはずだ。そうなってしまうと、退路すらない状況で、誰を恨めばいいというのか。
そんなリスクを出版社も負いたくはないだろう。
とにかく、持ち込み原稿などは、天地がひっくり返っても、まず出版される見込みはないと思った方がいい。それでも、せっせと執筆して持ち込んでいる人の中には。
「持ち込むところまでが、作品の完成」
と思っている人もいるかも知れない。
最初から自己満足だと思っている人であれば、それならそれでいいのではないだろうか?
そこで登場したのが、
「自費出版系の出版社の台頭」
というわけである。
彼らの宣伝文句は、
「あなたの作品を本にしませんか?」
というものであった。
あくまでも、作品を本にするまでが目的で、その人が作家になれるかどうかというのは、問題ではない。そのあたりを勘違いしている人もいたかも知れないが、基本的には皆分かっていることだろう。
本を出したいと思うのは、作家になる人の最初の登竜門なので、まずはそこからがスタートラインであった。
その頃の章せつぃ執筆人口は、今まででピークを迎えていた。実際にどれだけの人がいるのかも知らないし、実際にまわりに、
「私、小説を書いています」
などという人は実際にはいなかったので、疑問であったが、文学新人賞に応募する人が数百人なのに対し、自費出版社系の出版社が応募したコンクールには、一万作品近い作品の応募があったという、(それも、出版社が公表しているだけなので、どこまで本当なのか疑わしいが)
ただ、確かに小説を書いている人はたくさんいるようで、出版する人もそれなりにいるようだ。
小説を書いて、原稿を自費出版社に送ると、まず応募作品の作者に対して、担当がつくようだ。
その人が小説を読んで、批評を書いて、送り返す。その批評というのも、便箋のような神に三枚くらいの批評をしてくれる。それも、いいことばかりではなく、悪いところも批評してくれるので、今までの持ち込み原稿のように、ただ捨てられるというわけではないというだけでも好印象が持てるのだ。
作品名:いたちごっこの、モグラ叩き 作家名:森本晃次