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トラウマの正体

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 確かに、ある一定の期間までに慣れることができた人は、都会に染まることができて、垢抜けできるようだが、逆に、ある一定期間までに慣れることができない人は、それ以降はどうやっても慣れることができず、垢抜けできないままで、田舎者だと言われるようになるだろう。
 しかし、それは本人が望んだことではないだろうか。少しでも、
「都会に慣れたい」
 と思っている人は、たいてい、そのある一定の期間までに慣れることができるというものだ。
 一部の例外もあるだろうが、一定の期間が過ぎても、慣れることができない人は、最初から心の中に、
「慣れることなんかできないんだ」
 という思いがあるからではないだろうか。
 そう思うと、いつまで経っても都会に慣れない人は、そのまま田舎臭いことを自分の中で受け入れる形で生きていくことになる。
 中にはそれを受け止めることができずに暮らしていると、そのうちに自分が都会人なのか、田舎者なのか分からずに生きてくることになり、都会での自分の居場所がなくなっていることに気づくだろう。
 だから、一定の期間をすぎて、まだ田舎者として都会にいるような人は、そのほとんどに、都会と田舎でのジレンマに悩まされている人ではないかと思えるのだ。
 泰三は、都会に染まることのなかなかできないタイプであったが、それでも、何とか一定の期間までに滑り込む形で都会に染まることができた。
 実際に都会に染まってしまうと、それまでとはまわりの見る目も変わってきて、それまで、
「田舎者」
 と呼ばれていたのが、いつの間にか、都会でも目立つようになっていて、自分でも気づかないうちに、結構モテるようになっていた。
「これをモテキというんだろうか?」
 と、言われたりしていたが、一時期は複数の女性と付き合ってみたりして、モテキを十分に楽しんでいた。
 それまで、あまり自分がモテないと思っていた泰三にとって、
「複数の女性と付き合うなんて」
 という、思いが強かったのだが、それが強がりであったことに気づいた。
 確かに、一人好きになった女性がいるわけでもないのに、まわりからモテるようになると、その中から、一番好きな人を探そうと思うのも無理のないことだろう。
「どうせ、田舎者だと思われている」
 という感情が、モテないことへの言い訳になっていた。
 最初こそ、都会に染まって、どんどんモテたいという思いがあったからこそ、早く都会に染まりたいと思っていたのだが、思った以上に染まることができず、
「どうやったら、都会に染まれるか?」
 ということばかりを考えるようになっていた。
 都会に染まることを最重要としてきただけに、自分が相手を見ていないという思いが、モテない最大の理由だと思っていたことに気づかない。
 都会人であるかないかということが、すべてだというように思っていると、まず、見た目だけを装うようになってしまう。
 確かに、見てくれも大切だろう。しかし、
「見てくれだけで好きになってくれる人なんて、しょせん、本当に自分のことが好きだというわけではないんだ」
 ということなのだろうが、そもそも、自分が誰も好きになっていないことが一番の原因ではないのかということが分かっていないのだ。
 これはいろいろな意見があってしかるべきなのだろうが、
「自分が誰かを好きになったわけではなく、それ以前に好かれたいというのが、最初にあって、そのために、見てくれをよくする」
 という考え、あるいは、
「好きな人ができたので、その人に好かれたいという思いから、その時初めて、見てくれを考える」
 というものである。
 しかし、泰三は少し違った。
「誰かを好きになったわけではないが、好かれたいという思いはあるが、そのために、見てくれを気にすることが嫌だ」
 というものだった。
 要するに誰かに好きになってもらいたいという思いはあるが、それはあくまでも、外観ではなく、自分の内面を見てもらいたい。そのために、
「見てくれをよくするということは、相手を見てくれによって、その目をそらし、見てくれで好きにさせることで、内面もいい人だと思わせるための欺瞞なのではないだろうか?」
 という思いがあった。
 つまり、人を騙すことで自分を好きにさせるということであり、それは自分の翻意には値しないということであった。
 泰三の父親は、田舎とはいえ、地元大手の会社に就職し、それなりに出世もしてきた。
 泰三が、自分でも出世街道に乗れているのは、自分だけの努力だと思っていたが、ひょっとすると、親からの遺伝で、天性の実力が備わっているのかも知れない。
 そんな父親であったが、小学生の頃まではそんなに気にすることはなかったが、中学生くらいになってから、まわりの目を気にするように言われてきた。
 小学生の頃までは。父親よりも母親の方が厳しく、身だしなみなどに関しては、、結構口うるさかった。しかし、それはどこの家庭にもあることで、下北家が特別だったわけではない。
 父親も小学生の頃までは何も言わなかったものだった。
 しかし、中学生になってからというもの、今度は父親が率先して身だしなみに関してはうるさくなった。
 それは母親の比ではなく、
「なんでそんなところまで言われなければいけないんだ?」
 というところまで、いわゆるネチネチと言われるようになってきたのだ。
 小学生の頃までは、そんなに身だしなみに対して気にならなかったが、中学生になると、まわりが結構気にするようになってきた。最初は、
「なぜなんだろう?」
 と思うようになってきたが、その理由が思春期にあるということに気づくまでにはかなり時間がかかった。
 女性を意識すると、普通なら、身だしなみを気にするようになる。それが女性にモテる最初の段階だからだ。見てくれにて好きになられたとしても、思春期であれば、それでもかまわない。自分全体を好きになってくれたと思うからで。相手の異性も、きっとそう感じているに違いないからだ。
 双方とも同じ感覚で感じているのだから、それが違っていたとしても、思春期の恋愛であれば許される。いや、許されるというわけではなく、それこそが、
「思春期における恋愛」
 なのだからである。
 だが、自分が身だしなみに目覚める前に、父親からやかましく言われる。
「今、しようと思っていたんだけどな」
 という思いが怒りとなって、自分の中に鬱積してくるようになる。
 そうなると、意地でも父親のいうことなど訊かないと思うようになり、身だしなみという行為自体に嫌気がさしてくるのだった。
「他の同年代の男の子は、皆身だしなみに目覚めているというのに」
 と、父親は。自分の考えに逆らう息子を嫌になってくる。
 息子もそんな父親の心境が分かってくると、そこに大いなる歪が見えてくるのだ。
 父親は。それでも息子に歩み寄ろうとする。それは父親としても、自分の中で妥協をしているというのを分かったうえで、
「息子のために」
 という考えから、歩み寄ろうとしているだけなので、多感な息子にはそんな父親の下心が分かってくるのだった。
作品名:トラウマの正体 作家名:森本晃次