精神的な自慰行為
宇宙空間を描く、テレビドラマなどで特撮を見ていると、ある星から飛び立った宇宙船が、次第にバックの星から離れていくのを感じるのだが、まだその星に近い時は、どんどん、星が小さくなっていくのが分かり、ちょっとしか進んでいないのに、かなり進んだような錯覚に陥ってしまう。
これは、田舎のあぜ道を通っている時に、どこか道の真ん中に祠のようなものがあり、そこで休憩してから、また歩きだした時のことを思い出す。
祠までの距離をある程度覚えているので、今度は祠から歩き始めると、かなり歩いたような錯覚に陥ってしまうのだ。
後ろを振り向くと、そぐそこに祠がある。まだ、これほどしか歩いていないのかということを思い知らされた気がする。
その店の雰囲気も、昔のそんな開放的な佇まいを彷彿させるものだった。
木造の建物は、どこか油引きの床を想像させ、暑いわけでもないのに、暑さがこみあげてくるようで、扇風機や、うちわ、それに、豚が口を開けたような容器に入っている蚊取り線香を思わせる。
そこまで想像が行き着くと、夜の縁側に、浴衣をした母親や兄弟が木でできた長椅子に座っていて、うちわを仰ぎながら、空を見ている。
「ドカーン」
という音の後に、
「パラパラ」
という音がして、その音の方を見ると、綺麗な大きな花弁が、空を覆ったかと思うと、次第に形が消えていく。
「たまや〜」
という声もどこかから聞こえてくる。
綺麗な花火は、空だけを見るわけではなく、まわりを見ると、光が地上のすべてのものを照らして、綺麗だった。親や兄弟の顔も花火の光に照らされて、笑顔がハッキリと分かるのだった。
「皆のこんなに楽しそうな顔、見たことなかったな」
と感じた。
そういえば、子供の頃に感じた花火の醍醐味は、花火自体の美しさよりも、自分のまわりにいる人の顔を照らした時に感じられる。その人たちの表情だったのだ。普段、見たこともないような美しさは、花火にではなく、人間に感じるというのは、後にもその時だけで、人間に美しさというものを感じたことはなかったのだ。
「だから、誰かを好きになるということがなかったのかな?」
と感じた。
女の子を見て、綺麗だとか、可愛いとか感じることは確かにあった。
だが、そんな彼女たちと付き合ってみたいという感覚にはなぜか陥ることはなかったのだ。
文房具店に入ってから、しばらくすると、それまで感じていた油引きのような臭いはなくなってくる。
「一定の時間になるとなくなるようだが、その一定の時間は、いつもほとんど誤差がないような気がする。それは、同じ距離の道を意識せずにいつも通りに歩いたとして、歩く距離が一時間であったとしても、その誤差は、一分以下で、しかも、十数秒くらいのものである」
と言ってもいいくらいではないだろうか。
つまり、自分の中で、
「誤差の範囲だ」
と思っているものは、意外と寸分狂わぬくらいのものであり、その感覚が、人間の持っている本能のようなものかも知れないと感じた。
「高杉さんは、絵を描く時、どこから最初に描き始めますか?」
と、弘子は聞いた。
「うーん、ハッキリとは分からないかな? 被写体によって決めるという感じかな?」
と答えると、
「じゃあ、すぐに描き始める方ですか?」
と聞かれたので、
「少し迷うけど、でも、結構早いかも知れない。それに、いつも描き始めるまでの時間は一定しているかも知れない。毎回自分の中ではだいぶ違っているような気がするんだけどね」
というと、
「どうしてそう思ったんですか?」
と訊かれて、
「さっきまで考えていたことが一つの思惑を示したんですよ。それが一定の時間という感覚だったんです。ちょうどその時、あなたが、書き始めるまでのタイミングを聞いたので、偶然だと思えない何かを感じたんです」
と高杉は答えた。
「なるほどですね。私は小説を書く時は、意外と早く書き始めますね。本当はプロットをしっかり作ってからでないといけないんでしょうけど、あまりカチッとしたものを作りすぎると、達成感が先に来てしまうという感覚と、配分が分からなくなるんです。これは絵にも言えることなのかも知れないんですが、バランスが崩れてくるという問題なのだと思いますね」
と、弘子は言った。
「弘子さんは、アイドルになるという感情は、もういいんですか?」
と言われた弘子は、
「ええ、もしあのままアイドルを追いかけていると、どこか煮え切らない自分に嫌気がさしていたかも知れないんですが、それを小説が救ってくれました。ひょっとすると、アイドルを目指している人や、アイドルになった人が別の道を模索するというのは、アイドルというのが、たくさんの選択肢の中の一つであり。その寿命が短いことを、最初から分からせて、アイドルを諦めるという意味合いよりも、長く続けられる継続可能なものが芸術であるということを教えるためのものなのかも知れないとも思うんですよ」
と弘子は言った。
「芸術って、でも才能がなければできないものなのでは?」
と高杉がいうと、
「芸術というのは、何もプロになるだけが目的ではない。自分の作品を世に出すという意味ではいくらでも方法はあると思うんですよ。それに趣味を仕事にしてしまうと、自分の中で余裕がまったくなくなってしまう。そもそも趣味を持つというのは、自分の中で余裕を持つためのものだと言ってもいいと思うから、却ってプロになる必要はないと思うんですよ」
と弘子がいうと、
「確かにそうですね。趣味を仕事にしてしまうと、優先順位を自分ではつけられなくなってしまいますからね。プロである以上、売れるものを作り続けなければいけないという使命がついてくる。だから、自分が書きたいものを書けないというジレンマに陥ってしまって、それなら、アマチュアの方がよかったと感じると思うんですよ。しかも、締め切り厳守という厳しさもある。それは、絵や小説に限らず、何事でもそうですけどね。よく、趣味と実益を兼ねるとか、趣味を仕事にできていいよねとかいう人がいるけど、それこそ、無責任な発言に思えて仕方がないんですよ」
と、高杉が答えた。
「やっぱり芸術というのは、分かる人にしか分からないというけど、そうなんじゃないかなって思うんです。そういう意味では、高杉さんとは、気が合うような気がするんですよ」
と弘子は言った。
「ところで弘子さんは、どういうジャンルを書いているんですか?」
と訊かれて、少しはにかんだ様子を見せた弘子だったが、
「私は、レズビアンものを書いているんですよ。ライトンベルとかにあるような、GLとかいうような甘っちょろいものではなくて、官能小説のような、ガチガチのレズビアンなんですよ」
と言い切って、彼女は高杉を見つめた。
その表情は、何と言われてもいいという覚悟のようなものがあった。
すると、高杉は言った。
「官能小説というのは、結構難しいらしいですね」
というと、
「検閲にかからないほどの内容を書かなければいけないということと、あまっちゃろいものは、ウケないというジレンマを感じながらですからね。そういう意味では難しいですよ」
と、弘子は答えた。