「路傍の石」なる殺人マシン
今までに何度とそんな光景を見てきているので、コンビニによっても同じだった。喉が乾けば、途中に自販機もたくさんあるので、そこで買えばいいだけだ。その時々によって飲みたいものも違っているので、わざわざコンビニで買う必要もなかったのだ。
その日は、途中の販売機で、水を買って、飲みながら歩いていた。神社に差し掛かった時には、まだ酔いが覚めたわけではなかったが、頭が少し痛かったのは、酔いが覚めかけている証拠だったのではないだろうか。
少しでも歩けば、朝の心地よいと思われる時間でも、汗は滲んでくるもので、描いた汗の分だけ、さらに頭痛がしてくるのは、いつも、たいがいにしてほしいと思うくらいであった。
ただ、この頭痛は、すぐに回復するもののように思われた。
「汗を掻いているということは、アルコールの毒素が抜けてきている証拠であって、頭痛も毒素が抜けるために通る道だと思うと、風邪を引いた時に、身体から毒素を出そうとして発熱するのと同じ感覚ではないか?」
というのと同じではないかと感じた。
ゆっくり身体を動かしていると、身体が無理をしなくなって、汗も次第に引いてくる。そのうちに、本当の暑さを感じるようになるのだが、それまで籠っていた熱が籠ってこないことを感じると、その時には頭痛が引いているというのが、いつもの羽t-んだった。
その時も、歩いているうちにいつの間にか頭痛が引いていたような気がする。神社が近づいてくるのを感じると、朝日が境内に差し込んでいるのが目をつぶればその光景が浮かんでくるようだった。
駅から歩いてくると、まず、真っ赤な鳥居が見える。
その日は普段と比べて眩しさが感じられるせいか、足元から伸びる影を意識したものだ。小学生の頃、この神社に来ていたのは、授業が終わってからの帰宅の途中だった。つまり夕方であり、その時も足元の影を気にしていたのを思い出していた。
朝日と夕日なので、見える影の角度は正反対のはずなのに、今は同じように感じられる。そして朝のはずなのに、夕方を思うのはなぜだろう。
この季節の夕方というと、四時すぎくらいであれば、まだまだ暑さが残っている。下手をすると、一番暑い時間なのかも知れない。
灼熱とまではいかないが、
「この暑さに耐えられるのは、子供くらいではないだろうか?」
と感じられた。
暑さは金属だけではなく、木もかなりの暑さをもたらすものだ。庫裏の階段の木も、かなり熱を持っていて、ずっと触っているとやけどしてしまいそうなくらいであった。
もちろん、金属であれば、すぐに、
「アッチ」
と言って、手を引っ込めるルレベルであろう。
「本当に今年のこの暑さは、一体どういうことなんだ?」
と思った。
特に今年の冬は、極寒だったことから、
「夏は涼しいだろう」
と勝手に思い込んでしまったことが、勝手な楽観的な発想となって次第に感覚が固まって行ったのである。
まさか、朝の陽ざしがこれほど暑いものだとは思っていなかったので、子供の頃に感じた夕方を思い出したのだろう。
「夕方って、身体のだるさを思い起こさせるものだ」
と感じるのだった。
境内まで来てみると、赤い鳥居を通り過ぎてからすぐに、急に足が重たくなった気がした。まるで、水の中を歩いているような感覚であった。進もうとしても、まったく前に進んでいないのだttだ。
前に進めない焦りと、まったく吹いてこない風のために、顔が火照ってしまって、いつもであれば流れ出るような汗を感じなかった。熱を逃がすことができず、次第に呼吸困難に陥っていたこともあって、意識が遠のいていくのを感じていた。
この感覚は、今に始まったものではなかった。かつて同じような思いをしたことがあると感じたのは、それが同じこの神社の境内でだったからだ。
ただし、あの時は夕方であり、朝ではなかった。夕方の時は最初から風が吹いていない時間が明らかにあり、その時間、自分が体調を崩し、呼吸困難に陥ってしまうのを理解していた。
その時は、相当身体を動かしていたので、汗も出ていたのだが、汗を掻いた時に吹いてくる風は心地よく、呼吸困難になるなど考えられなかった。
しかし、途中で急に身体が重くなった、気が付けば、汗が引いていた。あれだけ溢れていた汗が流れてこず、身体が火照ってしまっているのだ。
「汗を掻けば気持ちいいはずなのに」
と考えるのだが、汗を掻かないことで、身体が火照り、心地よくなれる理由が見当たらない。
そうなってくると、一つのことに気づくようになってきた。
「風がまったく吹いていない」
ということであった。
「そういえば、最近学区で習ったけど、夕凪という時間帯があるらしい」
というのを思い出したのだ。
小学生であったが、国語の教科書に夕凪という言葉が出てきて、先生は解説してくれた。
「夕方のある時間帯になると、それまで吹いていた風が、まったく吹かなくなる時間帯というのが存在するんだよ」
というのだった。
「それは、どういう感じなんですか?」
と誰かが先生に聞くと、
「その時間帯というのは、日が暮れるか暮れないかという微妙な時間帯らしいんだけど、風がまったく吹いてこないらしいんだ。そしてその時間を昔の人は、逢魔が時と言って、魔物が一番出やすい時間だって言われているらしいんだ。そして、実際には、今の時代では、交通事故が多発する時間帯だということで、警察からも運転手には気を付けるようにと言われていたりするんだよ」
と先生は答えてくれた。
「そんな話、聞いたことがある」
と言っているやつもいて、
「田舎に行った時、おばあちゃんがそんなことを言っていたのを思い出したよ。夕方になって、暗くなる前に家に帰らないと、お化けが出るって言われていたって、お化けが出る時は風が吹かないので、すぐわかる。と言われたらしいんだ。信じてはいなかったけど、その時の話と今の先生の話が繋がっているので、少し怖い気がしました」
と言っていた。
どこまで、妖怪や幽霊の話を信じるかというのは、その人の感覚の違いだろうが、その時は、無性に幽霊を怖がっていたような気がする。
特に昔行ったおばあちゃんの家が思い出されて、怖くない時でも、急に背筋がビクッとなってしまって、その理由がおばあちゃんの家だと思うことで、自分がまだ幼い子供であるという意識になってしまったことが怖かった。
その日も足が竦んでいたのだが、ここまで足がすくみ時というのは、何かを感じた時であって、あまりいい予感はまったくなかったと言ってもよかったのだ。
次第に、身体の重さやだるさと平行して、寒気がしてきているのも感じた。
「風邪でも引いたのだろうか?」
と思ったが、風邪を引いていれば、あんなに酒が飲めるわけもなかっただろうにと思うのだった・
毒殺事件
その時の寒気や身体の重たさ、そして身体にまとわりつく熱気は、何かの虫の知らせだったのだろうか。
境内に向かって歩いていくと、神主さんが、掃除をしていた。
「おはようございます」
と言われたので、山崎の方も、
「おはようございます」
と言ったつもりだったが、声になっていなかったようだ。
作品名:「路傍の石」なる殺人マシン 作家名:森本晃次