精神的な自慰行為
役所の怠慢により、年金記録を消してしまっていた。それも、その時点から遡って何年にもわたって同じようなことが行われてきたのだから、ザル状態だったのも、仕方のないことであるが、それを誰も何も言わなかったというのがいかれている証拠でもあった。
十年以上も前に問題になったこの話、誰ももう何も言わないが、どこまで復旧できたのか分かったものではない。
そんなことがあって、その内閣が解散し、総選挙を行ったことで、やっと五十年続いた一党独裁が壊れた。
当時野党で最大勢力を持っていたその政党が政府となると、公約を達成するために、いろいろな動きを見せたが。しょせんは付け焼刃なやり方であり、これまでは批判するだけでよかったものが、いざ政権という舞台に立つと、これほどお粗末なことになろうとは、誰もが思っていなかっただろう。
結局、数年で野党政府も瓦解し、そのまま、前の一党独裁状態に戻ってしまった。
「まるで徳川慶喜だな」
という人がいた。
幕末に、徳川将軍の徳川慶喜が、薩長に幕府を滅ぼされる前に行った起死回生の大政奉還。
これには、幕府に対しての武力行使を抑える平和的解決という意味と、もう一つ重要だったのは、
「どうせ、薩長や朝廷には、政治を行うノウハウがあるわけはない」
という考えがあったからで、
「いずれ、政治を投げ出して、再度徳川の天下になるか、あるいは、自分を政府の要人として迎えることになるだろう」
という思いがあったのだ。
だが、時代はあくまでも、幕府滅亡を目指し、鳥羽伏見の戦いを経て、戊辰戦争は幕府の滅亡を招くことになるのだ。
この時、徳川慶喜は失敗したが、政権交代が起こった時には、前政府の目論見通り、野党に政治は無理だった。
結局、政局が戻り、その頃には政府の頂点として君臨できる人間が一人しかいなかったことで、その男のやりたい放題。史上最低の内閣が出来上がってしまったのだが、
「他にできる人がいない」
という理由で、政府はこの内閣を続けるしかなかった。
そのために、死ななくてもいい人が多数死ぬことになったり、自分の味方をしてくれる人を手放したくないというだけの理由で、法律改正までしようとしたのだ。さらにその渦中の人間が、何ともお粗末な不祥事を起こし、辞職に追い込まれるのだから、
「一体、何やってんだ」
と言われても仕方がない。
しかも、その男は、
「責任は自分にあります」
というだけで、決して責任を取ることはしなかった。
「責任を痛感している」
というだけで、痛感すれば、責任を果たしたとでも思っているのか、結局最後は仮病を使うという卑怯なやり方で、肝心な時に政府を投げ出したのだ。
しかも、昔同じことをやっていたというのは、救いようのないことであったが、これも選挙でそんな男を国会議員として選出してしまった国民が悪いとも言える。
そんな政府であったので、一度は地に落ちた政府も、その後の総選挙において、かなりの苦戦をした。
それでも、政権交代が起こらなかったのは、それだけどうしようもない今の政府よりもさらに野党が酷いというだけの、消去法が招いた薄氷の勝利であった。
ただ、これを勝利と言えるのかどうか難しいところで、
「選挙における一票は誰の一票であっても、いつの時代であっても、同じものだ」
と言えるのだろうが、それはあくまでも、理想論であり、実際には違っているのではないかと思う。
「選挙において、投票率が低いと、与党が勝利する」
と言われているが、それはあくまでも、選挙に行く人が、与党の組織票であるということを示しているのだ。
与党は組織票を持っているから強いとも言える。野党にはそんな地盤もないから野党なのだ。
しかも、野党というのは、政府の批判をすることだけが仕事のようで、代替え案を出してくることはない。
「批判だけで給料がもらえるんだから、税金泥棒と言ってもいいだろう」
と、野党が言われるゆえんである。
この野党第一党というのも、一度は政府となった時期があった。
公約だけは立派だったが、その公約を一体どれだけ果たせたというのか、強引にやって失敗したり、世の中の空気を淀ませることしかしなかった連中のことは、今でも国民は忘れていない。あの頃は、年金を消した恨みから野党が攻勢であったが、今となってみると、それ以上のパンデミックに対してのあれだけのお粗末な政策をやった政府に勝てないのだから最低の野党である。
それこそ批判しかできない政党を誰が指示するというのか、どうしようもない。
そのくせ与党は、連立を組んでいて、第一党は、利権に塗れて、無責任政府だし、連立を組んでいるのは、某カルト宗教の後ろ盾から党を運営している組織だという、こちらも酷い政権である。選挙で過半数を取らなければいけないが、灸をすえるということも必要だ。それが、今回の選挙に繋がったのだろう。
さすがに今までは野党が弱いというだけで、他に政権につく根拠は何もなかったそんな政府だが、今回はお灸が効いたのか、少しは政府も真剣になってきているように見えた。その一つが今回の法改正なのだが、
「本当に的を得ていることなのか?」
という問題になっているのだった。
そもそも、パンデミックの時には、何をやっても茶番であり、しかも、どうしてもやりたいことは、国民に安心安全という根拠のない言葉だけを押し付けて、何が安全なのかを一切言わず、まるで予算や法案を国会で通す時の議長席に皆詰め寄っての強硬採決を見ているようだった。
最近は、そういう光景はあまり見なくなったが、政府の押し付けは相変わらずで、いまさら誰もビックリはしなくなっていた。
「今回の法案は、女性の尊厳を守り、そして、男性側の冤罪を防ぐという観点からの法改正になります。そのためにはデメリットとなる、個人のプライバシー問題や、個人の尊厳をいかに守るかというのが問題になってきます。そして、人間の欲の一つである性欲の制限に繋がるということは、精神的な歪みを生み出さないとも限らないので、万全の状態での施行が義務付けらていると言ってもいい。国会では、法改正のために、どういうものが必要かということを洗い出し、さらにそこから取捨選択したものが、開発班に渡され、いかに有意義なものを完成させることができるかということが問題である」
と、官房長官の発表であった。
記者会見においての記者団からは、
「かなり思い切った政策を打ち出していますが、人権問題、プライバシー保護、さらには、性的欲求に対してなど、憲法上の問題や、医学的な感知で見なければいけないデリケートなものが含まれていると思います。いくら、女性の尊厳や、危険から守るということ主題だとはいえ、どのような法に対しての備えが行われるかが問題ではないかと覆いますが、いかがでしょう?」
と訊かれて、