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理不尽と無責任の連鎖

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 それでも、父親がどこまで分かったのか、主人公に分かるわけではなかったのだ。
 どんな内容だったが、ラストは覚えていない。思い出すことがでいれば、呪縛から取り払われるのかも知れない。

             連鎖反応

 そのガキがうるさいと思い、想像の中で、その親父とガキを抹殺させた平野は、半分、留飲を下げていた。
「想像することはただだし、いくらでも、頭の中で抹殺してやる」
 と思いながら、自分の思ったことが現実にならないかと感じたほどだった。
 そんな恐ろしいことを考えた自分が怖くなったり、後悔などまったくしない。それよりも、いくら想像しても、それは想像でしかない。親父とガキが成敗されることはないのだ。
「同じように静かに暮らす権利が保障されているはずなのに」
 と感じた。
 だが、保証というのは誰がしてくれるというのだろう>
「この国の国家元首? それとも天皇?」
 そんなバカなことがあるわけもない、
 天皇というのは、別に神でもない。ただの天皇家という、一般日本人とは違った種類の人間で、人間の種類が違っているわけではなく、、権利義務などの国民と国家の関係が、天皇であれば違っているということなのだ。
 天皇に対しては、一般的に一国民ということであるが、政治や国政に関することに関わることはできない。いろいろと、一般国民とは一線を画していると言ってもいいだろう。
 では、国家元首というのはどうだろう?
 大日本帝国憲法下では、天皇は国家元首であったが、今の憲法では、あくまでも象徴でしkない。となると、日本の国家元首というと、普通に考えれば、内閣総理大臣ということになるだろう。
 総理大臣には、他の大臣にはない、いろいろな任命権や、非常時における自衛隊の出動命令などの権限がある。昨今では耳に忙しい、緊急事態宣言などの発令も、内閣総理大臣の名前で行われる。
 では、その総理大臣が、我々の権利を保障してくれるというのだろうか?」
 答えは、
「否」
 である。
 しかも、もし、こんな内容をSNSなどに投稿でもすれば、
「何をとち狂ったことを言ってるんだ。ソーリななてものは、利権に塗れて、君側の奸を味方につけることと、忖度する人間をそばに置くこと、さらには、選挙で勝つことしか考えていない。金と権力の亡者じゃないか?」
 と言われたり、
「漢字が読めなくても、カンペを見て会見してもいい、ひらがなさえ読めれば、原稿にはフリガナを打ってもらえばいいのだから、そして記者会見といえば、決まった質問に対して、順番通りの回答のカンペを読み上げるだけの、小学生にでもできる仕事で、月給百万以上とか、ふざけてるよな。誰だってなりたいし、いくら悪いことをしたことがバレても、それでまわりから何を言われても辞めないんだよな」
 と言われたりした。
 確かに、こんなにおいしい仕事はない。
「まわりから、突きあげられれば、仮病を使って、病院に逃げ込めばいい」
 という前例を、何と二回も使ったバカ首相もいた。
 疑惑だらけで、この男に忖度したために、自殺までしたのに、自分はまったく悪くないと言っているのだ。
 最初に首相になって、最初に出た問題の時も、
「私は潔白だ。もし、やましいことがあるなら、総理辞職だけではなく、国会議員も辞めることにする」
 と、大見栄を切ったくせに、その事件が解決するどころか、出るわ出るわ、いろいろな怪しいウワサがどんどん出てくる。
「一匹発見すれば、十匹はいると思え」
 ということわざのようなものだ。
 それなのに、辞職どことか、
「総理大臣としての人気の通算が、一位になった」
 とかいう、長いだけで、中身はゼロの政策の、どこが誇れるというのだろうか。
 何もせずに、ただ税金泥棒をしていただけではないか。
「他にやれる人がいない」
 というだけでやっていたのだから、そんなに総理大臣というのは特殊な商売なのだろうか?(もちろん、これは皮肉なのだが)
 一度記者会見で、挙手していない人を当てて、その人が何もなかったかのように質問し、それにソーリが、普通に返答していたが、これこそ、いかにも「やらせ」ではないだろうか。
 何しろ、当てられた記者は、下を向いてスマホをいじっていたというのだから、まるで茶番だ。完全に台本ありきではないか。
 ソーリの返答も、誰が言ったか、
「壊れたレコードプレイヤー」
 まさしくその通りだと思ったが、実際には違っていて、
「レコードが傷ついているから、針が飛ぶのだ」
 というのが正解だ。
 今はそもそもレコードなどない時代なので、レコードを見たことがない人がたくさんいるだだろう。だから、そんな単純なことにも気づかない。それこそ、いかにも今の政治を示しているようなものではないだろうか。
 世の中なんて、本当にそんなもので、ただのおっさんや、漢字が読めないやつや、有名芸能人の動画を勝手に流用し、政治利用しようとしたやつが、総理大臣をやっているのだから、まともな世の中のはずはない。
 そんなことを考えていると、世の中というものが、いかに薄っぺらくて、自分の命を自分で守らなければいけないのかということがよく分かる。
 今の時代は民主主義という言葉に騙されたかのような世界になっているので、特権階級がのさばってしまい、有事であろうとも、政治家どもは私利私欲にのみ動き、国民は損な連中の盾となるのだから、たまったものではない。
 そもそも民主主義、資本主義の基本は、
「多数決と、自由な体制」
 と言っていいだろう。
 多数決なのだから、少数派に正解があろうとも、いくら間違っていようとも、過半数には逆らえない。これが本当の自由なのだろうか?
 また自由という言葉も曖昧だ。
 一人の自由を守ろうとすると、必ず誰かの自由が脅かされることになる。最初に不自由を訴えれば、後から訴えたやつよりも、心理的に有利になるのだろうが、それは、きっと、後出しじゃんけんのような発想から来ているのではないだろうか。
 どうしても後から出した人の信憑性は疑われる。それも多数決と同じような理屈で本当に平等だと言えるのだろうか?
 そういえば、民主主義に平等という理念はあるのだろうか? 多数決で自由が基本であれば、平等を訴える場合は、少なからずの矛盾が生じる。
 しかし、平等主義という考え方があり、これはい自由主義、民主主義などと言われるものの基礎となる考え方であり、つまり、平等が基礎にない民主主義というのは、真の民主主義とは追わないのではないだろうか?
 そうなると、今の民主主義は本当の民主主義なのかということにもなる。要するに、民主主義をいただいて、政治に参加している人間によって民主主義と言ったり、言わなかったりするのではないんだろうか。そう考えると今の時代は決して民主主義ではないと言えるだろう。
 だが、どうだろう?
 民主主義、民主国家というのは、、これほど曖昧なものでもないような気がする。
 独裁国家であったり、社会共産主義国家に関わらず。
「○○民主主義共和国」
 などと謳っている国もある。
 そこぞの、
「将軍様」
 をいただく国がそうではないだろうか。
作品名:理不尽と無責任の連鎖 作家名:森本晃次