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「路傍の石」なる殺人マシン

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――この二人の間には、脅迫のようなものがあるのかも知れない。桜庭が眞島の秘密を握っていて。それを黙っている代わりに、奴隷になれということではないだろうか? ただ、それは今までの犯罪遍歴ではないだろう。もしそれだけことであれば、別に会社も分かっているのだから、脅迫の材料になるものではない。となると、それ以外の誰にも知られていない重大な秘密を、桜庭という男が握っているということではないか?
 ということであった。
 隅田刑事はそこまで考えてくると、
「あなたが思うこの会社はどうなんですか? ブラックというウワサも結構あったりするようなんですが」
 と、訊いてみた。
 本来であれば聞いてはいけないことなのではないかと思ったが、今までの話を聞いたうえで、
――この男なら、公平な目で冷静に現状を見ているかも知れない――
 と感じた。
 だから聞いてみようと思ったのであって、その思いは間違っていなかった。しかし、彼から新たなことが聞かれたわけではなく、
「ええ、そういうウワサはあるようですが、正直他の会社の事情とかも分からないので、この会社がどうなのかということは言えないと思うんですよ」
 とうまく逃げられた気もした。
「そうですか、失礼なことを聞いてすみませんでした」
 と、隅田は答えるしかなかったのだ。
 もし、眞島が桜庭に弱みを握られているとすればどういうものなのだろう?
 どちらも叩けば埃の出る身体ではある。要するに、どのような埃が出て、その埃はどちらの方が協力なのかということであろう。
 逆に、埃そのものよりも、相手の弱みを握ってさえしまえば、恫喝でも何でもして相手に対して、まともに考えさせないようにしてしまえば、相手がどうであれ、自分に勝ち目があるということになるのであろう。
 この二人の関係性がどちらなのか、それともどちらでもないということなのかと、隅田刑事は考えていた。
 眞島という男は確かに、犯罪者で前科ものだが、そのすべてにおいて、凶悪ということはない、犯罪を差別してはいけないのだろうが、少なくとも、それほど大きなことではない。
 こういう男は犯罪という意識がなく、自分の欲に打ち勝つことができないという小心者だということだ。
 何かに依存しなければ生きていけない。ギャンブルや薬物依存症のようなものだと、隅田は考えた。
「依存症と呼ばれる人は、再犯率が高いと言われている」
 という話を思い出した。
 再犯が多いからと言って、依存症の傾向だというのは、ちょっと乱暴なのではないだろうか。
 隅田刑事も今は立派な(?)な警察官になってはいるが、実は大学生の頃、パチンコに嵌っていたことがあった。
 授業はそこそこにしておいて、大学生という、
「生きているうちに一番自分で使える時間を持っている」
 というそんな時間のほとんどをパチンコ屋で過ごしていた。アルバイトは結構していて。何かを買うわけでもなく。旅行などの趣味にお金を使ったわけでもない。
 それなのに、お金が残ったというわけでもなく。何に使ったのかというと、
「パチンコに消えた」
 としか言えなかった。
 パチンコを知るまでは、
「お金をかけて遊ぶなんて」
 と言って、依存症のことも理解しているつもりだったのに、本当に湯水のごとくお金を使った。
 それはまるでお金を使うことと、パチンコを楽しむことを切り離して考えているかのようだった。まるでゲームセンターでゲームをする感覚で、
「勝てばお金が戻ってくる」
 という程度の考え方だった。
 お金が戻ってくると言っても、しょせんは小遣い程度のものだ。実際につぎ込んだお金は、一日のアルバイト料を遥かに超えている。つまり、毎日パチンコをしていれば、間違いなく破産するレベルだということだ。
 玉の値段によって、換金額も変わってくるので、
「軍資金をいかに安くすますか?」
 ということであったり、
「軍資金に糸目はつけないので、勝てばでかい」
 という発想のどちらがいいかということである。
 さすがに頻繁に行くのであれば、軍資金が足りるわけはないので、少ないレートでの遊びとなるだろう。
 最初の頃は、
「いかにすれば儲かるか?」
 ということを考えていたが、そのうちに、
「どうせ儲からないのだから、レートなんか気にすることはない」
 と思うようになると、次第に、お金目的というよりも、ゲーム性に重きを置くようになる。
 当たる当たらないは別にして、チャンスが来ると、これでもかというほどの大げさな演出が盤面に起こっている。ギミックなどが発動され、当たるか当たらないかという状況にドキドキする。
 隅田刑事はゲームをやらないが、
「ゲームをしている人は、パチンコのチャンスの時と同じ感動を味わっているのだろうか?」
 と感じた。
 どっちもする人は分かるのだろうが、ゲームをしない人にとって、
「お金が掛かっていないのに、どうしてゲームになど夢中になれるのだろう?
 と思うのだろうが、その思いは、
「パチンコという遊戯は、お金をかけるのだから、ギャンブル以外の何者でもない」
 ということになるのだろう。
「パチンコを始め、ギャンブルが悪いというのは、そのゲーム性に夢中になって、そこに金銭が絡んでいるという感覚が薄れてしまっているからなのではないだろうか?」
 と考えているのではないかと思えた。
 つまり、パチンコをしている人は、金銭的な欲求と、ゲーム性への欲求の二つを同時に持つことはできず。ゲーム性を重んじてプレイしている人は、金銭感覚が甘くなってしまって、自分がどこまで使っていて、その状況が危ないということを理解していないということだろう。
 逆にお金目的であれば、ゲーム性に関係なく。お金だけを見ていればいいのだから、ある意味冷静だと言ってもいいだろう。冷静になれるのだから、ゲーム性を重視していることで、金銭感覚が薄れて行ってしまったことで、最初からお金を見ている人間に比べれば恐ろしい。
「お金に対して真摯に向かうことができる人は、大きなけがをしない」
 と言われるが、その通りなのだろう。
 お金というものをいかに感じるかということがギャンブルで大けがをしないことに繋がるのだろう。
 ギャンブルだけでなく、金銭感覚がマヒしてくると、ロクなことはないという証明ではないだろうか。
 それを考えれば犯罪というのも似たところがあるのかも知れない。
 お金が絡む犯罪は、基本的に犯行を犯している人間には、お金に執着はしているが、金銭感覚という意味ではマヒしていると言ってもいいだろう。
 お金を使う時、そしてお金を貯める時の感覚は、まったく正反対のようで、実は似ているところがある。これは、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
 と言われるのと同じではないだろうか。
 どちらがタマゴで、どちらがニワトリなのか分からないが、それぞれに繋がりがあり、そう、まるで、
「昼と夜の関係」
 と言ってもいいのではないか。
 それぞれが正反対であり、世の中には太陽の光の有無という意味でだけ考えれば、昼と夜しかないのだが、
「必ず昼の次には夜が訪れ、夜の次には昼が訪れる」
 ということであるのは、それぞれに同じである。