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理不尽と無責任の連鎖

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 とばかりに、一気に怒りがこみあげてきて、何とかその場は荒れ狂わずに収めたものだった。
 それから、数日、広間と思しき時間に、子供が行水していた。最初の日は日曜日だということで、父親が水浴びをさせていたが。他の日は奥さんが水着を着て、子供の相手をしていた。
 その様子を平野は垣間見るようになった。そして、密かにトイレの窓から、見つからないようにホームビデオのカメラにその様子を収めていた、
 もちろん、奥さんのエロい恰好を収めて、引きこもった部屋で見るためだった。
「俺って、変態だったんだ」
 と感じた。
 子供が遊んでいる姿は一切見ない。奥さんの厭らしい肢体を見て興奮している自分をしばらく感じていると、
「ひょっとして、意識して、嫌なものを排除できるようになれるかも知れない」
 と感じた。
 録画した動画の奥さんの部分だけを写すのは難しい。どうしても、ガキ迄写ってしまう。それでも、集中して見ていれば、奥さんだけを見て興奮することができる。嫌なものを抹殺しようと思わないでも、ビデオカメラの中の意識を奥さんだけに持っていくことができえば、これほどスムーズに問題を解決できることもないと思うのだった。
 そして、実際に平野は、奥さんの身体だけを見ることができるのに成功した。ガキの姿はちゃんとビデオに映っているのに、気にすることはなくなった。
 そのことを感じていると、その頃に読んでいた本に興味を持っていたことで、自分も書いてみたいと感じたのは、その頃のことだった。
 現実と空想が頭の中で交差して、奥さんへの厭らしい妄想が、官能小説のような話になっていったが、官能小説風に書けるようになると、今度は、それを他のジャンルに当て嵌めて見ていくことができるのではないかと思えた。
 この話を少しホラーか、オカルトっぽくできるといいと考えた。
「どうせ、小説なんだから、何したっていいよな、奥さんと厭らしいことをしたって、誰かを殺そうと思ったとしても、それを誰が避難できるというのか。どうせ、誰にも見せるつもりもないんだしな」
 と、平野はこの状況をm思い切り、自分中心の話にしてしまおうと考えたのだ。
「あの奥さんには、思い切り恥ずかしい恰好をしてもらおう。コスプレなんかいいな。セーラー服は無理があるかも知れないが、ナース服で癒されてみたいな」
 などと思い、病院で看護を受けている気分になっていた。
 実際に病気でもないのに入院していると、どこもおかしくないのに、どこかがおかしい気がしてくるから不思議だった。だが、奥さん看護婦が癒してくれているのを感じると、次第に痛みが引いてくる。元々痛くも何ともない状態で痛みが引いてくる感覚は、
「セックスって、こんな感じなのかな?」
 という妄想を抱いた。
 癒しが絶頂を迎える時、身体の奥から何かがこみあげてくるのを感じ、
「もう、我慢できない」
 と思った瞬間、頭の中が真っ白になった。
 こんな充実感を感じたことがないと思ったくせに、次第に我に返ってくると、今度は、何か虚しさを感じた。
「なんだ? この感覚は?」
 と、自分でもビックリだった。
 罪悪感でもない何かが身体の奥からこみあげてくる。この感覚がどこから来るのか、まったく分かっていなかったのだ。
 引きこもりには、何か趣味があれば、人と一緒にいなくても寂しくないという大義名分がある。もっとも、一人でいることが寂しいというのを、誰が決めたというのだ。一人でいて、勝手なことをするのを、なぜ悪いことのように言われるのか、疑問で仕方がなかった。
「小説家やマンガ家というのは、ホテルで缶詰めにされて、まるで隔離されている状態で書いているではないか」
 と考えた。
 さすがに隔離というのは抵抗があるが、ちゃんと書いていれば、別に何をしてもかまわない。そもそもホテルや旅館で執筆を続けるというのは、自分が望んだことで、雑音が入らないようにしているからだった。
 小説を書き始めた頃は、一人で自分の部屋で籠って書いていると、気が散ってしまって、なかなか分奏が進まないものだった。小説を書いている時というのは。
「考えてしまうと書けなくなってしまう」
 と感じることから、書けるようになったのだ。
 つまり、考えずに感じることで、文章が浮かんできて、どんどん先に進んでいく。それが一旦考えてしまうと、頭の中に余計なことが浮かんできて、せっかく真正面を見て描き続けていたのが、横道に逸れてしまう。それは気が散っているわけではなく。選択肢が増えることで、書くことに疑問を感じるようになるのだ。
「もっといい文章が書けるのではないか?」
 などと考えると、先に進まなくなってしまう。
 小説を書く時は、プロットを作らないと、文章が支離滅裂になって、書けなくなると言われているが、まさにその通り。
 しかし、プロットは完全に作り上げる必要はないのだ。小説の書き方なるハウツー本の中には、
「プロットを完璧にしてしまうと、それである程度満足してしまって。本編を書き始めると、目指す場所が見えているはずなのに、見えていないことに気づいて、書き始めから詰まってしまうことがあるので、あんまり完璧にしない方がいい」
 と書かれている本もあった。
 まさしくその通りだ。
 そもそも、プロットというのは、決まった形があるわけではなく、あくまでも設計書だ。プロの作家であれば、企画書になりそうなあらすじくらいは、出版社に出さないと、出版の許可が下りないのだろうが、素人が自分で書く分には、どんなものでも構わない。
 別にプロットが絶対に必要だというわけでもないのだ。
 プロットが少しでもできていて、登場人物ができていれば、すぐに書きだすことが多い。それが、途中までであってもいいのだ。書きながら最終章に向かっていけばいいのであって。半分以上書いたくらいのところでラストの結末を考えるというのが、平野のやり方だった。
 下手をすると、いきなり終わらせることもあったりしたが、後で読み返すと、意外とうまくできていると思うことも多かった。
 最近は、無料投稿サイトなどを見つけてきて、自分で書いた作品をアップすることもある。そうしておけば、無料で開放しているので、読んでくれる人もいたりする。批評もあり、レビューも書いてくれる人もいたりした。
 基本的には、褒めてくれる人が多いのだが、中には辛辣な意見もあったりして、それに一喜一憂することもあったりした。
 小説を書いていると、やはり引きこもっていることもあってか、時間を感じないものだろうと思っていたが、自分で書く量に対して、どれくらいの時間を要するかということが気になるようになってきたので、少し気にしていると、思っていたよりも、実感と実際の時間との間に差がないことが分かってきた。
「確か友達は、書いていると、あっという間の気がするんだ。下手をすると、五分くらいしか経っていないのに、実際には一時間くらい経っていたなんてこともあったりしたんだよ」
 と言っていた。
「それだけ集中しているからなんじゃないかな?」
 と言ったが、その時、
――自分もその感覚を味わってみたいものだな――
 と感じたのだった。
作品名:理不尽と無責任の連鎖 作家名:森本晃次