バラとスズラン、そして、墓場まで……
「でも、袴田さんのことでどうして私のところに来られたんですか?」
というと、
「実は、先日、強盗傷害未遂事件がありまして、その容疑者が、自分のアリバイ証言として、袴田さんと偶然出会ったという話があったんですが、その話の信憑性を取るために、袴田さんの行動もこちらで把握する必要に迫られたんです。袴田さんがいうのは、その日、永瀬いちかさんと会って、話をしたと言っていたんですよ」
ということで、いちかは、犯行日を聞いて、手帳を見ると、
「ええ、確かに袴田さんとはその日お会いして、お話をしました」
「差し支えなければ、どのような?」
「実は、自分には結婚したい人がいるんだけど、いろいろ迷うこともあって、自分には、女心が分からないので、いろいろ相談に乗ってほしいと、以前から、ちょくちょくお話に乗っていたんですよ。その日も、その一環でした」
といちかがいうと、
「永瀬さんと、袴田さんはどういうご関係なんですか?」
と訊かれて、
「うちの旦那が、袴田さんと同じ会社の同僚なんです。袴田さんはよくうちに来られて、旦那にいろいろ相談していたんですよ」
ということだったが、
「旦那さんは、今は?」
「長期出張中なんですよ。プロジェクトリーダーを任されたみたいで、半年ほど留守にすることになっているんですが、今はその二か月目になります。だから、袴田さんの話も聞いてあげていて、ここにいる前の会社の同僚であった、松本さんの話も聞く時間があるわけなんです。私としては、寂しさを紛らわすくらいの気持ちだと言ってもいいかも知れませんね。でもまさか。親友のゆいが、袴田さんの婚約者だっただなんて、私は知らず知らずに二人の仲に入っていたというわけだったんですね」
と言った。
それを聞いて。刑事もうんうんと納得していたが、すぐに振り返って、今度はゆいに聞きたいことがあるようだった。
「そうですか、では、今度は永瀬さんにお伺いしたいんですが、あなたは、山内という男をご存じですか? 山内和彦というんですが」
と言われて、別にビックリした様子もなく、ゆいはあたりを見渡すように、
「いいえ、知りません」
と言った。
「そうですか、実はですね。この山内という男が今回の事件の重要容疑者として逮捕しているんですが、どうも、松下ゆいという女性に聞いてほしいことがあるというんですよ。あの日、つまり、袴田さんと出会った後に、あなたとも会ったというんです。でも、あなたは知らないんですよね?」
と言われて、
「名前にはピンときません」
というので、刑事が写真を見せると、
「ああ、この人なら、以前、私の会社にクレームを言いに押しかけてきたことがあって、私が応対したことがありました。最初はものすごい剣幕だったんですが、私と話をしているうちに落ち着いてきて、最後は恐縮して謝ってくれたんです。あそこまで変わる人も珍しいので、覚えていました。人相が悪かったので、最初は怖かったんですが、あの人はそれから時々道で会うようになって、いつも挨拶をしてくれるようになったんです。お名前は最初の時に聞いたかも知れませんが、何しろすごい剣幕にビビッてしまっていたので、名前は憶えていませんでした、そうですか、あの方が山内さんなんですね?」
と、ゆいは言った。
「ということで、再度この写真を見て。見かけたという覚えはありませんか?」
と言われたが、ゆいとしても、
「私の記憶が曖昧なのですみません、私はあまり人の顔を覚えるのが得意ではないので、ちょっと自信がないですね」
というと、
「でも、写真を見た時は思い出したんでしょう?」
「ええ、この形相ですからね。ですから、逆にあの時、そんな形相の人を見た覚えがなかったんですよ。見ていればすぐに思い出すんですが、ここで思い出せないということは、やっぱり見ていないんだと思います」
とゆいが言った。
「なるほど、顔というよりも形相ということですか?」
と刑事が訊くと、
「ええ、そうです。だから、自信がないと申し上げたんです。顔を覚えられないから形相でしかないんですよ。それなのに、どうして、自信を持って答えられるというんですか? この話は、一歩間違えれば、無実の人に罪を着せてしまうという冤罪になってしまうんですよ。そんな十字架を背負って、これから生きていきたくはないですからね」
と、ゆいは、毅然とした態度でいった。
これにはさすがに、いちかも驚いた。
――こんなにハッキリと言える子だったんだ――
と感じたからだ。
自分の前ではいつも自信がなさそうにしていて、だからこそ、自分を頼ってくるからだ。
「私は、本当に自分に自信がないんですよ。例えば、誰かと待ち合わせをしたとしましょうか? その人が来なかったら、、いちかは、どれくらい待てる?」
と聞いてきたことがあった。
「そうね、私だったら、二十分かな? ギリギリ我慢して三十分がいいところだと思うのよ」
といちかは言った。
「三十分というのは、短い気がするわ」
というと、
「じゃあ、ゆいはどれくらい待てるというの?」
と聞くと、恐るべき答えが帰ってきた。
「そうね、自分の体調が悪くなるまで、待ってるかも知れないわね。もっとも、それまでには絶対に皆来るんだけどね」
と言った。
いちかが、目を見張っているのが分かる。
「どうして? しかもあなたから、そんな言葉が出てくるなんて」
といちかは言ったが。確かに、いちかは気が短い方で、待ち合わせでなければ、諦めも早い方だった。
スポーツの試合を見に行った時でも、ひいきチームが負けていれば、途中ですぐに帰ってしまうことも多かったのだ。
「どうしてそんなに諦め早いの?」
と聞くと、
「別に諦めたわけじゃないのよ。このままいると帰りはラッシュでしょう? 今だったら、ゆっくり帰れる。もう、試合は堪能したから、私はいいの」
と言っていた。
いちかも、それくらいのことは分かっていたので、ゆいに反対する気持ちはなく、一緒に引き上げるのだ。このあたりは自分と似ていると思っていたいちかだったので、ゆいが待ち合わせで、いつまでも待っているという言葉にはビックリしたのだ。
「私はね、基本的には現実主義者なのよ。でも人と待ち合わせの時は、いつ来るか分からないので、その人を一生懸命に待つの。その理由は、たぶん自分に自信がないからなのよ」
とゆいは言った。
「自分に自信がないと、待ち続けるの?」
「ええ、もし、後から来たら、自分が後悔するのが分かるし、後悔しているのに、帰ったことで何か言われると嫌でしょう? 確かに遅れる方が悪いに決まっているんだけど、私は、納得できる形で着地したいの」
とゆいはいうのだった。
「そっか、自信がないということは、確かに言えるかも知れないわね。ひょっとしてという言葉をその間に何度自分にいい聞かせることになるのか、その都度、無意識かも知れないけど、自分に自信がないということを、自覚していることになるのよね」
と、いちかは言った。
さらに、
「肩や、現実的であるくせに肩や、真面目だということは、全体を含めて、自分に自信がないからなのかも知れないわね」
と続けた。
作品名:バラとスズラン、そして、墓場まで…… 作家名:森本晃次