小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

理不尽と無責任の連鎖

INDEX|21ページ/25ページ|

次のページ前のページ
 

 元々その県は、以前から交通マナーに関しては、全国ワーストとずっと言われてきたようなところで、
「黄色信号は行け、赤信号は中止して渡れ」
 とまで言われるほどである。
 もちろん、信号が赤になる時の話ではあるが、これが常識と言われている県なので、事故が起こるのも当然といえば、当然だ。
 さらに、、酷いのは、運転手が事故を起こした時の状況だ。
 無免許、飲酒、薬物と、検問されれば、逃げるしかない状況で、結局逃げてしまい、そこで事故を起こす。しかも、無免許というのは、免停などという生易しいものではなく、免取状態の人が乗っての無免許だったりする。
 人によっては。
「そんなやつは厳罰にして見せしめにすればいい」
 という意見もあるが、冷静に見ている人は、
「無免許だろうが、運転する人は運転する。飲酒などで、運転する人は、自分だったら絶対に事故は起こさない。あるいは見つからないということをどこから出てくるのか分からないが、根拠のない自信を持っているのだろう。そんな連中なので、どんなに刑を重くしたって、乗るやつは乗るのだ」
 という意見であった。
 そんな連中をどうやれば撃退できるというのか。以前に読んだ小説では、そんな連中を車ごと消す機械を開発したようなことが書かれていた。
 というよりも、
「その車を消して、三十分後の同じ場所に現れるようにタイムマシンをセットしておいた」
 というのだ。
 するとそれを聞いた人は、
「なんだって? そんなことをすれば、三十分後にちょうどそこにいた人と正面衝突してしまうかも知れないじゃないか?」
 と言われて、
「うん、それも面白いじゃないか」
「ええっ? 何の罪もない人の車にぶつかるわけだろう?」
「そういうことになるね」
 とまるで夢を見ているかのような会話に、話をしていて、質問者は頭がおかしくなるところであった。
「いいじゃないか。そうやって車が少しずつ減っていけばいいんだ、車を運転するから、事故も起こるし、公害問題にもなる。少しずつ車の数が減って行けばううのさ」
 と、ものすごい乱暴な言い方だった。
 だが、話を訊いていた人も、
「何となく、悪い話ではないような気がする」
 と感じてきていた。
「この世は、すべての人に平等だなんてことはないのさ。だから突発的な事故だって起こるし、それを誰かのせいだと誰も思わないから、さっきの話だって、まるで悪いことのように言っているだろう? 人の運命なんて分からないんだ。ただ、それを誰か一人が生殺与奪の権利を持っていたりすると、恐ろしいということになるのさ。だけど、宗教なんて結局は、神様がいて、その神様によって正接与奪の権利があるのだと思い込んでいるわけだろう? それが普通の人間でなぜいけないのかって思うのさ。だけど、誰か一人をターゲットにしてはいけないけど、誰かが犠牲になるというロシアンルーレットのような神様の存在は、宗教では身とえられているのではないか? そう思うと、悪を懲らしめるという意味での犠牲をいとわないと考えれば、今のようなタイムマシンを使うというやり方も、正当性があるんじゃないかな?」
 という、話をしていた。
 さすがに読んでいて、不快ではあったが、よく読んでみると、
「さすが、ストレス解消に読んだ本の作者による作品だ」
 と感じるのだった。
 この作家の話は、かなり恐ろしい話ではあったが、これをオカルトやホラーとして捉えるのであれば全然ありだった
 小説というものを、いかに捉えるかと考えると、
「フィクションであれば、何でもあり」
 というのが、最優先だとすれば、少々のことは許される。
 ただ、放送禁止用語や、社会全体に対しての影響が大きいもの。例えば、模倣しやすく、事件に発生しやすいものなどは、NGなのではないだろうか?
 ただ、模倣を予見するのは難しく、実際に起こってしまったものであっても、発売禁止になることもないだろう。
 あくまでも、マネをした可能性があるというだけで、本による模倣を証明できるものではない。
 この作家の話は、結構模倣されているかのようだった。
 以前に見たニュースで似たような話があったのだが、それは、不可能であるかと思われる犯罪をやってのけたのだが、今もその犯人は捕まっていない、どこをどう逃げているのか、ユースでは、
「神出鬼没の犯人」
 ということで、捜査員を煙に巻いていると言って、犯人ではありながら、世間では賞賛されていた。
 別に誰かを殺したわけでもなく、以前から悪徳商人というウワサのある富豪の家の金庫から、まんまと大金をせしめたのだった。
 家主が寝ている間に金庫が開けられ、大金が盗まれたということであったが、実際には、金庫から盗まれた金が問題ではなく、その奥の書くし金庫にあった薬物やけん銃などが問題だったのだ。
 それを犯人、あるいは、犯人グループが、公表すれば、自分たちの立場が怪しくなる。富豪の屋敷は、反政府勢力のアジトだったのだ。
 やつらは、どうしたものかと考えたが、
「自分たちは水面下で捜査し、警察にも並行して捜査させ、警察が真相に近づかないように警戒しながら、警察の捜査に便乗し、最終的にブツを取り戻すという作戦に出よう」 
 としているのであった。
 実際には、その情報は警察にも漏れていて、警察も目的は犯人逮捕というよりも反政府勢力を壊滅させることが目的だった。
 そのため、警察も全力を挙げていた。
 刑事課が捜査をする中で、公安が動きを見せ、公安が動き出したことに警戒を示し始めた反政府組織であったが、あくまでも警察の目的は、
「反政府組織の動きを見張ることで、犯人に少しでも近づく」
 というものだった。
 しかし、犯人逮捕が目的ではなく、犯人に対して反政府組織が何をしようとするかで、やつらの息の根を止めることができるのではないかと感じたのだ。
 警察も暗政府組織もお互いに、それぞれを利用しようとしていたことには違いないが、目的は犯人ではなく、組織の方は、犯行の隠滅であり、警察の方では、組織の激越というそれぞれに裏で真の目的を持っていたのだ。
 小説では、警察の捜査は結構的を得た捜査が行われ、結構早い段階から、犯人たちをあぶり出すことに成功していた。
 組織では、
「そろそろ、こちらも行動に移すか」
 ということで、犯人を追い詰める計画を見せるが、公安が後ろから忍び寄ってきているのを知らなかった。
 警察内に、組織の内定者がいることを警察も分かっていて、わざとニセの情報を掴ませて、やつらを陽動し、公安がまんまとやつらを逮捕したというわけだ。
 しかし、それは、組織も分かっていたことのようで、捕まったのは、あくまでも下っ端の犯行だった。しかも、別に犯人たちであるということを知らずに組織の下っ端の連中が、
「勝手にやったこと」
 ということで、組織は頑なに関与を身とえなかった。
 こうなってしまうと、迂闊に警察も組織には手を出せない。まるで鬼の首を取ったかのように捕まえた相手が、実はおとりだったと知った時、警察の幹部連中の地団駄を踏んで、悔しがっている姿が見えたことで、作者の警察に対しての留飲が下がっているのを感じた。
作品名:理不尽と無責任の連鎖 作家名:森本晃次