「路傍の石」なる殺人マシン
「星というのは、自ら光を発するか、それとも、光を発する星の恩恵を得て、その光を反射させることで光を発するものである」
と言われているのだが、ここでいう暗黒星というのは、まったく違う主旨の星だというのだ。
つまり、
「自ら光を発するわけでもなく、光を反射させるわけでもない。逆に光を吸収させてしまう星がある。その星は、光らないので、暗黒の宇宙空間では、その存在がまったく見えない。生き物ではないので、気配を感じることもない。そのため、近くに寄ってきてもまったく誰も気付かない」
という星が存在しているというのだ。
これほど恐ろしいものはない。
そばにいるのに、その存在を計り知ることができないということは、いつ接触するか分からないということだ。
星というのは、どんなに小さなものでも、引力があるものなので、近くにあるだけで、本当は相当な距離であっても、その引力の影響で、近くの星に多大なる影響を及ぼすものである。
そんなまったく見えない、存在を感じることもない星が宇宙に存在していて、いつどこでできるかも知れないという思いもあるのは、実に恐ろしいことだ。
そんな星の存在は、人間界にも当てはまるのではないかと考える人もいたりする。実際に天文学だけでなく、心理学などの世界でも研究されていることなのではないだろうか。
進藤は、この事件における朝倉という人物の存在を、この、
「暗黒星」
にも当て嵌めて考えていた。
しかし、前述の郎帽の石の発想と、この暗黒星では、決定的な違いがあると思うのだった。
「路傍の石は、見えているのに、その存在を認識できないような、錯覚でも見ているのではないかと思う存在だが、暗黒星に限ってはそうではなく、まったく見えないものなのだ。それだけにどのような発想になうのかというと、明らかに違うところがあるにも関わらず、どこか似たこの二つを切り離して考えることのできないというのは、暗黒星と他の星が近くにいるとしても、実際には、果てしない距離であり、それでも強い影響を与えるというところが、暗黒星の特徴だと言っていいのではないか」
と、進藤は考えていた。
進藤にとって、朝倉という人物は、そばにいるように感じるのだが、実際には、果てしない距離にいて、近づこうとすれば、目に見えない結界のようなものが二人の間に立ちふさがっていて、侵入を許さないようになっていた。
その時に感じたのは、
「異次元」
という発想であった。
「四次元の世界というのは、同じ時間に同じ場所が広がっていて、そこは次元の違うとして広がっているものである。一種のパラレルワールドではないか?」
と言えるのではないかと思っている。
パラレルワールドというのは、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっていて、さらにその先には無限の可能性がある」
というような、末広がり的な考えが、世界には存在していて、その可能性ごとに、世界が広がっているという考え方になるのだ。
それは、自分たちが存在している三次元の、
「縦、横、高さ」
という立体だけでは説明できない、もう一つの線の存在が、時間であるか、パラレルワールドでいうところの可能性なのかを考えることではないかと思えるのだ。
進藤は、パラレルワールドを信じている。
なぜなら、タイムマシンは作ることができず、もう一つの線を時間軸だと考えることに違和感があるからだ。
それは、よく言われる、
「タイムパラドックス」
の存在であり、それが、タイムマシンの実現を不可能なものとしているのではないかというのであった。
タイムパラドックスのパラドックスとは、「逆説」という意味であるが、この場合の話は、
「タイムトラベルには、理論的に無理がある」
という発想だと言ってもいいだろう。
例えば、
「父親を殺す話のパラドックス」
という話がある。
それこそ、
「タマゴが先かニワトリが先か?」
という理屈に辿り着くのだ。
基本的にタイムパラドックスを引き起こすのは、過去に行く事例である。未来にいく場合には当てはまらない。
というのは、時間というのが、過去から未来に繋がっているということからである。過去に行って、今の自分に繋がっている話を変えてしまうとどうなるか? ということなのだが、自分が過去にいって、自分と関係のある人間。例えば父親を殺してしまうとどうなるのだろう?
「まず、自分は生れてこなくなる。そして、生まれてこない自分が過去に行くことはないので、父親が殺されることはない。殺されない父親は何もなかったように、母親と結婚して、自分を生むことになる」
といういわゆる三段論法なのだが、この三段論法が崩れてしまうのが、タイムパラドックスということだ。
未来に行く分には、未来で何が起ころうとも、過去に何らかの影響を与えることはない。問題は過去に行くことだった。
(ただ、未来に行って未来を変えてしまうということは、いいことではないのだが)
「そんなタイムパラドックスであるが、過去に行くことさえできなくしてしまえば、タイムマシンを作ることはできるのではないか?」
と思うかも知れないが、普通であれば、思ったとしても、口にする前に、
――そんなバカバカしいこと――
ということで、自分が考えたことを嘲笑することであろう。
なぜなら、過去に行けないタイムマシンなどを作ってしまえば、もし、未来に行った時、過去にいけないのだから、未来から現在をみた過去にはいけないことになる。つまり、元の世界には絶対に戻ってこれないことを意味している。
ここまで考えると、タイムトラベルというのが、どれほど危険で、発送することすら、人間にはおこがましいことなのかということを身に染みて感じさせられる。
「ひょっとすると、自分で知らないところで、未来や過去からのエージェントが来ているのかも知れない。それらは人間を凌駕するかのような高等動物で、人間にはおこがましいことができる。人間には決して見ることのできない連中なのかも知れない。それが、路傍の石であったり、暗黒星のような存在なのかも知れない」
という、最初に考えた、自虐的な発想であった路傍の石や、暗黒星は、そうやって考えると、我々よりも進んだ連中で、特殊な能力で、特定の人間には、彼らの存在を知らしめているのかも知れない。
というような話の小説を、進藤は読んだことがあった。
そしてそれを朝倉に、
「この小説面白いんだぞ。お前も読んでみればいい」
と言って進めたのを思い出した。
実はこのお話でここが重要な部分であり、クライマックスなのだということなのだが、それを分かっているのは朝倉だけであり、進藤も分かっていなかった。
そのことが後に起こる進藤の身に降りかかった悲劇となるのだが、
「ひょっとすると、進藤は分かっていたのかも知れない」
と、朝倉は考えたほどだったが、朝倉にとって進藤が、どういう人物だったのかが分かっていなかったことが、朝倉にとっても悲劇だったのかも知れない。
少なくとも、
「この物語においてのハッピーエンドなどないんだ」
と思っているのは、朝倉である。
ただ、その思いも、もしかすると、進藤も共有していたのかも知れない。
作品名:「路傍の石」なる殺人マシン 作家名:森本晃次