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いたちごっこの、モグラ叩き

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「記憶を取り戻す必要なんかあるのかな?」
 と感じ始めていた。
「もし、取り戻さなければいけない記憶だというのであれば、いずれ自然と思い出すという考えは間違っているのでしょうかね?」
 と先生に聞いたことがあったが、
「間違いではないですが、自然に思い出すということは、正しいのでしょうが、我々医者は、それを正しいと言ってしまってはいけない宿命があります。医者というのは、患者のために、最善を尽くすというのが定義になっているので、目の前にある疾患は、取り除く努力をするというのが、我々の医者としての使命なんです。何が正しいか、間違っているかという結論づいていないものであれば、最優先は、疾患を取り除くことなんですよ。我々にとって一番招いてはいけないことは、手遅れになることなんです」
 というのだった。
「なんだか、それだと自己満足なんじゃあ」
 と思わず口に出てしまったが、
「そうです。これは私たち医者のジレンマなんです」
 ということだった。

              趣味の世界

 その奥さんは、それからも。鶴岡の運転するバスに乗っていた。いつも同じ時間に乗り込んできて、同じ場所でおりる。奥さんに会釈をすると、ニコリと微笑んで、会釈をしてくれるが、会話をしようという感じではなかった。
 鶴岡が勤務中だということで遠慮しているのだろうが、一度会話をした相手に対しての雰囲気とは違う。まるで会話をしたということを忘れているかのようだった。
 彼女が記憶喪失だということであったが、実際には普通の記憶喪失とは違うのかも知れない。
 確かに事故によるショックで、それ以前の記憶を失ってしまったという話だったが、症状はそれだけにとどまらず、記憶するという機能自体に、障害を及ぼしているのかも知れない。
 しかし、医者がそのことに気づかなないわけhない。個人のプライバシーへの守秘義務を果たしているということであろうか。となると、彼女は記憶喪失というだけではなく、健忘症も患っているとすれば、身体的な悩みは大きいのかも知れない。
 以前、奥さんが、
「内に秘めたる悩みを解決できれば、記憶が戻るかも知れない」
 などという分析をしてみたことがあったが、問題はそんなことではないようだ。となると、今の奥さんには、誰か信頼できるサポートをする人がついていてもよさそうなのだが、見る限りはついていない。それもおかしな気がした。
「となると、今の奥さんが、健忘症のふりをしているということなのか?」
 と思ったが、何が目的なのだろう?
 以前から、この奥さんは、鶴岡に対して、いつも凝視してきて、嫌でも気にしないわけにはいかず、ずっと意識していたが、それが何の偶然か、記憶喪失ということで、同じ病院に通っているということが分かった。
 話としては、出来すぎている気がするのだが、そうなると、最初に鶴岡をじっと見つめていたのは、
「鶴岡に、意識させることで、何かの暗示を与えるのが目的だったのだろうか?」
 とも考えた。
 鶴岡は、学生時代はミステリーが好きで、よく読んでいた。特に戦前戦後にまたがるくらいの、いわゆる探偵小説と呼ばれていた時代の話である。
 トリックや謎解き、優秀な探偵が登場し、活躍するようなものを本格派推理小説と呼び、当時の世相を反映したような、猟奇的なテーマを主題にしたものを、変格派推理小説と呼んだ。
 当時は、作家によって、本格派と変格派とを分けようとする風潮もあったが、実際には、本格派も書くし、変格派も書くという作家もいれば、初期は変格派を中心に、それ以降は本格派に転身するという作家も結構いたりしたので、作家単位で、本格派、変格派を分かるのは難しいだろう。
 ただ、作家を紹介する際に、分かりやすくするために、どちらかを代表して呼ぶようなこともあるが、作家本人が、自分の考えている作風と、紹介する人との意志が一致しておらず、紹介者の説明がそのまま世論に広まるということもあるだろう。
 作家は不本意ながら、それを受け入れる人もいれば、
「私は、変格派だと言われているが、本当は本格派だと思っている」
 と、反論する作家もいたりする。
 さすがにそういう時は、作家の言い分を尊重するのだろうが、結局は最終的に決めるのは、本人でもなければ、紹介者でもない。読者なのではないだろうか。
 読者が、どちらの意見が多いかで、実際には決まってくる。ただ、それでも作家はいうだろう。
 編集者に言ったのと同じ言葉を繰り返すとこになるのだと思うのだ。
 精神的な病いやが、犯罪に結びついてくるのは、いかにも変格派推理小説のジャンルではないか。
 変質者による猟奇殺人。ただ、本格派推理小説にも、精神的な病いが影響しないとどうして言える? 変質者ほど、犯罪に対してストイックに頭の歯車がうまく作用して、精神的に正常だと言われる人たちでは思いもよらない犯行を思いつくのだ。それがトリックであったり、完全犯罪への筋書きだったりすると、その謎を解くのは、本格推理小説だといえるのではないだろうか。
 ただ、最近は、いや、もうずっと前からなのだろうが、本格推理小説を構成するトリックが、ほとんど出尽くしたと言ってもよくなってきた。
 しかも、現在では、科学の発展により、科学捜査が主流になってきたことで、昔からあったトリックのほとんどは成立しなくなっている。
 トリックの中でよく使われる、被害者を特定できなくする目的で行われる、
「死体損壊トリック」
 なども、いくら指紋や、特徴のある部分を損壊させたとしても、DNA鑑定を使うことで、被害者の身元を特定することができるようになっている。
 また、社会事情の変化に伴ってという意味で、犯人の無実を証明するための、
「アリバイトリック」
 というのも、なかなか通用しなくなっていった。
 最近では、いたるところに防犯カメラが設置してあったり、車の中には、ボイスレコーダーや、走行カメラなどが設置されたことで、犯行を犯しても、その証拠として映像に残る可能性が昔に比べて、各段に増えた。
 世の中というものは、それほど目を開かせていないと、どこでトラブルに巻き込まれたり、犯罪が発生するか分からないということで、カメラが一種の抑止力になるのではないかということなのであろうが、犯罪が本当にそれで減っているのか、一般人には分からない。
 そういう意味で、犯罪が行われる場面での抑止力なるものは、確実に増えている。少なくとも、推理小説という分野では、難しいものになっていることだろう。
 しかし、それはトリックを使用するうえでのミステリー小説であり、謎解きというのは、必ずしもトリックを必要としない。
 トリックと言っても、まだまだ他に種類もあり、一つのトリックだけでは薄いものも、いくつかを組み合わせること、あるいは、犯罪の流れをミスリードすることなどにより、ミステリアスにすることで、犯行をごまかすこともできる。