トラウマの正体
と思う人は、他にもいるかも知れないと思った。
そもそもオリンピックというのは、本当にやってよかったと言えることなのだろうか。
精神的には、
「スポーツで感動を与えて、気持ちを一つにして、難関に立ち向かう」
ということらしいが、そんな精神論的なことで、本当にいいのだろうか?
確かに、開催前はオリンピック特需で、まるで
「値上げ前の駆け込み需要」
のように、一時的に経済は潤うかも知れないが、その反動も大きい。
値上げしてからは、誰が高いものを買うというのだ。結果として、値上げして売り上げまで落ちるということになるものがどれほど多いということか。
特にオリンピックのようなものは、その反動は計り知れない。大会のために整備したり、新たに作った競技場が、開催後にどうなっているか、リオなどでは、まったく使用されず、コンクリートの割れ目から雑草が生えているという光景を見たりしたものだ。
さらに、ギリシャなどでは、オリンピックを開催したがために、国家が破産するという悲劇をもたらした。
これは、百害あって一利なしと言えるのではないだろうか。
さらに、開催前は、
「風紀を乱すと言って、風俗営業を取り締まって、結局一つの歓楽街を廃墟にしてしまうという暴挙」
と働いたりもした。
一つの産業が衰退に追いやられ、何とか持ち直すことができたところはいいが、政府に恨みを持ったまま、廃業のところも無数にあったことだろう。
まるで、この商店街のようである。
さて、先生の話であるが、
「私は昭和を、生まれてから物心がつく前と、その後で切り離してみるようになったんだけど、これは先生だけではなく、皆にも言えることだと思うんだよね。つまり、そうやって区切ると、本当にそこから前と後ろで違う時代のような気がしてくるように思えないかい? 皆がそれを自分で勝手に決めた線だということを認識しているかどうか分からないんだけどね。だから、先生にとっての昭和の前半は、戦前戦後の動乱の時代。そして、後半は、高度成長度の公害問題や、カネと政治などと言われた時代になってくるんじゃないかと思うんだ。君たちは、どうだろう? 世紀末からの時代になるので、テロ問題だったりパソコンやインターネットが爆発的に普及してきたりした時代くらいからを平成と思っているんじゃないかな? でもその感覚は悪いことではない。時代を自分の感覚で感じるということは、時代に親しむということでいいことだと思う。だから余計に歴史を知っておかないと変な勘違いをしてしまうことになるんだよ。歴史を勉強するというのは、そういうことなんじゃないかって先生は思う」
と先生は言っていた。
二匹のサソリ
商店街を抜けて家に帰る途中、ケーキ屋を見つけた。そのケーキ屋で、アップルパイと、ショコラケーキ、いちごのショートケーキと、それぞれ別のものを買った。
泰三は乳製品が嫌いだったので、生クリームのショートケーキ屋、チーズケーキはダメだった。アップルパイとショコラケーキは大丈夫だったので、この選択になったのだ。
「ただいま」
と言って玄関の扉を開くと、甘い匂いがしてきた。甘辛く炊いた醤油風味の感じがしたので、泰三には今日の料理のメインが何なのかが分かった。
「おかえりなさい」
と言って出迎えてくれたゆかりを見て笑顔になった泰三は、
「今日の料理は、ローストチキンだね?」
というと、ゆかりは、ニンマリとした笑顔で、
「正解、よく分かったわね」
と言ったが、その笑顔を見ていると、
――あなたなら、すぐに分かると思ったわ――
と、言いたげであった。
「ああ、もちろんさ」
と、泰三は答えたが、それも、ゆかりに敬意を表してのことだった。
「ちひろ、もう来てるわよ」
と言って、ニコニコしている。
自分の妹を紹介するのは初めてではなかったが、あの時はまだ世間の大人とあまり接したことのない、大人に対して警戒心たっぷりの、学生服を身にまとった少女だったのだ。
その目は下を向き加減で、何とか気配を消そうという意識が働いていて、視線が自分に向いていないことを時々確認するかのように、まわりを睨みつけるような視線は、彼女に限らず、大概の女の子がそうであることで、皆スルーしていた。
その時のちひろしか知らない泰三は、大人になった彼女を見るのが、実は楽しみで仕方がなかった。
――嫁の妹じゃないか――
という思いはあるが、この間ゆかりから聞いた。
「腹違いの妹」
という表現が、どこか罪悪感を薄めているような気がした。
ちなみに、自分がロリコンであることを泰三は意識していた。特に、学生服の女の子などにはどうしても目が行ってしまう。結婚式に会った時のちひろのような、下を向き加減で、おろおろしている状態の彼女は、意識しないわけにはいかなかった。
しかし、さすがに自分の結婚式、意識はしていたが、それ以上でもそれ以下でもないという程度で、実際に顔も覚えていないし、自分のことで精いっぱいだったと言ってもいいかも知れない。
あれから、もう三年が経っていた。
ちひろは大学に入学し、こちらに出てきたのだ。
一人暮らしを始めるうえで、いくら腹違いとはいえ、姉が近くにいてくれるということはこれほどの安心はないだろう。
ただ、泰三としては、自分が行けなかった。いや、行かなかった大学に行けるということが羨ましい気がした。嫁もそうだが、その妹までもが大学に行くというのは、それほど大学がいいところなのではないかと思えてきたのだ。
そして、離婚した両親は、自分たちの知り合いをあまり家に連れてくることはなかった。いつも、家族三人というのが普通であり、友達の中には、
「うちは、いつもお客さんが来ていて、賑やかなものだよ」
と言っている人がいたが、自分の家に誰も来ることがなかったことから、
――本当なんだろうか?
という思いすらあり、信じられないくらいであった。
「そんなにいっぱい、お客さんってくるものなの?」
と聞くと、
「来る面子は、いつも決まっているんだけどね。それだけに大家族みたいで、結構面白いものだよ」
というではないか。
「そんな賑やかにされて、嫌じゃないの?」
と聞くと、
「最初の頃は少し嫌な時もあったけど、慣れてくると、本当に皆家族のようで、これが結構楽しいんだよ。家に来る人は、毎回同じでも、いつも何かお土産を持ってくることは忘れない。ちゃんと冷気をわきまえた人たちばかりなので、安心もするし、楽しいんだよ」
と言っていた。
「フーン、そんなものなんだね」
と、遠目に見るかのように、他人事で答えた。
「だって、殺風景なのって面白くないし、時間がなかなか過ぎてくれない。一つの部屋に家族だけだと、会話にもならないし、息苦しい時間が絶えないからね」
と言われて、その話を聞いた時、
――彼の家でも家族だけだと、殺風景で居場所がないかのような息苦しさを感じるんだ――
と、考えると、二つのことが頭をよぎった。
まず一つは、
「どこの家でも同じなんだ」
という思いと、