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トラウマの正体

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 気分的に余裕が出てくると、それまでがむしゃらだったことで忘れていた孤独感が急に襲ってきた。
 その孤独感を癒してくれたのが、三年前に入社して、今年から泰三の部署に配属になったゆかりだったのだ。
 しかも、彼女とは面識がないわけではない。自分も覚えていたが、それ以上に彼女が覚えていてくれた。
「私、以前ここでお世話になった下北さんのことが忘れられないんですよ」
 と言ってくるではないか。
 彼女には聡明なイメージしかなく、このような距離感を示してくるようなタイプではないと思っていただけに、意外だった。
 だが、泰三には、母親のような、バカな女を嫌いだという明確なビジョンがあった。だからゆかりのすり寄り方には、最初警戒心を持ったのも、無理のないことであろうが、母親とは明らかに、
「土台となる頭が最初から違っている」
 ということは分かっていた。
 さらに両親を見て感じたのは、
「恥ずかしいという思いや、世間体ばかりを気にしていると、気持ちが表に出てくることがなくなる。だから、わざとらしいくらいに、表に仲の良さをアピールしても、ぎこちなくない相手であれば、きっと離婚することもなく、自分が感じている幸せな家庭が築けるのではないか」
 ということであった。
 大げさすぎるくらいでもいいから、
「好きだと思った時、遠慮などする必要はないのだ」
 と、いうのが、自分にとっての結婚生活の理想だと思うようになっていた。
 それを、
「おしどり夫婦」
 というのだということを、いまさらながらに思い出していた。
 おしどりというのは、つがいでよく一緒にいると言われていることで、
「仲のいい夫婦」
 の代表のように言われているが、おしどりというのが、
「冬ごとにパートナーを変える」
 ということを知っている人がどれだけいるというのか?
 まるで、公認の不倫のようではないか?
 そういえば、公認の不倫ということであれば、
「オープンマリッジ」
 という言葉をよく聞くことがある。
「性の解放」
 というべきか、夫婦間以外の性的な関係を、相互の合意の元に行うという意味で、アメリカで提唱された、一種の結婚のスタイルとも言われている。
 長所においても、短所においても、それぞれ課題があるので、一長一短なのだろうが、夫婦間において、マンネリ化した性生活に刺激をもたらすという意味での長所はあるのだろうが、そのために、夫婦間で意思疎通がしっくりいっていなければ、お互いに気持ちがすれ違ってしまうことになりかねない。
 つまりは、夫婦間において、お互いに確固たるルールを持っていないと、どちらかが自由にしてしまうと、気持ちがすれ違うだろう。
 そうなってしまうと、修復は難しい。しかも、
「結婚している意味があるのか?」
 などとどちらかが考えてしまうと、その時点で、
「夫婦は終わった」
 ということになりかねない。
 本来であれば、
「マンネリ化した夫婦生活を活性化させることで、再度、自分たちの結婚を見つめなおす」
 というはずだったものが、違う形になって本末転倒になりかねない。
 ルールとしては、
「決して相手を好きにならない」
 というのを前提にして、
「家に相手を連れ込まない」
 あるいは、
「相手を選ぶ時も、絶対に同じ立場の既婚者であること」
 などという、お互いにオープンマリッジを実践している相手でなければダメだというようなルールである。
 ルールを決めておかないと、公然な不倫だということで気が大きくなってしまい、不倫相手との立場が平等どころか、相手の方が立場が強い場合など、難しいところがある。相手が既婚者でも、オープンマリッジでなければ、相手の配偶者にバレたりすると、慰謝料を請求されることになる。
 その時に、相手の配偶者に、
「オープンマリッジとして……」
 などと言っても、相手は理解することすら難しいだろう。
 相手が悪い相手なら、配偶者との仲がどれほどのことになっていようが、
「自分たちの夫婦関係を壊された」
 と証言すれば、何とでもなる。
 ホテルに入るところを撮影でもされていれば、決定的瞬間として、言い逃れはできないだろう。
 まさか、美人局ということもないとは思うが、相手の夫婦がグルだったりすることもあるだろう。
 それだけに、よほど安心できる相手でなければ、難しいことも間違いない。
 もっとも、
「それだけのスリルがあるから、オープンマリッジが楽しい」
 とも言えるのではないだろうか。
 夫婦というのは、いろいろな形があるのだろうが、このような歪んだ関係は、どこまで世間に受け入れられるかというのも、難しいところだ。
 道徳的な観点からいうと、許されることではない。日本では、姦通罪はないので、刑法犯ではないが、世間的には有罪であり、社会的立場が崩壊してしまい、下手をするとオープンマリッジを教えてくれた人も、裏を返して、批判してくるだろう。
「どうして、もっとうまくできなかったんだ?」
 という思いが強く、こちらの失敗のせいで、その人たちにも禍が及ぶことを避けなければいけないだろう。
 オープンマリッジというのは、ルール決めにおいて、いかにうまくやるかということなのだろうが、元々、マンネリ化した夫婦関係お打開が一つのきっかけになることが多いだろう。
 つまりは、生理的なもの、それを精神的なものとして捉えるか、あるいは、肉体的な意味で、条件反射的な発想からのものなのかによって、取り入れてから起こるであろう各種のトラブルに対応できるかが決まってくる。
 何と言っても、大前提になるのは、
「交際相手に対して、本気にならないこと」
 これが、一番の理由である。
 それは、自分たちに限らず、相手に本気になられる場合だってあるわけで、そうなってしまうと、精神的な部分が、理性に打ち勝つとなると、どうしようもなくなってしまうだろう。
 それは男であっても、女であっても同じこと。
「女だから」
 あるいは、
「男だから」
 などというのは、オープンマリッジを始めた時点で関係ないのかも知れない。
 しかし、相手を好きになってしまうと、どうしようもなくなるというのは、少し危険な気がする。
 そもそも、配偶者と結婚したのだって、最初は、
「心身ともに、この人とは相性がいい」
 と思ったからではないだろうか。
 いくら、性格的なものが合うといったり、身体の相性が抜群だといっても、その両方が伴わなければ、なかなか相手との結婚に踏み切れないに違いない。
 そんな状態で結婚し、結婚までがピークだったというのか、平成の頃に流行った、
「成田離婚」
 などという言葉があるように、新婚旅行から帰ってきて、離婚するという夫婦に対しての言葉だったが、それは、ほとんどが、結婚する前までに感じていた相手への感情を結婚すると感じることができなくなった。
「こんなはずではなかった」
 と、その人にとって、譲れない何かを新婚旅行で初めて一緒に暮らしてみて感じたということも多いだろう。
作品名:トラウマの正体 作家名:森本晃次