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「路傍の石」なる殺人マシン

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 桜庭に、眞島、そしてまだ表に出ていない連中と、どれもが得な人間ではないと進藤も朝倉も思っている。
 しかし、だからと言って、自分たちが聖人君子だとも思っていない。もし、そう思っていたのなら、この話はもう少し違っていて、お話として特別なものだったということはなかっただろう。

                意外な展開

 事件の展開は、思わぬところに潜んでいるものだ。事件の捜査をしているうちに、いろいろなことが分かってきて、そこで関係者というのも広がっていく。彼らの証言から事件の糸口が見えてきて、
「地道な捜査をしていると、事件の解決に導いてくれる」
 と思うことで、セオリーの捜査を行うことが正当化されると思っていた。
 しかし、そんなことばかりではないことは、刑事をやっていれば、分かり切ってくることだった。
 実際に、事件解決に向かっていると思っていると、まったく違ったところを探っていて、結局、迷宮入りなどということになってしまったりしたものだ。
 昔のように、凶悪事件は時効があるわけではないので、犯人が大手を振って生きられる時代ではないが、未解決事件というのが、その分増えてしまったのは間違いないだろう。そのせいもあってか、却って検挙率が下がったのかも知れないというのは、それぞれの捜査員の思いであって、勝手な妄想でもあった。
 それがどこまで真実なのかということを考えると、うまくいっている時も、
「本当にこれで間違っていないのだろうか?」
 という思いからか、足がすくんでしまう人もいるのではないだろうか。
 警察官と言えども、トラウマがないわけではない。それを考えると、やはり迷宮に入ってしまうこともないとはいえない。
 今までいろいろな事件を解決に導いてきた。
「K警察署のエース」
 と呼ばれた門倉警部であっても、刑事時代には幾度となくそのような思いに至ったのかも知れない。
 それを思うと、部下が苦しんでいるのを見てみぬふりはできず、いつもアドバイスを与えていた。
 部下思いの最高の警部である門倉警部は、捜査会議において、ほとんど自分から口を出すことはなかった。その役は清水警部補にお願いしていて、学校でいえば、教頭という立場なのだろうと思っていた。
 さて、今回の事件は、捜査本部の中で、いささか消化不良であった。
 消化不良というよりも、苛立ちすら覚えるというもので、ハッキリ言って、
「後手後手に回っている」
 と言っていいだろう。
 その証拠として、
「事件において、捜査線上に現れた人物が、どんどん殺されていく」
 ということが顕著になってきたからである。
 桜庭がまずその代表例だった。
 桜庭というと、
「第一の被害者である眞島との間に、主従関係が成立しているのではないか?」
 と言われていた。
 会社の中でも、それぞえに小さな犯罪を犯している仲間という、無理のある、いや、無理やりな関係で結び付いた二人で、
「眞島殺しに何か関係があるのではないか?」
 と思われた、ある意味、
「重要参考人」
 として、出頭を考えていた相手だっただけに、殺されたというのは、ショック以外の何者でもなかった。
 合同捜査本部が開かれるであろうが、それがどのような展開になっていくのかということを想像もできない。
 そんな状況において、今の捜査本部は、実際に進んでいる時間よりも、感覚的にはまったく進んでおらず、
「本当なら、半分くらいは、事件の全貌が分かっていてもいいはずなのに」
 と思いながら、まだ五分の一くらいのところにしかいないのではないかと思うと、そのショックはやはり計り知れないものだと思わずにはいられない。
 そんな状況にいるにも関わらず、またしても、事件は我々に猶予を与えようとはしない。まるで、生き物のような事件は、自分たちに捜査をさせようとすると、邪魔を入れるかのように、急展開を見せるのであった。そして、またしても、事件は我々の想像をよそに、被害者を作ってしまった。
「進藤が殺された」
 と通報が入ったのは、ちょうど、そんな時だったのだ。
「進藤が殺されたって、どういうことなんですか?」
 と一番その場で取り乱していたのは、隅田刑事だった。
 進藤と面識があったのは、隅田刑事だけであり、しかも、隅田刑事は山崎の件から、事件を洗うことを任務として任されていただけに、ショックというよりも、任務なかばで死事件の関係者となっていたかも知れない相手をむざむざ殺されてしまったことに、苛立ちを覚えたのだ。
 その苛立ちは誰かに対しての思いではなく、何もできなかった自分に対してであり、まだ若い隅田刑事としては、これからの人生、もっといいことがあったかも知れないと思われる、前途有望な人間を殺させてしまったことへの苛立ちだった。
 もちろん、進藤という男を聖人君子だなどと思っているわけではない。そう思っているとすれば、隅田刑事の、
「刑事としての思いあがり」
 に違いない。
 捜査本部のまわりの刑事たちも、隅田刑事の気持ちは分かっているつもりだった。自分たちも若い頃には同じような思いをたくさんしているからだった。
「そういう経験を乗り越えて、刑事は育っていくんだ」
 と思っている。
 だが、実際にそれが自分のこととなると、なかなか割り切れるものでもない。
「とにかく、怒りや憤りは一度気持ちを落ち着かせることで内に秘めなければ、捜査を誤った方向に向けてしまう可能性がある」
 と言えるだろう。
 だが、若いだけに、この気持ちを持っていないと、ショックだけでは、先に進まない。怒りを力に変えられるだけのものを持っていればいいのだが、そうもいなかいのが、人間というものであろう。
 そう考えていると、、桜井刑事も、柏木刑事も、下手な慰めはいらないということは分かっている。つまり、自分の経験を相手に分かるように、言葉ではなく、態度で示すしかないと思った。
 そう思えるようになったのは、自分たちがまだ若手だった頃、失敗したり、うまくいかないことに遭遇した時、先輩たちが、
「背中で手本を見せてくれていた」
 ということを分かっていたからだ。
 しかし、それも最初から分かっていたわけではない。ショックであったり、失敗したということで落ち込んでいる時にこそ、先輩たちの優しい言葉が身に染みたものだ。
 それを、
「甘えてはいけない」
 ということで、甘んじて受けないということだけしか考えていないと、意固地になってしまうだろう。
 だから、先輩の行動はしっかり見ることで、先輩が無言の指導をしてくれているのであれば、それを見極め、自分のものにするくらいの気持ちでいないといけないということまでに気が回ることができれば、その時のショックを克服することができると言ってもいいのではないだろうか。
 それを考えると、先輩というのは、
「わが身を写す鏡」
 と言ってもいいのではないだろうか。
 先輩は気を遣って、余計なことは言わない。背中で見本を示すものだということを分かろうとしている自分に、いつの間にか気付いている。
 しかし、その感覚は。
「先輩の優しさに甘えることも、時として大切なことではないか?」
 という感覚でしかなかった。