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理不尽と無責任の連鎖

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 それを思うと、民主国家。民主主義という言葉がどれほど薄っぺらいものであるかということが分かるような気がする。
 もちろん、日本はそこまでのひどい国ではないが、せっかくの精神国が、あと十年やそこらで、孔子国の仲間入りするのもそう遠くはないだろう。
 隣国の恫喝には屈し、何もいうことができない腰抜け政府。
 因縁を吹っ掛けてくる方も来る方で、一人の独裁者が権力を握り、最近ではバイオテロを企んだという気配もある。さらにもう一つの国は、とっくの昔に片付いている話を勝手にほじくり返してきて、本来であれば、論争になること自体おかしい状況でも、日本という国は甘いので、相手国の言う通りカネを出したのだ。
 それを、さらにハイエナのように集ってくるという、一度味を閉めたら話さないという愚かな国である。
 しかも、その国は、国家元首である大統領が、最後にはすべての人が悲惨な結末を遂げている。
 退任後に逮捕され、獄中死をしたり、暗殺の憂き目にあったり。クーデターを起こされたちと、まともに人生を終えた人は一人もいないというそんな歪んだ国なのである。
 そんな国に恫喝されて、それこそ壊れたレコードのように、
「遺憾の意を示します」
 という言葉ですべての苦情としているのだから、どこぞの首相のように、
「安心安全」
 という言葉と、
「○○に撃ち勝った証」
 などというお花畑思想のめでたい頭脳をお持ちになったそんな男を、
「他になり手がいない」
 というだけで、政権の座に座らせておくということ自体が間違っているのだ。
 そういうこと言っているから、世界から舐められ、
「ぼったくり男爵」
 と言われる、某スポーツイベントの首領に見透かされてしまい、いいように利用されて、国家の存亡の危機を迎えることになるのだ。
「他の国だったり、大日本帝国であれば、こんな政府に対して、どこからかクーデターが起こるか、内線が勃発するのだろうが、日本という国自体がお花畑なので、政治家もさぞや助かっていることだろう」
 という人も結構いるだろう。
 有事になって、まずいと政府が思うよりも先に国民が気付いた。
 しかも政府は、国民には下手に逆らえないと思っている。だから、君子危うきに近寄らずで、自分の私利私欲以外のことは、適当なのだろう。
「国民なんて、適当に演技していれば、それで騙せる」
 とでも思っているのか、国民も舐められたものである。
 そういう意味では某国のような大統領に対して国民が毅然とした態度を取る国とは違う。そこだけは、
「日本も茅屋のようであってほしい」
 と考えている人は多いだろう。
 そうすれば、迂闊な政治をすることもない。国家元首になったのだったら、病院に逃げ込んだり、言い訳をして政権を投げ出したりなどしないだろう。何しろ国家元首としての態度が、今後の自分の命に直接かかわってくるからである。
 平野は、あまり政治に詳しくはなかったが、数年前から興味が出てきた。有事といえる国家の危機、いや、全世界規模の人類の危機と言ってもいい時代に、ほとんどの人が政府に協力するというよりも、政府批判をしていた。
「本当なら、一致団結して、国難を乗り切らなければいけないのが、国民と政府の立場だ」
 と言えると思っていたのに、一体どうしたことなのだろう?
「なるほど、いろいろ調べてみると。これは国民が怒るのも無理はない」
 という内容が、次々と出てくるではないか。
「少し落ち着いてきたかな?」
 と感じさせる時間の間隙をついて、またしても、暴言が上手いタイミングで飛び出してくる。 
 それこそ、マスゴミの羽毛壺である。
 その当時、国民はマスコミのことを、
「マスゴミ」
 と呼んでいた。
 マスゴミは、世間を煽って、自分たちの時期を面白く見せ、それで利益を得ようとする。ジャーナリストという言葉が恥ずかしくて名乗れないのではないかと思えるほどの連中がたくさん蔓延っている。
「あの時の有事の際の一番の悪は、マスゴミではないか?」
 と言われていた。
「たくさんあるマスゴミの中で、一つや二つはまともなところがあってしかるべきなのに。あの時のマスゴミは完全に逝かれていた。やはり一番の戦犯はマスゴミだろう」
 というのが、大半の考えであった。
 その次が政府。
 これは言わずと知れた悪の根源であるが、ここに関しても国民が悪くないとは言えない。
 そんな政府に投票したのは国民であり、それだけに、文句が言いにくいというのもある。
 ただ、これは三番目の悪である、一般市民とは主旨が違っている。
 三番目の一般市民というのは、
「何事にも自分は関係ないという顔をして、世論としての力だけは強く持っていることで、一番悪くないと思っていて、しかも、他の連中に責任を擦り付けているという意味で。これ以上の悪はないのかも知れない。
 伝染病が流行った時、
「マスクをつけろ」
 というのに、自分か大丈夫だと言ってマスクをしないやつ。
 自分だけが死ぬのであればそれでもいいのだが、そんなバカな連中が市中感染を招くのだ。
 作者や平野も人のことはいえないが、自分は悪くないと思って、平気で悪口を並べているやつが一番悪いのかも知れない。
 そういう意味で今の時代は、
「とにかくストレスがたまりまくる時代だ」
 と言えるのではないだろうか。
 そんな世の中で、一体どのように暮らしていけばいいのか、それぞれで考えたはずなのに、伝染病の恐怖が収まると、かつての世の中に戻ってしまった。
 いや、前よりもひどくなっているかも知れない。
 平野は、あの不自由な時代に、冷静になって考えた時期があった。
「少しは収まって、落ち着く時期もあるだろうが、すぐにリバウンドして、前の生活に逆戻りするに違いない」
 と思っていた。
 その理由は、あの伝染病に関しては。どこぞの国のバイオテロだと思ってはいるが、それ以上に、環境破壊などの人間に対しての大いなる警鐘だと思っていた。だから、マスクや飲酒の制限、イベントの観客制限などは、半永久的に続くものだと思っていた。
 しかも、続くべきものだとも思っている。
 かつての聖書の中にあったように、人間が我を忘れて遊びなくっている時、神様が降臨し、世界全体を浄化するということが何度も行われている。このウイルスが、その浄化のために必要不可欠なものだとすれば。一体どうすればいいのだろう?
 人類滅亡を望んでいるわけではないが、消えてほしいと思う連中は少なからずいる。ひょっとすると、我々の知らないところで浄化という作用が行われているのかも知れない。
「あなたの隣にいる人は、本当に昨日までのその人だと断言できますか?」
 であったり、
「あなた自身、昨日までの自分だったと言い切れますか?」
 という言葉を、笑って聞き流せるだろうか?
 ひょっとすると、ドキッとしてビビっているのかも知れない。
 人類が滅亡というところまでいかなくとも、多少なりとも滅亡への警鐘であることには違いない。
作品名:理不尽と無責任の連鎖 作家名:森本晃次