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精神的な自慰行為

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 もし、それができずに、個人情報を抜き取られてしまうと、何のための法改正なのか、本末転倒になってしまう。
 性犯罪の被害者をなるべくなくそうという法改正で、サイバー詐欺被害を増やしてしまったというのであれば、
「本当に何をやっているのか」
 と政府は言われても仕方がない。
 そのつもりで政府も開発をしていたのだろうが、さすがに最終的な詰めが甘いというのは、政府の今に始まったことではない。せっかくこれまでうまくやってきたのに、たった一つの甘さが命取りになるということを、政府は分からなかった。
 だから、法律が制定されるということが決まってから実際に施行されるまでに、結構な年月がかかることになるのだが、法改正が決まったことを、政府が発表し、それをマスゴミが世間に発表したことで、世間は政府が思っていた以上に、混乱していた。
 何しろ、性生活という、どちらかというとタブーとされてきた領域に、法律が入り込むのである。
 確かに、性犯罪が増えてきたことは、大きな社会問題であった。ただ、性犯罪というのは、昨日今日で始まったものではない。むしろ、昭和、平成と続いてきたこれまでの方が、犯罪としては、エグイものが多かったのかも知れない。
 だが、今は昔に比べて、ネットというものがあり、そこからSNSなどという手段を使って、いろいろ情報共有ができるようになった。それに反して、いや、ネットで情報共有ができるからこそ、個人情報の流出が問題となる時代になった。
 前述の詐欺についてもそうである。
 サイバー詐欺などという手口も生まれ、いろいろな方法で被害者から金をむしり取ろうとする。
 警察が警鐘を鳴らして、対策を強化すればするほど、犯行も多様化してくる。
「ここまでやるか?」
 と思うようなことが、すぐに日常茶飯事になっていって、誰もが犯罪に対して気に掛けるようになるが、これほど多発してくると、気にはしても、次第に感覚がマヒしてくることもある。
 そこで油断のようなものも生まれてきて、自分が詐欺に引っかかっていたとしても、その自覚すらなく、
「俺は大丈夫だ」
 という根拠のない自信だけがあるせいで、詐欺に引っかかってしまった後であっても、まだ自分の置かれている立場が分かっていないというような、盲目状態になっているに違いない。
 それは、この法律のキーになるものが、カードであるというところから始まっている。
 中身の見せないカードだから、余計に盲目になってしまう。
「カードというものは、安全なのだ」
 という思い込みが人間の根本にはあるのではないだろうか?
 カードによる詐欺がニュースではどんどん叫ばれてきて、実際に起こった事件の記事を目の当たりにするので、
「カードは怖いものだ」
 という意識に近づいてきているのは間違いないが、根底には、
「カードは安全」
 という安全神話のようなものが存在しているので、最終的に、感覚がマヒしてしまうのであろう。
 何しろ、中が見えないのだから、感覚がマヒしても仕方がない。かといって、カードをオープンにするなどありえない。そうなると、法改正自体の意義が失われてしまうからである。
 さて、政府の方も、法改正を発表してしまった手前、
「体制が整うまでが時期尚早だったので、決まった法案であるが、延期します」
 とは言えなかった。
 この政府は、かつてのパンデミックという有事に対して、すべてが後手後手にまわり、最終的に、内閣総辞職という結末を迎えざる負えなくなった政府の後を継いで発足したのだが、そもそも、パンデミックにおいても、本来なら、すぐにでも内閣が崩壊してもよかったのに、それができなかったのは、
「なり手がいない」
 ということだった。
 当時のような状態であっても、
「なり手がいないので、今の最低の政府でも解散するわけにはいかない」
 というのが、政府、国民の大多数であった。
 政権交代させるには、あまりにも野党がひどすぎて、それなら、今は最低の内閣でも、存続させるしかなかったのだ。
「どうせ、そんな内閣しか成立させることのできない政府なんて、もうこの国は終わっているな」
 という意見が多かったのも事実であるが、さすがに何度も何度も同じ失敗を繰り返し、さらには、何かをやろうとしても、国民にその真意を伝えない政府。マスゴミの取材対して、決して正直には答えない。
 まあ、そもそも、まともな質問のできないマスゴミなので、やつらの責任は、政府よりも重大なのは分かっている。
 政府の方針は、結局、最低でどうしようもない野党の反対と、それを煽るマスゴミのために、意思もなく、政策をコロコロ変えるのだから、国民に説明せよと言われてできるはずもないのだ。何しろ、ただ言われたからやったというだけのことだからである。
 そうなると、失敗しても、自分たちは決して責任を取らない。
「世論が望んだことじゃないか」
 と言いたいのだろうが、選挙のために、それは言えない。
 だから、結局、政府からは何ら説明もなかったということになるのだ。
 政府などというものは、しょせんそんなものである。
 特に当時のソーリというのは、まるで壊れたレコードのように、何を訊かれても、同じことしか答えないという、支離滅裂な会見しかできない連中だ。
 しかも、記者会見の質疑応答で、挙手していない人を当て、しかも当てられた人は驚きもせずに、普通に質問をしていた。
 つまり、当てられた記者がボーっとしていただけで、最初からシナリオありきの、いわゆる「やらせ」であったことは、誰もが認める事実だった。
 もっとも、国民は皆それくらいのことは知っている。政府が記者会見を開くというと、昔は緊張が走ったものだが、今はまったく違う。国民は政府が何をいうか、固唾をのんで見守っていた時代から、今は、
「政府がどんな間抜けな返答をするか」
 という意味で見ているので、最初から茶番なのは分かっている。
 そんな茶番を笑ってやろうという意識でしか、会見を見ていないのだ。テレビのモニターが、そのまま動物園の檻であるかのようではないか。
「世の中、喜劇でできている」
 と言った人がいるとかいないとか。
 今の世の中、喜劇とは何かと聞かれると、
「無責任な人間が、いかに責任ある立場に固執しようとしているか?」
 ということであり、それが政府というものの本質でしかない。
「まったく中身のない」
 それが茶番なのである。
 そんな世の中を誰が作ったというのだろう?
 そもそも、政府はほぼ、
「一党独裁」
 という時代をずっと続けてきた。
 五十年近くのいわゆる半世紀の期間、一党独裁だった。そのことで、政治は腐敗し、油断と慢心が蔓延してしまい、政府は完全に、ロボットのようになっていたのであろう。
 ロボットならロボットらしく、正確なことをするのが最低限であると言ってもいいのだろうが、それすらできなくなっていた。
 その決定的なことが、
「年金問題」
 だったのではないだろうか。
作品名:精神的な自慰行為 作家名:森本晃次