理不尽と無責任の連鎖
という父親を、少し不審げに見ていた母親だったが、どうやら何を言いたいのか、意見がまとまらないようだった。
そこで、父親が話を続けた。
「性犯罪や痴漢などにしても、結構冤罪と思われるような事件も多いだろう? 実際にやってないのに、やったかのように騒がれて、まわりも、皆こちらに対して、汚らわしいものでも見るかのような視線を浴びせてくる。そこに持ってきて、女はさらに責め立てる。結構こういう場合って冤罪が多かったりするんだ。しかも、これが発見者とグルだったりする場合も結構多い。性犯罪における美人局なども同じようなものだね」
「美人局って?」
どうやら、母親は本当に世間のことをよく知らないようだ。
そのくせに、
「世間体を気にしなさい」
などというのは、本末転倒もいいところである。
「美人局というのは、女の方から男に誘いをかけて、ホテルに連れ込んだりするだろう? そしていよいよ行為を始めようとした時、ヤクザまがいのやつらがやってきて、俺の女に何するのかとか、あるいは、新聞記者を装ったやつが来て、記事にするなどと言われて、お金を脅し取るというやり方さ。男の方も少なからず後ろめたさもあるし、決定的な写真まで取られて、しかも、女が自分に襲われたなどと証言しているのだから、脅しに乗るしかないだろうね。だけどね、これって、脅す側にも実はリスクがあるんだよ」
と父親が、含み笑いを浮かべながら言った。
「どういうこと?」
「犯人側は、あらかじめ狙う男を絞って犯行に及んでいるだろう? だから、お金を持っていて。身元がバレると困るような人たちなので、彼らは、自分の身を守るためには、何でもするのさ。しかもお金があるしね。つまりは、狙われた方も、裏の世界を持っているということさ。自分が危険な目に遭った時のために、裏の組織と繋がっていて、お金で自分を脅迫してくた連中を探させ、そして、半殺しの目に合わせたりするんだろうな。しょせん、最初に脅してくるような連中は、チンピラ程度の連中なので、誰も助けてくれるわけもなく、本当に、海の底に沈められるかも知れないということさ。それだけ、世の中は甘い物でもないし、上には上がいて、中途半端な立場で簡単に人を脅かすとどうなるかということだろうね?」
と言って、父親はニヤッと笑った。
「でも、それは極端な例よね?」
と母親がいうので。
「そりゃあそうさ。普通なら脅されればお金を払って、そいつらは、また味をしめて、他の人を脅迫する。だけど、いずれは危ない人に当たる可能性もあるだろうね。それなら、適当なところで警察に逮捕される方がいいだろう。命あってのものだねというだろう?」
「そうね」
「でも、やっぱり、脅迫する方もする方だけど、される方もされる方ね。そういう意味では美人局というのは、どちらが悪いとは言い切れないところがあるわ」
「美人局はね。でも、痴漢の冤罪ともなると、もっとたちが悪い。警察に突き出して、容疑者に不利な話をさせる。犯罪者になりたくなかったら。金を出せと脅すわけだ」
「本当にひどいわよね」
「だろう? それだって、痴漢をするのは男で、痴漢事件があれば、証人がいるということで、ほとんどその人が推定有罪ということになってしまう。そうなると、実際にやっていないにしても、その場で捕まった時点で、嵌められたとは思わない気の小さい容疑者だったら、それこそ世間体を考えて金を出すというmのさ。この場合の世間体って何なんだろうか?」
と父親が言った。
「世間体?」
母親がいつも言っている世間体と同じ世間体なのだろうか?
いろいろ考えてみたが、同じもののように感じる。そして、父親はその世間体というものに疑問を呈しているようだ。
世間体などというものは、母親の話では、自分を守るものの防波堤のような言い方をしていたが。父親の話では。何か結界のようなものにも感じる。
父親が、疑問を呈したことで、同じようなものかと一瞬感じたが、冷静に考えると少し違っているようだ。
何が違っているのかということを考えると、どうやら見え方に問題があるようだ。どの方向から見るかによって、その状態が違って見える。しかも、父親の話の中では、結界のようなものがあるではないか、やはり厳密に言えば、違うものなのかも知れない。
男女差別というのと男女平等というのとでは、訊いた感じでは、反対語のように感じるが、実際には違うもののようにも感じるのだった。
そもそも、差別と平等が反対語だと言えるのだろうか? 差別というと、どちらか一つでも見た時に、差があると感じた時、差別だというだろう。しかし、平等というのは、どちらから見ても、寸分違うことなく、差がない状態にするのを平等だと考えると、平等の定義というのは、かなり難しいものだと言えるのではないだろうか。
男女が頭についただけで、結構厄介な解釈になってしまう。特に、男女平等とはいうが、男女差別いう言葉が使わない。しかも、今の男女平等の定義というのは、全般的なものではなく、
「男女雇用均等方」
という法律の中でのことに限定されるものだ。
つまり、法律にのっとったものでなければ、男女差別という理屈はない。ハラスメントのようにコンプライアンスが叫ばれている時代なので過敏な反応をしてしまう人が多いが、そもそもは、
「男性にできる仕事も女性にもできるはずだ」
という発想と、女性の登用を増やすことで、政治参加や社会貢献を行い、女性が自立できる世界を目指すというものではないのだろうか。
だから、ハラスメントが叫ばれているのは、身体的に女性を差別することであって、雇用という意味では違っている。勤務に支障をきたすという意味でのコンプライアンスであるが、結局、コンプライアンスは
「男女では、決定的に身体的な差がある」
ということを認めることになるのだ。
そうなると、男女雇用均等法の精神である、
「男女で、同じ仕事を」
という精神とは違った形のものを認めてしまうことになる。
「この矛盾に果たして、誰も気付かないのだろう?」
という疑問を感じるのは、平野だけだろうか?
そもそも男女が平等ではないという根拠に立てば、差別とは違うのだということを理解できていれば、コンプライアンスと、男女平等という発想が違うものだということは、容易に分かるものではないかと思うのだ。
父親はそのことが言いたかったのではないかと思ったが。どうも母親にはその理屈すら分かっておらず、
「やっぱり、しょせん女って感じなんだな」
と感じたのだ。
小説の世界
平野が感じた悲惨で理不尽なものとして、最近よく聞くのが交通事故であった。
数年ほど前だったか、飲酒運転の犠牲になった親子が話題となり、飲酒運転撲滅が叫ばれたことがあった。
特にその事件が発生した県では、警察が必死になって飲酒運転撲滅を訴えていたのだが、まったく減るよしもない。しかも、酷い事故であったり、事故を起こした人間の素性が酷いのも、その問題の県だったりした。
学校の教師であったり、市の職員であったりと、さらには、警察官などもいたりして、実に嘆かわしいことである。
作品名:理不尽と無責任の連鎖 作家名:森本晃次