理不尽と無責任の連鎖
ということであり。独身時代に感じていた平等感のは明らかに違っている。
「学生時代や、OL時代は、最初から差がついていたような気がするのだが、公園デビューでは、先輩後輩という期間の違いによる差のようなものはあるが、それ以外では、そこまで気にする差ではないと思えた。
むしろ、自分からどのように目立つかということを考えないと、ずっとその他大勢になってしまうことだろう。
母親というのは、どうやら、公園デビューの時に世間を感じるようだった。
子供が中心なのに、話題は自分たちのことが多い。ファッションであったり、カフェなどの話題もそうであるが、旦那の自慢話を始める人もいる。
平野の家庭は、別に父親が自慢できるような職業でもない。普通のサラリーマンである。
ただ、旦那の自慢というのは何なのだ?
給料が高いということなのか、一流企業に勤めているということなのか、それとも、出世街道を走っているということなのか。一人が自慢を始めると、他の人も、自然と、
「私にも他に何か自慢できることはないかしら?」
と考え始める。
自分にあったとして、お、自分のことを自慢するというのは、実にあざといことであるので、どうしても、旦那や子供のことになるだろう。
子供に対して、他の奥さんと張り合うという気持ちから、昔でいう、
「教育ママ」
という言葉が生まれたのだろう。
幼稚園から英才教育を受けさせ、
「お受験」
などという言葉が流行ったのも、昭和から続く、世間体を気にしてエスカレートしてきた心情が物語っていることなのかも知れない。
平野の母親は教育ママというわけではなかったし、平野が知っているかぎり、友達の中に、教育ママに育てられたというイメージの子供はいなかった。
今の英才九育は学校の授業というだけではなく、芸術であったり、音楽であったりと、専門的なことも多いだろう。
確か平均的に成績がよく、一流と言われる大学にいけば、将来についてもたくさんの選択肢が得られるのだろうが、小さい頃から、目指すものを一つに絞って、集中的に身につけるというのお十分にありだった。
そういう意味で自分が何に向いているかということを探るという意味での子供の頃の英才教育というのは、ありなのではないかと思う。
ただ、これが押し付けということであってはいけない。押し付けになってしまうと、せっかくの勉強が身に入らなくなってしまう。勉強に疑問を感じてくると。
「どうせ親にやらされているだけなんだ」
という逃げというか、言い訳じみた考えが浮かんできて、集中力などまったく皆無になってしまうことであろう。
母親が、世間体のことをよく口にするのは、きっと、この公園デビューが偏印ではないかと平野は思った。
だが、それがまわりからの影響なのか、それとも、母親が必要以上に意識してしまったからなのか、ハッキリとは分からない。きっと母親も自覚としてはないのだろう。自分が世間体を気にしすぎているということにである。
ただ、最近ではそれだけではないような気がしてきた。なぜなら、母親が最近になって、やたらと、
「男女平等」
という言葉を口にするようになったからだ。
「お母さんは、OL時代に、セクハラか何か受けたんじゃないだろうか?」
と感じるほどだった。
平野は男なのに、男女平等の話をするというのは、何か社会人時代に、トラウマになりそうなことを感じたのかも知れない。
特に最近は、性犯罪系のニュースが、新聞にもネットニュースにも出ている。
さらに、最近では、父親と男女平等に関して話が白熱していることがある。
「まるで喧嘩しているかのようだ」
と感じるくらい、急にどちらかが大きな声を出して反論しているのが分かる。
最初はビックリしたが、最近では、
「ははぁ、まだ男女平等に関する話題だな」
と思って、ビックリすることもなくなってきた。
しかし、意識しなくなれば面白いもので、それから奇声のような大きな声が聞こえなくなってきたのだった。
元々喧嘩をしているわけではなく、議論が白熱していただけなので、奇声が出ること自体がおかしいのであって、二人とも興奮すると我を忘れるところがあるのかも知れない。
奇声が聞こえてきた時に聞いていた話としては。
「ここずっとセクハラ、パワハラなんて言葉で男性が結構縛られているけど、あまり縛ると、仕事にも影響してくるんだよね。テレビドラマなんかでも、コンプライアンス云々などという言葉で、ハラスメントを悪いことのようにいうけど、実際に締めなければいけないところもあるわけで、何でも間でもハラスメントや、コンプライアンスという言葉で片づけようとする今の風潮は、正直嫌だよな」
と父親が言った。
「でも、昔はそんな発想がなかったので、弱者が虐げられるという、まるでカースト制度のような差別が横行していたでしょう? でも、今はそれがないので、部下として第一線で働く女性社員が生き生き仕事ができるのって、いいことだと思うのよね」
と、母親が言った。
「だけどね、それで均衡が取れればいいんだけど、やたらと男女平等を口にする女性がいたりすると結構ややこしいものだよ。特に今は冗談も言えない。ちょっと女性社員と世間場話をしようとすると、すぐに、それ、セクハラってこうなっちゃうんだ。迂闊にこちらも女性社員に何も言えなくなってしまう。世間話だけではなく、仕事の話もできなくなるだろうよ。そうなると会社で一番大切な、『ホウレンソウ』というものが、まったく意味をなさなくなってしまう。そうなると、仕事どころではないんじゃないかな?」
と父親がいうと、
「でもね、子育てや家事は女の仕事だといまだに思っている人がたくさんいるのも事実。それを思うと、まだまだ日本は遅れていると思うわ」
という母親に対して。
「じゃあ、この間の、部スポーツ委員会の代表が言ったあの言葉はどうなんだい?」
「ああ、女性が多いと話が長いということ?」
「ああ、そうだよ。俺はあれに関しては別に女性差別でも何でもないと思うんだ。一般論として言っただけでね。それをあそこ迄世間が徹底的に叩いて、引きずり下ろすというのは、どうなのかって思うんだ。その結果あの代表が辞任することになって、国際委員会とのパイプ役だった人がいなくなったせいで、文句が言える人が一人もいなくなって、結局、あのぼったくり男爵と呼ばれた連中に誰一人として意見を言えなくなっただろう? 何でも間でも女性差別というのも、どうしたものかと思うんだ」
という夫の話を訊いて、
「いや、確かにあなたのいう通りだけど、結果論でしょう?」
と言われたが、
「結果論は結果論だけど、あそこまで攻撃する必要があったのかと思ってね。確かにあの人は政治家時代には、失言という意味では王様のような人だったからね。余計に結果論であっても、掘り返すことになったとしても、ちゃんと検証しないといけないことは、キチンとするべきだと思うんだ」
と、いうのだった。
平野はそれを聞いていて、自分も男だから、男の意見の方をしっかりと聞いていた。母親の意見がどうしても、言い訳のように聞こえて仕方がないのだった。
作品名:理不尽と無責任の連鎖 作家名:森本晃次