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トラウマの正体

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 時計を見ると、五分くらいのものに感じられたが、感覚としては、もっと長かったように思う。下手をすれば一時間くらいの感覚だったような気がするくらいだ。まるで夢を見ている時のような感覚だ。
「夢というのは、どんなに長いと思っている夢であっても、目が覚める数秒間に見る者だという」
 という話を聞いたことがあった。
 最初は、
「そんなバカな、あんなに長い間を見ていたはずなのに」
 と思ったが、夢から覚めて現実に引き戻されてから夢を思い出そうとすると、そのほとんどが記憶になかったりする。
 その時に感じるのが、
「ああ、やっぱり、あっという間のことのようだな」
 という思いであり、あの話がまんざらでもないということを思い知らされた気がしたのだ。
 ということは、今も夢を見ていたような感覚だということだろうか?
 確かに、どこでどういう発想になったのか、判官びいきから、義経の話にまで思いをはせるというのだから、
「一つのことを、幅を広げて発想するというのは、自分でもおかしな感覚になってしまう」
 と考えてしまうのだった。
「それにしても、最近はよく、歴史のことに頭がいくよな」
 と我ながら感心していた。
 元々は理数系で、今の仕事もその延長なのだが、歴史、しかも日本史だけは昔から好きだった。
 今でも、空いている時間で、歴史の本を読んだりするのが好きだった、
 歴史小説、時代小説などというものを読むのが好きで、戦国時代であれば、時代小説、戦国時代を含むそれ以外の時代という幅を広げて読むのは、歴史小説にしていた。
「そもそも、歴史小説と、時代小説、何が違うのだろうか?」
 と考えたことがあって、調べてみた。
 泰三は、少しでも気になること、興味のあることはすぐにネットで調べるようにしている。今ではいくらでも検索すれば、自分の知りたいものの知識を得ることができる時代だ。それでも、歴史に疎いという人は、本当に歴史が嫌いで、まったく興味のない人が多いからだろう。
 一時期、
「歴女」
 なとというものが流行り、戦国武将や城などに興味を持つ人が増えてきた。それこそ。
「どうしてなのだろう?」
 と思ったが、よく考えてみると、その一つとして考えられるのが、
「ゲームの普及なのではないだろうか」
 スマホが普及し始めてからというもの、皆スマホでゲームをする人ばかりと言ってもいいくらいになってきた。
 しかも、今回のパンデミックによって、
「おうち時間」
 などという引きこもりに似た状況が生まれると、引きこもりがよく行うゲームが普及してくるのは当たり前のことで、その中には、結構歴史ものが人気だったりする。
 戦国武将の人気といえば、三英傑である、織田信長、豊臣秀頼、徳川家康と思われるだろうが、実際には、アニメ風に作られているゲームなので、イケメンキャラに人気が集中したりするところがあったりするので、何とも言えないが、一般的な人気とすれば、真田幸村であったり、伊達政宗であったり、本多忠勝などが有名ではないだろうか。
 それは、奇しくも、時代小説の中でよく出てくる武将ばかりであり、ゲームと連携しているようなウラがあるのではないかと思う人も結構いるかも知れない。
 話は逸れたが、歴史小説と時代小説の違いについてであるが、
「歴史小説というのは、基本的に史実に基づいた話であり、人物であるとか、一つの事件などを中心にしたまわりの人間模様であったりを伝記のように書いたものであるのに対し、時代小説というのは、あくまでもフィクションであり、中には史実と真っ向からたがえたものもあり、例えば、関ヶ原の合戦で、東軍が負けていればどうなるか? という実験的なエピソードを、戦前夜から、戦後の人間模様など、変わっていった時代に対しての空想ストーリーを大河的に描くのが、時代小説である。これは、一種のパラレルワールドであり、そういう意味では、SF小説に近いものだと言ってもいいかも知れない」
 それが、歴史小説と時代小説と言われるものの大きな違いである。
 泰三は、基本的に歴史小説が好きだったのだが、一度、戦国シュミレーションと呼ばれる話を読んで感動した。
 しかし、これは基本的に、史実を知ったうえで読む方が、何倍も楽しいということを知っていることで、嵌って読んだのだが、史実を知らない人でもそれなりに楽しめるシュミレーションになっているところが、作家の度量を感じる。
 逆にいえば、歴史を知らない人が読んで、つまらないと思わせてしまえば、時代小説としては二流だと言われても仕方がないかも知れない。
 つまり、歴史を知らない人が読んで、
「これが歴史なんだ」
 というくらいに、相手を騙すくらいの話を書けることが、時代小説作家の醍醐味だと言ってもいいだろう。そういう意味で、時代小説を書けるというのは、それなりのステータスがないといけないということになるだろう。
 小説には、限りないほどのジャンルがある。大きく分けるとそんなにはないものだが、大きなジャンルを細分化していくと、かなりのジャンルが存在し。そのため、大分類が被ってしまっている部分も少なくはない。
「これは、SFにも見えるがホラーにも見える。見方を変えると、ミステリーでもあるようだ」
 と言われるような小説があるが、えてしてそういう小説は、本当に素晴らしいものか、あるいは、クソつまらない小説のどちらかだと言っても過言ではないと言ってもいいかも知れない。
 いろいろな小説があるので、
「自分も一つくらい何か書けないか?」
と思って挑戦してみたことがあったが、なかなかうまくいかないのも事実だったのだ。
 そんな商店街を不思議な気分で歩いていた。まるで、昭和にタイムスリップしたかのような感覚になってしまったのは、時代錯誤と言われるかも知れないが、暗さが、昭和を思わせたからで、なぜ昭和に暗さを感じるのかというと、どうしても、戦前の動乱から戦後の混乱までを昭和という時代の代表のように思うからではないだろうか。
 父親の世代になると違っているようだ。
 これは、歴史の先生が授業中に脱線して話していたことだったが、ちょうど先生もそろそろ五十歳に近づいてきた年齢で、ちょうど父親とさほど違わない年齢だった。
 それなのに、先生は父親のように、偏見を持っていなかったりしたように思えたのは、
「他人だから」
 という感覚があったからなのかも知れない。
 だが、先生の脱線は面白かった。
 特にその時の先生は、結構楽しそうで、
「何かいいことでもあったのかな?」
 と思うと、こっちまで愉快な気分になってくるから不思議だった。
 先生のその時の話であるが、昭和という時代についての話だった。
「先生が生まれたのは、ちょうど、前に日本の東京でオリンピックが開催された年なんだけどね。当時は高度成長時代で、新幹線や高速道路などと言ったインフラが整備された時期でね。戦後復興が一つのテーマになっていたんだよ」
 と言って笑っていた。
 そういえば、今回のオリンピックも、
「東北の震災からの復興」
 がテーマの一つになっていたではないか。
 それを考えると、
「もう二度と、日本でオリンピックを開催してほしくない」
作品名:トラウマの正体 作家名:森本晃次