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精神的な自慰行為

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「意外と自由で簡単なことの方が、離脱する時に難しいのではないか?」
 ということが分かった気がした。
 そのため、何となく理不尽であったが、高校を卒業するまで、通い続けた。
 その間に、何度もオーディションを受けたが、そのほとんどが一次審査で落ちていた。何度も受けているうちに、審査員の態度で、自分がどれくらいの評価を受けているのかというのが分かるようになってきたが、だからと言って、どうすれば合格できるかということはまったく分かるわけではなかった。
 それは当たり前のことであり、そもそも、アイドルになりたいという気概があるわけではなかったからだ。そのことはオーディションの審査員の方も分かっているのか、弘子が通っている教室の生徒用の質問が用意されているようで、答え方ひとつで、やる気を持って受けに来たのかということを試しているようだった。
 ただ、弘子の二つ下の学年の女の子で、一人有望な女の子がいて、その子は、オーデションに合格しただけではなく、
「東京に出てこないかい? 君ならトップアイドルになれる」
 と言われた子がいた。
 それも、一つの教室だけではなく、いくつもの教室から誘いがあったという、。
 アイドルの原石を見つけたという触れ込みで、彼女はすぐに東京の教室に通うようになったのだ。
 その女の子は二年もしないうちに、CMやドラマに出演するほどの有名女優になっていた。
「彼女は、アイドルというよりも、女優やお芝居向きだったようね、それに、作文を書かせると文才も非凡だったから、ひょっとすると、脚本や監督の道も彼女なら歩めるかも知れない」
 と先生は言っていた。
「ここ十年くらいにアイドルというのは、アイドルだけをやっているというわけではなく、他にいろいろな才能があれば、そっちで活躍できるように、まわりが対応してあげないといけないのよ。そういう意味で、アイドル養成学校というのは、昔からのベタなアイドルだけを育てるだけじゃあダメなのよね」
 と、弘子は、今までの経験から、そう思っていることを、趣味があるという、高杉にいうのだった。
「なるほど、俺はそんなにアイドル事情には詳しくないけど、何となくその理屈は分かる気がする。アイドルというのは、いつまでもやっていける商売じゃないからね。同じ芸能関係での幅広い外仕事のようなものを持っていて、その素質を磨くようにしているという話は聞いたことがある。音楽の道を進む人もいるし、劇団に所属したりして、舞台は井伊裕になったり、女優として生きていく人、あるいは、勉強して大学に行って、そこで教養を身につけて、アナウンサーになったりする人もいるというのを聞いたこともある。何しろアイドルグループはたくさんあるし、グループのメンバーもたくさんいるから、どうしても芸能界で生き残ろうとするのは難しいかも知れないね。そういう意味で、芸能界を離れても一人でやっていける技術を身につけるというのは大切なことだよね」
 と高杉がいうと、
「ええ、そうなのよ。私はアイドルグループに入るところまではいかなかったんだけど、レッスンと一緒に、文章サークルのようなところにも一緒に勉強にいっていたので、一応、シナリオの基礎とか、小説の書き方などという勉強はしたんだけど、なかなか需要がなかったので、とりあえず、派遣会社に登録はしておいて、自分なりに、シナリオとか小説を書いて、いろいろ応募したりはしているの」
 と、弘子は言った。
「なるほど、ちゃんと教室に通って、基礎を勉強しているというのはすごいと思うね。やっぱり、お母さんがアイドル養成のためのスクールに入れてくれたから、そういう考えになっているのかも知れない。生き方としては、しっかりしていて、素晴らしいと思うよ」
 と高杉がいうと、
「高杉さんは、絵を描かれているんですよね?」
 と弘子がいうと、
「うん、そうだよ、よく知ってるね」
 と言われて、
「ええ、この間、高杉さんがちょうど会社の近くにある文具店に寄られているのを見たんです、そこで、二階に上がっていったので、ああ、絵を描かれるんだなって思ったんですよ」
 というではないか。
 彼女のいう文具店というのは、会社のあるビルの裏手にある。あまり人通りも多くなく、隠れ家のような店が多いところで、呑み屋として利用する人以外は、昔からの佇まいの家が多いので、老舗の店とかが多そうだった。
 前述の文房具店はもちろんのこと、昔ならではの和菓子屋さんであったり、呉服屋などといった、道路が舗装されていなければ、まりで大正か昭和初期の街並みを思わせる、乗除溢れたところである。
 そんな中で、この文具店を見つけたのは偶然だった。会社の飲み会に行く前に、仕事が早く終わり、集合時間まで少しあったことで、
「せっかくだから、この界隈を探検してみよう」
 と思った時に、偶然見つけたものだった。
 その文具店は、一階に普通の文房具が置かれていて、二階は絵画などの額縁であったり、絵の具やキャンバスと言った、絵画の用具が所せましと並んでいるのだ。
「こんなお店はなかなかないよな」
 と思い、まさか二階が絵画専門だとは知らなかったのだが、実際に入ってみると、時間を忘れて見入ってしまいそうなくらいだった。
 さすがにその時は飲み会のついでだったので、それ以上いることはできなかったが、
「いいところを見つけた」
 と思い。後日ゆっくり行ってみることにした。
 なるほど、確かに思った通りの時間を忘れられるだけの道具が並んでいた。一時間くらいは余裕で時間を潰せるくらいであった。
 高杉という男は、自分が絵を描くくせに、美術館などで、拝観するのは苦手だった。
 自分が描いた芸術についても、自分でよく分からないのに、美術館に展示されるような人の絵が分かるわけもない。そう思っているので、考えれば考えるほど、分からなくなっていくのだった。
 どうして分からないのかという理屈が分からない。芸術というものは、一つの作品には必ず何かの意味があると思っている。だから、美術館で皆がそれを見て。何かを感じているのだろう。それがどういうものなのか、説明する必要はない。ただ、分かるとするならば、
「他の人とはどこかが違う」
 というそのどこかが分かるということだろう。
 技術的なものだけに注目してしまうと、
「どこがいいのだろう?」
 と、細部にわたってみようとしてしまう。
 まわりから、細部に向かって見ていると、どこに違いがあるのかが分からないと、細部に行きついてしまったことを感じるだろう。
 見つからないとすれば、他の人が見ているのが、反対に細部から、全体に向かって人がっていくものだとすると、どこかで重なるはずなのに、重なることはない。それは、細部に向かってしか見ていないので、すぐ横を通っても、見つけることはできない。
「まさか、そんなすぐ横にいるとは思ってもいなかった」
 と感じるからで、しかも、通り過ぎるスピードは自分がまわりと感じている倍である。
 普通なら見えるはずのものが見えないということは、目の前で見えるはずのものが見えないことを証明しているようで、宇宙空間を感じさせる。
作品名:精神的な自慰行為 作家名:森本晃次