いたちごっこの、モグラ叩き
推理小説というものは、特に海外では、本格推理小説の中でも、トリックと駆使する作品よりも、謎解きを重視するようなストーリー性の高いものが多いということである。そういう意味で、戦線戦後くらいの作品というのは、今から読むと結構新鮮であり、読みごたえがある。
それはきっと、まったく違った時代背景によって、なかなか知らない時代の社会風俗を想像することが楽しいと思えるのではないだろうか。
そもsも、小説というのは、想像することでその内容が膨らんでくるものである。異世界ファンタジーが流行った時代があったが、あれと同じで、背景などすべて想像することで、人それぞれでまったく違う世界が構成されるというのも、実に楽しいのではないだろうか。
鶴岡は、学生時代に、自分もミステリー小説を書いてみたことがあった。トリックなどはなかなか思いつかないので、謎を適当にちりばめる形のものを書いたことがあったが、それを友達に見せた時、
「なかなか面白いじゃないか?」
と言われて、よく出版社系の小説新人賞に、応募してみたりしたものだが、一次審査にすら通ったこともなかったのだ。
文学賞に限らずコンクールというものは、審査に関しては、その内容は一切非公開で、問い合わせにお応じないというのが常識だった。
応募する方としては、自分の作品のどこが悪いのかまったく分からない。しかも、落選したのだって、自分のレベルがどのあたりなのか、一次審査で残るのは、二割くらいしかないと言われているような場合に、一次審査で落選したのが、
「あと少し頑張れば、一次審査を突破できる」
という状態なのか、それとも、
「箸にも棒にもかからない小説で、最初から応募すること自体が無謀なレベルだ」
ということなのか、まったく分からない。
しかも、どの部分が悪いのかすら分からないので、これからさらに頑張っていっていいものなのかどうかが、疑問で仕方がない。
文学賞の一般応募というのは、基本的には、一次審査、二次審査。そして最終審査というのが、主流だと言われていて、応募要項の中で書かれている、プロの作家による審査というのは、最終審査でしかないのだ。
しかも、一次審査というのは、その作品を見るのは、
「下読みのプロ」
と呼ばれる、アルバイトのような連中だというではないか。
つまり、一次審査というものは、
「小説として、文章作法に無理がないか、誤字脱字などのあら捜しなどが基準」
ということで、小説の内容など二の次だというのだ。
逆に、素人が書いた作品だといえ、素人のアルバイトにその内容を判定されるのは、理不尽でいかない。そんな実情を知ってしまうと、小説新人賞に応募するということでも、頭の中で冷めてしまうのではないだろうか。
さらに、新人賞を取ったとしても、プロの作家として生き残っていけるという保証はない。
むしろ、受賞作よりも次回作に期待されてしまい、受賞作よりもいい作品でなければ、そこで終わってしまうというのが、作家の運命だ。
人によっては、新人賞を獲得することだけを夢見て書いてきたので、
「この作品で燃え尽きた」
と思っている人もいるだろう。
そんな人に、さらなる作品を期待しても土台無理なので会って、まず、ここが、プロとして生き残れるかどうかの最初の難関だと言ってもいい。
当時でも、そんな感じだったので、今の時代は、文学新人賞は、山ほどある。毎日のように、いろいろな出版社から、いろいろな作家が本を出版している。一日に何十冊と新たしく出てくるのだから、当然、本屋というのは、販売エリアが限られているのだから、おけるスペースも限られてくる。
本当に売れる作家の小説は何冊も平積みにしてあり、ポップも飾られ、宣伝効果も十分だが、そこまでないプロ作家の作品は、一冊か二冊だけ棚のどこかに押し込められるだけで、その作家のファンでもなければ、誰にも取られることもなく棚に残っていくだけだ。
まだ残っているならそれでも、売れる可能性はゼロではないので、何とかなるかも知れない。
しかし、、売れなければほとんどが返品、それが運命だ。
今の本屋は本当にシビアで、昭和、平成と、テレビ化など何度もされた有名作家の作品でも、ほとんど棚にないのが現実だ。あれだけ本屋に所せましと置かれていた有名作家の本を、今は本屋で見ることはできず、注文したとしても、
「その本は、廃版となりました」
と言われて、もう読むこともできない。
もし、読めるとすれば、図書館か、古本屋に並んでいるかも知れないという程度で、本を自分の家の本棚に並べることが、読書家のステータスのように感じていた人間には、どうしようもないことなのだろう。
四十五歳になった鶴岡には、学生時代から読書が趣味だったこともあって、自分でも小説を書いていたこともあり、そのあたりの出版業界の話も分かっているつもりだ。
特に、今から十数年くらい前にあった、
「出版界の革命」
と言われた、いわゆる、
「自費出版ブーム」
と言われるものがあったのを、覚えている人も多いかも知れない。
かつて、昭和の終わりから、平成初期にかけて、それまであったバブル掲載というものが崩壊した時代があったのだが、そのことで、世間は一変してしまった。
それまで企業は、新規事業を拡げれば広げるほど、儲かるという仕組みの世の中だった。今でいう、
「ブラック企業」
など当たり前のように存在していて、
「二十四時間戦えますか?」
という言葉があったくらい、時代は、イケイケ状態だったのだ。
しかし、バブルが崩壊してしまうと、世の中というのは、それまでの常識が通用しなくなった。
新規事業に手を出したら、その分、負債が広がり、それまで銀行はいくらでも融資をしてくれていたのに、今度は銀行がその融資金を回収することができなくなり、一番危ないのが、銀行になってしまった。
「銀行は絶対に潰れない」
という神話が昔はあったのに、バブルが弾けてしまうと、銀行の資金が焦げ付いてしまったことで、倒産するところが出てきた。
零細企業などはひとたまりもなく潰れていく。銀行も負債を抱えたまま潰れてしまう。
そうなってしまうと、そこから先は、どうしようもなくなってしまい、会社が生き残るためには、
「大手企業同士の合併」
「企業の経費削減によるリストラ」
などが叫ばれるようになってくる。
リストラというと、その代表例が、人員削減である。
つまり、
「肩たたき」
などという言葉にあるように、肩を叩かれると、上司に呼ばれ、依願退職を勧告される。
つまりは、
「今なら退職金もまともに出せるので、退職願を書いてくれ」
ということである。
もし拒めば、出世は一生望めないという窓際に追いやられてしまうだろう。
だが、ここも考えようで、そんな会社にいつまでもしがみついていて、会社が最後倒産となれば、退職金も貰えるかどうか分からない。
「今なら退職金はまともに出る」
という言葉は、いいかえれば、
「時間が経つにつれて、会社経営が危なくなるので、退職金はまともに出せない」
と言っているのと同じである。
そうなると、
作品名:いたちごっこの、モグラ叩き 作家名:森本晃次