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トラウマの正体

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 まさにその通りであろう。
 そんなことを考えながら商店街を歩いていると、あの頃の悲惨な生活を思い出してしまう。
 直接的な被害はなかったのだが、ワクチンや特効薬開発に駆り出されて、一時期、まともに何日も寝ていないなどという状況だったこともあった。
 今から思えば、
「よく身体が持ったな」
 と思うほどだが、それだけ気が張っていたというのと、形になって見えている、
「仕事へのやりがい」
 がハッキリしていることがどれほど自分にとって素晴らしいことなのかということを、思い出させるというものであった。
 今回のパンデミックを思い起こすと、どう考えてもマイナス部分しか目立たないが、泰三とすれば、
「特効薬を作るのに一役買った」
 という自負がある分、マイナス面だけではなかった。
 ただ、それも大人数の中で貢献した一人というだけで、自分一人の手柄ではないということも、少しマイナス面に作用したわけだった。
 研究者なのだから、それくらいの気概があってもいいではないか。むしろそれくらいの気概がないとやっていけるものでもない。
 それを思うと、自分がまだまだ研究者として半人前であるかということを思い知らされる。要するに中途半端なのだろう。
 それが自己満足にしかなっていないという思いを抱かせるのだが、自分では、
「自己満足でもいい」
 と思っている。
 むしろ、
「自分で満足できないくらいであれば、人に勧めることなど怖くてできるはずもないだろう」
 と言えるのではないか。
 よく自己満足を悪くいう人がいるが、泰三はそうは思わない。自分の作ったものを自分で満足もできないというのは本当はウソで、内心は満足しているはずだ。それを世間が、「自己満足は悪いことだ」
 などというように詰る連中がいることで、自分の気持ちを表に押し出せなくなってしまう。
 その思いが研究者に必要な、
「思い切り」
 という精神を蝕んでいるのではないだろうか。
 自分の研究に自信を持てない人が開発した薬など、誰が安心して飲めるというものか。薬を欲している人間は、少なくとも心細いのである。何しろ薬を使わなければ治すことのできない病に罹っているのであり、薬に頼らなければいけないほど、自分で治すことができなくなっているのだ。
 人間は基本的に自分で病気を治す本能を持っているのだが、それが効かないから、薬に頼る。その薬だって、皆には効いたのかも知れないが、本当に自分に効くとは限らない。それを思うと、
「自己満足でもいいから、自信を持っている人の作ったものであれば、利用する人は安心する」
 ということを皆どうして考えないのかと思うのだ。
 自虐であったり、弱い者に対して、どうしてこうも人間は弱いのだろうか?
 特に日本人に言えることであるが、
「判官びいき」
 という言葉がある。
 これは、歴史上の人物である、源義経に対しての言葉である。
 平安時代末期、武士の台頭と、貴族や皇室における勢力争いによって、京の都は治安が乱れていた。そのうちに、武士が勢力を持つようになって、平家が台頭し、源氏がそれに対して、各地で蜂起するという構図なのだが、その源氏の一人が源義経なのだ。
 兄である頼朝の元にはせ参じ、兵を率いて戦へと赴いていく。数々の武功を残し、京に入ると、そこに待ち構えている後白河法皇。
 頼朝は配下の者に、
「後白河の口車に乗ってはならない」
 と釘を刺しておいたのに、数々の武功を挙げた義経には、それが分かっていなかった。
 だから、
「せっかく法皇様が、位を授けるというものをなぜに兄はそんなに拒むのか?」
 と思ったのだ。
 法皇から位を授けると言われて、それを鎌倉に報告すると、
「受けてはならない」
 と言われたのだ。
 義経としては、源氏が再興するには、京で出世するのが一番の近道だと考えていたのだろう。そもそも、鞍馬育ちなので、京のことも分かっている。
 だが、頼朝とすれば、全体を見渡して、
「平家が滅びようとしているのも、朝廷に深く入り込んで、武士としての本懐を忘れ、貴族まがいのことをしているからだ」
 と思っていた。
 しかも、その黒幕が後白河法皇であることを分かっているので、頼朝とすれば、義経が法皇に靡くのは恐ろしいことだと思っていた。だから、頼朝はいくら上洛を言われても、京に上ることはしなかった。そんな兄の気持ちを若い義経が分かるはずもない。若い上に武功というれっきとした事実を引き下げているので、誰がなんと言ってお、英雄であることには変わりはない。これほど扱いやすい相手も、法皇とすればいなかっただろう。
 しかも、法皇の考えているのは、
「ここで教団の仲たがいをさせて、一気に源氏も滅ぼしてしまおう」
 と考えていたのではないだろうか。
 そんな義経が呼ばれていたのが、
「判官殿」
 という呼び名であった。
 法皇の計略通り、頼朝と義経は仲たがいし、まず最初に義経に頼朝追討を言い渡し、さらに、頼朝から義経追討を言われると、今度は頼朝にも同じように追討を言い渡した。
 法皇とすれば、共倒れを狙っていたのだろうが、追討令を出したことで、頼朝に、守護や地頭と言った役所を各地に作らせる口実になり、その後の幕府の機関としての役割となるものを、あまつさえ認めてしまったことは、一生の不覚だったと言えるかも知れない。
 結局、東北の平泉で、奥州藤原氏によって討たれるのだが、それも頼朝怖さで義経を討ってしまった藤原氏の浅はかな行動だった。
 そもそも、義経を庇うという亡き父親の遺言を無にしてしまったことが招いた悲劇だったが、頼朝は容赦しない。藤原氏が討ってくれたから義経を討伐できたということで、本来であれば、功労者のはずなのに、
「義経をかくまった」
 ということで、一気に藤原氏を滅ぼしてしまう。
 これで、頼朝は幕府によって、武家政権を初めて樹立した男ということになるのだが、それ以後語り継がれてきたこととしては、義経を、
「悲劇のヒーロー」
 として祭り上げ、それ以後は、
「敗者の美学」
 のようなものが叫ばれるようになり、それが、
「判官びいき」
 という言葉で言われるようになってきたのだった。
 自己満足を認めることができない人は、自虐が美学であったり、敗者を美学と考える一定の考え方の人間が結構多いことで、そういう人間が増え、それが当たり前だという世界を形成している業界もあったりする。
 それを思うと、義経という人物が悪いわけではないが、なぜ日本人が敗者の美学を求めるのか、誰か偉い学者に証明してもらいたいものだ。
 商店街に書かれている、この立札、
「なかぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
 という言葉には、何かしら恨みのようなものがあるのではないかと思えるのだが、それ以上に何かの警告のような気もする。
 その言葉を気にしていると、そこから先、忘れた頃にこの言葉を思い出すことになるのではないかと思えたのだった。
 その看板の前でどれくらいの時間立ち尽くしていただろうか。
作品名:トラウマの正体 作家名:森本晃次