バラとスズラン、そして、墓場まで……
「でも、それだけに、一方が勝手に相手を嫌になることだってあるわけでしょう? お互いに別れる時、一緒に相手を嫌いになるわけではないので、必ず、相手を傷つけることになるだろうし、ふる方だって、平静な気持ちでいられるとは限らない。少なからず。お互いに傷が残るのも当然だと思うの。でも、立ち直れないということはないので、本当に最後には、自分の経験値があがったというくらいになっているのかも知れないわね」
と言った。
「確かにそれは言えるかも知れないわ。要するにその人にとっては、立ち直るまでは、恋愛期間が続いているというわけでしょう? 相手は終わっているのに、自分だけが、時計を進めることができないという思いとの葛藤があるからね。その思いは私は大切だと思うのよ。その後に婚約、結婚とつながっていくのに、恋愛での経験は貴重なの。やり切れない気持ちがトラウマになったり、どうしていいのか分からなくなったりと、その人の中にどのような形で残るかというのも大きな問題なのよ。でもね、消えない悩みなんてないのよ。先に進むためのステップとして、悩みがあるのだとすれば、悩むことの本当の辛さが、自分が今どこにいるのか分からないということだと思うの、だから、その場合の解決策は、悩んでいる自分の中に、本当の自分を返すということなのよ。魂の合体とでもいえばいいのかしら?」
と、いちかは言った。
逆バーナム効果
「ところでやっぱり、よく分からないんだけど、バラが置かれていたというのはどういうことなの? バラということは、男性同士の同性愛、ライトノベルやマンガの世界では、ボーイズラブというのよね?」
とゆいがいうと、
「そういうことになるわね。昔だったら衆道とか、畜生道などと言われていた。いわりゅる人間以下の、家畜などが、本能でするもののようなイメージになるのかしらね。でも、実際に昔の男性には多かったというわよね。特に戦国時代の戦国大名などは、大体男色だったと言われているようだけど」
「でも、そのわりには、殿様には側室なんかがいて、贅沢なものよね」
というゆいの意見だが、
「だって、男性に子供は産めないんだから、結局は、世継ぎを生んでもらうために、結婚して、しかも、正室に子供ができなければ、側室の子供を後継ぎにするというやり方しかないでしょう? 秀吉だって、正室に子供がなかったので、側室の茶々が子供を産むことになったでしょう? でも面白いのよね。男色の多い中で秀吉は部類の女好き。それで正室に子供ができないというのも、変な話よね」
といちかは言った。
「でも、本当の子供ではないという話もあったでしょう? 秀頼の前に一人子供がいたけど、若くして死んで、子供はもう難しいかもと言われた年になったから生まれたのが秀頼だったわけで、しかも身体が小さかった秀吉から、身体の大きな秀頼が生まれたということで、いろいろな憶測もあったのでしょうね。大野治長と淀との間の子供だというウワサもあったからね。どこまでが本当なのか分からないけど、秀吉が豊臣家の跡取りが欲しかったのは間違いないわけで、それを思えば、治長に淀を抱かせるというのもありなんじゃないかと思うのよ。ただ、メンツの意味もあって、それを口にするのは、ご法度だったんだけどね」
と、ゆいがいうと、
「それはちょっと違うかも? もし、それを口にされて、秀頼が後継者ではないということになると、また勢力争いの戦になる、それを裂けようとしたんじゃないかしら?」
と、いちかはいう。
二人は結構歴史が好きだった。
いちかが会社に在籍中は、よく歴史の話に花を咲かせたものだった。
戦国時代を中心に幕末や、鎌倉初期など、カフェで、何時間も白熱した会話をしていたのが懐かしかった。
それなのに、ゆいは、風俗的、世俗的な話には、結構疎かったりする。だからと言って、歴史の裏話をまったく知らないというわけではないのだ。羞恥な話には最初から首を突っ込まない性格で、それだけ潔癖症だとも言えるだろう。
ゆいが歴史を好きになったのは、中学時代。最初から脅威があったのだ、古墳時代などの出土品であったり、古事記などの神話の話、さらに、聖徳太子から、大化の改新に欠けての日本の国というものの形ができかかってくる時の歴史が、それまでの教科とは違った一種のファンタジーに感じられ、次第に興味をそそられるのであった。
中学に入ると、小学生の頃のように、すべてを社会科という括りではなく、地理、歴史。しかもそれぞれに、日本と世界で区切られている、
しかし、歴史の場合は、日本史をやっていても、世界史の最低限の歴史を知っていないと、理解できないこともあるのだった。
特に宗教がらみになると、世界史を無視することはできない。仏教、キリスト教などは、日本の文化に入り込み、日本n神話がそれを受け付けないことで、戦争になったり、追放による虐殺などというものもあった。
江戸時代などは顕著であり、鎖国をしている手前、キリスト教の教えは、受け入れられるものではないのであった。
ただ、これは日本に限ったことではない。過去には、十字軍のような宗教戦争であったり、大航海時代と呼ばれるその時代には、航海することによって見つけた土地の原住民を奴隷にしたり、自国に連れて帰ったりして、その場所を植民地化していった。
そこに、文明国家が存在すれば、キリスト教を布教させ、国内を混乱させておいて、それを口実に、その土地を占領し、植民地化してしまう。移住している人を守るという、
「居留民保護のため」
という軍隊派遣で、一気に鎮圧させ、既成事実として、暫定国家を築き。そこを実質統治することになった。
それが帝国主義のあからさまな植民地政策で、列強と呼ばれる国は争って、当南ア味やの国々を占領していき、自国の植民地として、その地に定着し、傀儡政権を作って、君臨するのだった。不平等条約を結び、貿易も完全な不公平の元に成り立っている。植民地経営なのだから、当たり前のことである。
江戸時代に家光が鎖国政策を取ったのは、日本人に諸外国のことを知られないようにするという目的と、キリスト教がまたしても、布教活動をしないようにしたためであろう。
諸外国のやり方は、まず、上陸した国に、キリスト教の宣教師を送り込み、布教活動させることで、その国の宗教との間に紛争をもたらし、混乱している隙をついて、軍隊を送り込み、強引に鎮圧し、関税や、裁判両事件などの不平等な内容の条約を結ばせ、さらに、そこを拠点に、別の地区を植民地化するために動いていたのだ。
東南アジアが狙われ、中国が食い物にされたことで、日本も恐怖に感じていたことだろう。
幕末の動乱がそのまま、朝鮮半島の動乱となり、日本と清国の干渉により、日清戦争が勃発し、朝鮮もいずれは日本に併合されることになる。
戦後日本が奇跡的な復興ができたのも、
「日本は神の国だから、神風が吹いてくれる」
と言っていたのが、戦後に限っていえば、的中したようだ。
もっとも、戦前の日本も決して弱かったわけではない。薄氷の勝利ではあったが、日露戦争で負けなかったことも、ある意味奇跡だといえるだろう。
作品名:バラとスズラン、そして、墓場まで…… 作家名:森本晃次