「路傍の石」なる殺人マシン
確かにその通りだ。暑い中、ビールを飲んで、尿として出す。これって健康にもいいのかも知れない。
「酒を飲んで、身体の中から毒素を出すんだから。これほど身体の循環器にいいものはない」
と言えるのではないだろうか。
呑み屋を梯子して、始発電車に乗るころには、東の空が明るくなってくる。すでに夜が明けているのであって、座った場所によって、眩しくて仕方がない。
土曜日の早朝となると、乗客もそれなりにいたりする。いつもは一つの車両でほとんど人はいないのだろうが、土曜日ともなると、一つの車両だけで、十人近くいたりする。
「今頃繁華街は、ゴミで汚くなっているんだろうな?」
と、不思議な感覚を覚えていた。
電車の窓から見える景色は、普段と比べても、明るく感じられた。先週くらいがちょうど夏至の時期だったので、日が一年で一番長い時期、まだ、その余韻は十分に残っている。
しかも、梅雨明けしたであろうと言われる中、その日差しの猛威は結構激しいものであった。都心の駅から、乗っている時間が三十分くらいと、通勤圏内としては、少し遠めカモ知れないが、朝の眠気が差す時間帯であれば、結構短く感じられる。クーラーは効いているが、日差しの影響で、少し汗ばんでいる。まだ完全にアルコールが抜けきっていないことで、身体に滲む汗が、ここちよかったのだ。
電車は、海岸線に差しか会った。さすがに、このあたりになると、都心部とは景色がガラリと変わってくる。都心への通勤圏内でありながら、海岸線を通っているあたりは、昔からの田舎の風景を見せている。電車の中では、いびきを掻いて寝ている人や、黙って流れる景色を車窓に見ながら、微動だにしない人もいる。
今年の夏が暑いということは、六月発表の三か月予報で聴いていたのだが、まだ七月に入って間がないというのに、地域によっては、猛暑日の箇所がいくつもあるという状態に、「今年も暑い」
と感じさせられるのであった。
昨年も確か暑かったと記憶している。しかし、その暑さがどのようなものであったのかということを、ハッキリと覚えているわけではない。それは、身体が覚えていないというだけのことで、記憶にはあるのだが、記憶だけでは、やはり体感として覚えていなければ、感覚が分からないものであった。
そのせいもあって、
「今年も暑くなる」
と言われても、正直ピンとくるわけでもなかった。
やはり、本当に暑さを身に染みて感じるか、暑さの象徴としてのセミの声が耳に痛く響くくらいでなければ、暑さというものを実感できず、夜を通り越せば、暑さも忘れるのではないだろうかと感じるのだった。
海岸線を走っているせいか、電車が何度もカーブを描いている。それだけ車輪とレールのきしむ音が耳に響き、頭が痛くなるのではないかと思うほどの音は、二日酔いで、睡魔に襲われている状態では結構響く。
電車内の乗客の中にも、声に出さないだけで、顔をしかめているくらいの人は結構いるので、皆この音の辛さを強調していることは分かったのだ。
今日、朝まで呑んでいたので、さっきまでのはずなのに、すでにあれから数時間が経ってしまったのではないかという錯覚に襲われたのは、睡魔による意識の曖昧さが原因ではないだろうか。
一度は少し歩いて、身体から汗として流し出したつもりだったが、それは表面上のアルコールが抜けただけで、身体の奥にしみついているアルコールが抜けたわけではないので、結構辛い感じを受けていた。
ここに一人の男がいた。彼は二十八歳の若きサラリーマンで、名前を山崎という。
二十三歳で地元の大学を卒業し、地元企業に就職したが、なかなか就職活動も難しい時代ではあったが、何とか就職もできて、今のところ、順風満帆というところであろうか?
彼女がいないのは、少し寂しい気がしたが、
「そのうちできるさ」
と言って、自分を慰めるというのも寂しいおのだった。
年齢の割には、まだ幼さが残っているように見られがちだが、
「結構しっかりしている」
と言われているので、そんな毎日が、結構心地よかったりした。
今日は、いつものメンバーから一人が、明日の休日出勤当番だったため、途中で抜けることになったが、もう一人とは、朝まで一緒だった。
一緒に飲んだもう一人は、地元の人間で、電車に乗って帰ることのないやつだった。
普段はバスでの通勤だが、さすがにこの時間はバスが通っているわけではないので、タクシーを使うことにしたようだ。
「大体、二千円くらいかな?」
と言っていたので、さすがにシラフでも歩くときつい距離であった。
前は、その飲み友達の部屋に泊めてもらったこともあったが、今は帰るようにしている。友達の部屋で眠ってしまうと、なかなか起きるのがきつくなって、そのまま夕方まで寝てしまっていたりすることが多いだろう。そうなると、一日を棒に振ってしまうことになる、それも嫌だった。
と言いながら、別に何かをするわけではない。酔いが覚めた時に、自分の部屋以外にいることに違和感を持つようになったのは事実だった。それだけ、年を取ってきたということなのかも知れない。
だから、家に帰るようにしているのだが、電車に乗ってから、最寄り駅につくまでに、本当は酔いを覚ましたかった。駅を降りてから家までは、十五分くらい歩くことになる。途中にある神社の境内を抜けていけば、少し近道になるが、それでも、二、三分違うくらいか。
ただ、その神社を抜けるのはあまり好きではなく、特に今の季節は、セミの声がうるさいので、必要以上に疲れるのではないだろうかと感じたのだ。
この境内は、よく子供の頃に遊んだ記憶があった。
「あの頃は、もっともっと広かったと記憶しているんだがな」
と感じた。
大人になって、子供の頃に広いと感じていたものが、実際には狭く感じられるというのは往々にしてあるもので、小学生の頃までは通学路だったので、よく神社の境内を抜けて帰宅していたが、中学、高校と、駅とは反対方向への通学だったので、この神社に立ち寄る回数は激減していた。
「小学生の頃は、よくランドセルと庫裏の石段に置いて、数人で遊んでいたっけ」
とこの境内に来た時は、まず庫裏の石段に腰かけるようにしていたので、この時も少し休憩して行こうと、神社に寄った。
呑みに行った帰りにいつも、この神社で休憩していくわけではなかった。
夏の間は明るいが、飽きから冬、そして春になるまで、まだ五時半と言えど、真っ暗であった、
この神社も照明や街灯があるわけではなく、申し訳程度に見えるくらいであった。しかも寒い中で身体が冷えるのを覚悟で、座り込むことはしなかった。急いで帰って、風呂に入りたいという衝動の方が大きかったのだ。
駅を降りてから家までには、駅前のコンビニが開いているくらいで、たまにそこで何かを買ってから帰ることもあったが、最近は寄ることもなくなった。
早朝のコンビニは、ほとんど品ぞろえがなく、日付の古いものを撤去して、入荷を待つ状態なので、チルド関係の陳列棚は、すっからかんだと言ってもいいだろう。
作品名:「路傍の石」なる殺人マシン 作家名:森本晃次