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トラウマの正体

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 と決まったのであり、日本が敗戦したことで、連合国の統治が始まるのだが、連合国による統治において、かつての大日本帝国の理念は邪魔なのだ。
 しかも、勝者としては、日本の大義名分である、
「アジアの国を解放する」
 というのは、植民地を保有している国としては実に都合の悪いものだった。
 そこで、占領国から、
「大東亜戦争という表記は使用してはならない」
 ということで、統治時代には、使用されることはなかったが、サンフランシスコ講和条約締結において、日本国の独立が承認され、統治が終わると、大東亜戦争という表記は許されるようになったはずなのに、マスゴミによる忖度名のK、その後も太平洋戦争という言葉が一般的になってしまった。
 そのせいもあるからなのか、戦争を知らない世代においては、(作者も戦争は知らないが)、
「かの戦争は、日本が犯してしまった過ち」
 ということで、日本のために戦った英霊を、戦勝国の人間が認めないというのは分からなくもないが、
「守ってもらっていた日本民族が認めないという理屈があってもいいのか?」
 という考えが少数派だということは悲しいことだと思う。
 朝鮮や中国に対しての忖度だというのであれば、あくまでも、外交上の問題であり、それを日本人としての意識から話してしまうから、今のような平和ボケの時代になるのだ。
 平和憲法が決して悪いわけではないのだろうが、その足枷になっていることで、実際に今の日本を苦しめているということも事実である。
 少なくとも、今の法律があることで、自衛隊が自分の身を自分で守れないという事実、さらに戦争でなくても、非常事態が起こるということがパンデミックによって分かったにも関わらず。憲法のために、ロックダウンや戒厳令を敷くことができないことで、国民を死に追いやっているということを、どこかでの人間が理解しているかというのも、大きな問題であろう。
 大東亜戦争であったり、シナ事変などという言葉であったり、それぞれに、本来の正式な名称を、わざと変形した形の名前が用いられていることに、違和感を持っている人が思ったよりも少ない気がする。
 果たして、正しい話をこうやってしたとことで、納得できると思う人がどれだけいるだろう。
 それはきっと、今までの教育に問題があったのではないかと思う。
 特に占領軍が、自分たちの都合のよい考え方を日本国民に植え付けるために使われた言葉を、あくまでも、それが本当のことであるかのように教育してきた。確かに占領期間中は、そのことを植え付けられてきたのだが、戦後の七年後にはサンフランシスコ講和条約ができて、日本は独立国になったのだ。だから、占領時代のような、
「大東亜扇動」
「シナ事変」
 などという言葉を使ってはいけないということにはなっていない。
 ただ、マスゴミが、占領時代からの発想をずっとそのまま引きずってきて、あれから、七十年も経っているというのに、いまだに占領時代のような発想のままというのは、果然にあの時に洗脳されたままだと言ってもいいのではないだろうか。
「洗脳」
 つまり、マインドコントロールに支配されている。
 それがマスゴミなのだ。
 作者も、学校でも、それ以外の場所での教育などで、
「日本は、やってはいけない戦争をした」
 あるいは、
「戦争は、負けると分かっていて、軍部が突き進んだ結果、突入した」
「学校では、竹槍の訓練を受けたりして、爆撃機を竹槍で、どうやってやっつけるというのか、バカバカしかった」
 などと、言われて、さぞや当時の軍部や政府は、
「揃いも揃って、バカばっかりだ」
 という発想を叩きこまれてきたという印象が多い。
 しかし、学校で習うことだけではなく、映画などで戦争中などに興味を持って、よりあの時代を勉強して見たいと思うと、今の時代は本であったり、ネットで、結構なことは調べられるものであった。
 学校では、戦争中の話などでも、ページとして一ページに感嘆に書かれている程度で、下手をすれば、事実だけが列挙されていることだろう。
 特に、明治以降の歴史というのは、世界史を知らないと、日本の歴史だけでは、とても理解のできないことが多い、しかも、世界情勢に操られる時代なので、刻々と歴史や世情は変わってくるのだ。
 教科書で箇条書きにしたとしても、どれだけの時代を要するか、つまり、十年分を勉強しようとすると、一週間以上の期間が必要になったりするというものだ。
 それだけの動乱の時代なので、逆に繋がってしまうと、見えてくるものは、これほど分かりやすいものはないだろう。
「歴史は嫌いだ」
 という人がたくさんいるが、その一つには、
「歴史という学問が、暗記の学問だ」
 ということが一番大きいのかも知れない。
 そしてもう一つは、
「目まぐるしく時代が過ぎていくので、まったく分からない」
 ということがあるだろう。
 教科書、つまり、高校などのカリキュラムで、一年間で日本の歴史を教えるなど、ほぼ不可能に近い。二年でも難しいかも知れない。
 高校によっては、教育の密度によって、江戸時代までしか教えることができなかったり、下手をすれば、戦国時代で終わってしまったりする。しかし、本当に学ぶべき歴史は明治以降であり、この百五十年くらいを、本当であれば、一。二年みっちりと時間を取るのが教育というものではないだろうか。だから、明治以降を本当に勉強するならば、学校の勉強では無理なのだ。学校で、
「歴史が一番嫌いだ」
 と思っている人に、学校を卒業してから、勉強していない時代を独学で勉強しなさいと言って、誰ができるというのか。
 それを思うと、占領軍が行ってきた、教育にどれほどの罪があるというのだろう? 教育内容が違っているとしても、大日本帝国の子供の方が、勤勉だったことだろう。ただ勉強する機会が限られてしまっただけで、今のように、いくらでも勉強ができるのに、それをしようとしない人が多く、いくら教育制度が整っているとしても、教育を受ける人間にその気がなかったり、学校教育が、本当に学ばなければいけないことを学べないという歪んだ教育方針は、政府の方としても、実はありがたいのかも知れない。どの時代であっても、国家が国民を洗脳するということは、大なり小なりあるのだった。その手っ取り早い方法として、教育が使われている。
「国民の三大義務の一つである教育」
 とは、一体何なのであろうか?

           泰三の家族

 下北泰三が結婚したのは、二十五歳になってからだった。相手は会社の近くの喫茶店に勤めている女の子で、いつも笑顔の絶え合い彼女の視線が、自分に向いているのに気付いていた。
 下北泰三は、都会に出てきてから、なかなか田舎者というイメージを払拭できず、いまだに、どこかダサいところがあった。
「田舎から出てきた人でも、ある程度の期間が経てば、都会の雰囲気にも慣れてきて、垢抜けしてくるものだ」
 と言われているが、実際にはそうでもない。
作品名:トラウマの正体 作家名:森本晃次