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精神的な自慰行為

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「それは、自分に対しての言い訳になるんだろうな。でも、普通ならそこでやめてしまう人って結構いると思うんだよ。それを辞めずにずっと続けられるということは、それだけで才能だと思うので、そういう意味でも、高杉が絵を上手になれたという理屈が分かってきたような気がするな」
 というのであった。
 それを聞いた時、
「最高の褒め言葉、ありがとう。これからも、どんどん上手になっていけそうな気がするな」
 というと、
「そうそう、その意気だよ。俺が高杉と仲良くなれた理由の一つには。君のその考えが分かっているからなんだろうって思うんだ。高杉は意外と分かりにくい性格をしているので、結構勘違いしている人も多いカモ知れないんだけど、逆に分かっている人も一定数いるだろうから、そこのあたりは、気にしない方がいいと思う」
 と言ってくれた。
 高杉の性癖については、その友達が一番よく分かっている。だから、彼がソープに通うことも、彼女がいないこともよく分かっていて、他の人であれば、彼女がいない友達がいると、
「誰か紹介してやろうか?」
 というくらいのおせっかいであってもよさそうなのだが、
「高杉には、彼女という存在は必要ないんだ」
 と思うことで、彼女を作ることに協力をしたりはしなかった。
 彼の性格からすれば、女の子の友達くらいであれば、作ろうと思えば簡単にできるはずで、却ってその時はまわりがとやかく言わない方がいいと思っているのだ。
 そんな高杉は、風俗嬢との時間を大切にした。だから、疑似恋愛でも楽しい思いができるのであって、同じ疑似恋愛という意味で、アイドルを推している人たちとは違うという意識を持っていた。
 別にアイドルを推している連中を毛嫌いしているわけではないが、どこか受け入れられない気持ちがあった。逆にアイドルを推している連中からすれば、高杉のような考えは、考えにくいものに感じられるのだろう。
 しかし、そのどちらでもない連中から見れば、
「どっちにしたって五十歩百歩。理解や想像の域を完全に超えていて、考えにくいなどという生易しいものではなく。到底考えられないものだ」
 と言えるのではないだろうか。
 高杉にとっての風俗嬢は、癒しに近いものだ。その感覚はアイドルを推している連中と同じだということは分かっているのに、どうしても受け入れられないという思いは、
「風俗嬢とは、肌を通じて気持ちが通じ合っているんだ。決して触れることのできないアイドルとは違う」
 と思っているだろう。
 しかし、アイドル推しの連中からすれば、
「決して個人的な付き合いができないだけに、想像や妄想の中でだけ自分のものになる。逆に言えば、誰のものにもならない相手を、想像の中だけで自分のものいできるのだから、これほどの至高の時間を感じることはできないだろう」
 と思っていた。
 確かにその考えに高杉が至っていれば、彼らと同じ間隔なのではないかと思うのだろうが、風俗嬢と一緒にいる時、
「この子は、自分といる時以外は他の男に癒しを与えている」
 と思わないようにわざと考えているのだから、歩み寄るという気持ちは一切ないと言ってもいいだろう・
 この二つの考え方は、それぞれに相まみえないという結界のようなものが存在している。まるで水と油のように、決して交わらないものがあるのだろう。
 だが、それは、
「決して交わることのない平行線」
 とは違っていて、ひょっとすると交わることがあるかも知れない。
 しかし、その時に、果たして、
「交わっていることに気づいているのに、交わっていないと自分にいい聞かせようとしているのか」
 あるいは、
「交わっていることに、まったく気づいていない」
 というどちらかになるのであろう。
 その時に高杉がその考えにもし至っていたとすれば、前者だったのではないかと思う。高杉は普段から結構頭がよく、発想も的を得ていることが多いくせに。とち狂ったかのような発想に至ることが結構ある。それは、自分でも後から考えて意識できることであり。そのため、前者のように、理屈に合わないことを、強引に思い込ませることで、理不尽なことでも納得させようとするから、余計に無意識であることを意識してしまうようになるに違いない。
 アイドルと性風俗との共通点については分かっているのだから、やはり、交わりそうなことを、交わるわけはないと自分にいい聞かせていると言っていいだろう。
 アイドルというものが別に嫌いだったわけではない。子供の頃はアイドルに憧れてもいた。それよりも、自分がいずれアイドルの知り合いということで、まわりに自慢ができると思い込んでいた時期があった。それが妄想であり、実はそれが、接することのできないアイドルを偶像化してしてしまい、自分の中で勝手に具現化することで、自己満足に浸るということが大人になってくると分かってきた。
 そもそも、高杉という男は、自分以外の人が脚光を浴びるのが、この上なく嫌だったのだ。
 何かの大会で、学校の代表が全国大会に出るからと言って、まわりがちやほやしたり、地元のプロ野球チームが優勝でもして、市内を優勝パレードでもするとなると、まわりは皆選手をヒーローに仕立てて、まわりの連中と一緒に楽しんでいる。高杉はそんな連中の気持ちがまったく分からなかったのだ。
「自分が表彰されるわけでも、まわりからちやほやされるわけでもないのに、どうして他の人をそんなに応援できるのか?」
 と感じるからだった。
 それは嫉妬であることが分かっているが、
「嫉妬があるから、逆に頑張れるのではないか」
 と思うと、ちやほやされている連中をちやほやする心境が、まったく分からないのだ。
 確かに、大学時代から描いている絵も、そういう感覚からだった。
 高校生の時の同級生に、絵画で全国的に有名なコンクールに入賞し、その成果を買われて、絵画雑誌の編集社から出資してもらって、個展を開いたりしていた。プロというわけではなかったが、サインも覚えたり、作品もそれなりに売れたりして、完全にまわりからちやほやされていたのだ。
 高杉は、そんなちやほやされている状況よりも。ちやほやされる原因となったコンクールの入賞が印象的だった。トロフィーを貰って、有頂天になっていた友達が、実に新鮮に見えたのだ。
 確かに、ちやほやされている時のどの友達を見たいとは思わなかったが、自分もそこまではいかなくても、コンクールに入賞できるだけの作品を作れればいいと思ったのだ。
 だが、いつ頃からだろうか、その気持ちが逆になってきた。自分がコンクールで入賞したいというよりも、個展が開けるようになった方がいいと思い始めたのは、自分が生み出す作品を、いかにたくさんの人に見てもらいたいかということに変わっていったからだろう。
 それは、同時に、
「継続は力なり」
 という言葉でもあるかのように、モノを作り出すということの貴重さが身に染みて感じられるようになったからだと思うようになってきた。
 最初の頃、絵を描いていることを他の人に知られたくないのは、恥ずかしいからだというように感じていたのが、どうも違っているような気がしてきた。
作品名:精神的な自慰行為 作家名:森本晃次