理不尽と無責任の連鎖
その時のことがどうなったのか、まだ大会が始まる前なので最終的には分からないが、たぶん、想定される最悪の結果が待っているのであろうと感じていた。
「男女平等ってさ。最初から男女は生れながらに差がついているのに、それを途中でいきなり平等というのもおかしいと思うんだ。それは女性の方が平等になる方が大変だという意味でね」
「どうしてなの? あくまでも待遇面と機会均等という意味での話なんだけど?」
「いやいや、それをいうのは、男性と同等の仕事ができるというのが最低限でしょう? でもそれは無理なんだから、それを差別と言われたのだったら、理不尽だ。いや、差別に感じるようなやり方を、誰かが故意に操作しているのかも知れない」
「操作というと?」
「例えばマスコミが変に煽っているとかね。やつらは、自分の新聞や雑誌が売れさえすればいいんだから」
「そうなの? 正確な報道をするのがマスコミなんじゃないの?」
と母親が詰め寄るが、さすがに、高校生の平野であっても、それが建前や形式でしかないということくらいは分かった。
「そりゃあ、そうさ。ネットでニュースの見出しなんか見てごらん。分かりにくいもものや、どちらとも取れるような内容のものが多いだろう? あれは、わざと気になるようにしているのさ。そうじゃあなかったら、本当にジャーナリストなどという言葉の風上にも置けないやつで、幼稚園からやり直せって言いたくなるよな。報道の自由という言葉に世間の人は騙されやすいのさ」
と父親が言った時、
「世間?」
平野は、まずその言葉に反応した。
母親のいう
「世間体」
というものとは、どこまで違うというのだろうか?
一つ言えることは、
「世間体というのは、世間に対して自分たちが表す姿であり、世間がそれを見て、格好悪いとか情けないとかをいうのだろう。よくて当たり前、それが世間体ではないか」
と思っている。
ただ、世間というものは、そんなに偉いものなのか。一人の人間に対して、評価できるほどの格式の高いものなのか。平野は、そのことが気になるのだ。まるで神様の言葉のように、世間体を気にしているが、それほど、世間というものが正しいのかと思えた。
そう考えると世間の代表とでも考えているのか、マスコミを頭から信用している母親に、信じることへの違和感はあったが、母親が信じているということに対しての、違和感は感じなかった。
「でも、言論の自由があるんじゃないの?」
「言論の自由というのは、何をやってもいいというわけではない。いくら言論に自由があったとしても、個人のプライバシーを侵害したり、財産権を侵害したり、あるいは、戦争を引き起こすような報道をしたりすることは許されないだろう? そういう意味でも、マスコミの言っていることはすべて正しいなんてのは、伝説、それも都市伝説でしかないのさ。だから、今のマスコミは、新聞社によって極端に意見が違う。反日の記事を書くところもあれば、政府批判ばかりのところ、世論調査をすれば、同じ質問でも、パーセンテージがまったく違った結果になっているだろう?」
と訊かれて、
「確かにそうだけど、どうしてそんなことになるの?」
と聞き返すと、
「それは、質問に対してアンケートというのは、いくつかの答えを用意していて、どれに入るのかということを選ばせてパーセンテージを取るのさ。だから、回答の選択肢を、自分たちの得たいパーセンテージに近づけるために、独自に用意をすると、期待している結果になるというものさ。つまりは、一種の情報操作というものであり、これほど、恐ろしいことはないと思うんだ。日本が戦時中に、軍部の圧力で情報操作をしてきただろう? 戦後になって、報道が自由になったんだけど、今度は自由過ぎて、マスコミが一人歩きを始め、情報を操作し始めた。これほど怖いことはないんじゃないか?」
と父親は言っていた。
「何となく分かる気がするんだけど、そこまでマスコミというのは酷いの?」
と母親に聞かれて。
「そうだね、戦後すぐくらいからひどかったんじゃないかな? 中国で言われている南京大虐殺という事件も、ある新聞社の一人の記者のよる捏造だと言われていたりするからね」
「そうなの?」
「ああ、公然の秘密というところか、その筋では有名だという話だ」
「そうなんだ……」
と、さすがに母親はショックだったようだ。
母親は、きっと純粋なのだろう。今までにずっと臭い物には蓋をするかのような教育を受けてきたのか、それが当たり前だと思って育ってきたのか、だから、一般的なことしか言わなかったり、世間体を気にするというのも、自分が平均的な人間でないといけないのだということを信じているからなのかも知れない。
そういう意味で母親は、ある程度マスゴミに毒されていて、男女平等ということを履き違えているところがありそうだ。
「そもそも、人間が生まれながらに平等だということ自体、その考え方に間違いがあると俺は思っているんだ」
と父親は言った。
「どういうこと?」
「人間は、生まれてくる時、親を選べない。親だって、産むこともを選べないだろう? つまりは、生まれながらにして、殿様の家に生まれてくるのを、貧乏な農夫の息子として生まれてくるのだからね。そもそも、昔の日本は身分制度がしっかりしていたんだ。武士の子供は武士、農民の子供は農民と決められていたからね」
「そうね」
「だけど、武士の息子に生まれたから幸せということはない。武士だって、階級があれば、上には幕府だってある、藩主だって、幕府に目をつけられれば、改易の危機になってしまうんだ。江戸時代にどれだけの大名が改易になったかを見れば、すぐに分かることだ」
「改易って?」
「それはいろいろ理由はあるけど、一番は、武家諸法度に背いた場合ね。例えば大名同士の勝手な婚姻であったり、城の普請であったりなどがその理由だね。幕府に背かないように、婚姻で力をつけたり、城を勝手に普請、つまり修理して、軍事力を蓄えたりなどは、幕府には到底容認できないからね。そして、もう一つの理由として多かったのは、御家断絶。つまり、跡取りがいないなどという場合だね。そんな時は幕府によって、藩主の座を追われ、他の藩主がその土地の新たな藩主になるか。あるいは、天領となるかだね」
「そうね、確かに江戸時代の藩は、世襲だったわね」
「そうなんだ。だから、跡取りがいないと、簡単に改易されるというわけだ」
「なるほど、確かに生まれながらに不平等だというのは分かった気がするわ。でも、それと男女平等というのは?」
「だって、男女は生れながらに身体的にまったく違うわけなので、男にしかできない仕事であったり、女にしかできない仕事があるはずなのに、それを一絡げにして、どうするというんだ。そこがマスゴミなんかに操られるということになるのさ。特に今はコンプライアンスに厳しいので、それに便乗した記事が結構あるだろう? 男性上司は相当気を遣わないと、何を言われるか分かったものではない。確かに昔がひどかったというのもあるんだけど、だからと言って何でも平等と括りつけるのは違う気がするんだ」
作品名:理不尽と無責任の連鎖 作家名:森本晃次